「人生会議」と2本のドキュメンタリー映画:自分がどのような最期を迎えたいかを伝えておくこと
1月末に「人生会議」のことを呟いた。
このつぶやきをする少し前に運転免許の更新に行った。
20代後半で未だ原付のみの免許で、なんなら今回は初回更新者として講習に参加した。新しい免許とともに、臓器提供意思表示のお知らせももらった。
私がどこかで脳死状態になったら私の臓器が新鮮なうちに提供してもらえればいいな、と思っているが、これは思っているだけではどうにもならない。
残された家族や親戚、友人らを困らせないためにも、生きているうちに自分の最期をどう迎えたいかを伝えておく必要がある。「人生会議」のことを想いつつドキュメンタリー映画を2本見た。
映画〈最期の祈り〉(原題:Extremis)
2016年にアメリカで作られ、第89回アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた映画だ。終末期医療の現場で、患者、家族、医師らが死と向き合う様子を映し出している。
患者は人工呼吸器なしでは生きられなくなり、治療を継続しても回復の見込みがない。家族らは医師から容態を説明され、延命治療をするか呼吸器を外すかを決めなければいけなくなる。
一方では、「チューブを外してほしい」と家族に訴え、呼吸器を外すことを選ぶ患者。もう一方では、どんな状況になろうとも呼吸器を外す選択はできないとの娘の希望で最期の瞬間まで呼吸器を外さないことを選ぶ患者がいる。
治療費は安くない。治療を継続しても回復はせず、治療がいつ終わるのかわからない。「呼吸器を外す」ことを選ぶのは、「殺したこと」になるのか。「自然な状態になること」なのか。神は何を望んでいるか、患者自身は何を望んでいるのか、患者家族は最善の選択をしようとする。
医師たちも葛藤する。印象的だったのは、メインの医師が患者に説明をした後に、別の医師がその女性に「あなたの説明は治療をやめることを誘導している」と医師同士が話し合うシーンだ。日々、終末期医療に関わっている医師や看護師でさえ意見の相違があるのを示す象徴的な場面だったように感じた。
映画〈甦りへの希望:生命を未来に託す〉(原題:Hope Frozen)
2018年にタイとアメリカで制作されたドキュメンタリー映画だ。科学者の父と家族想いの母、妹想いの長男のもとに生まれたアイ。アイはすくすく育っていたが、ある日、脳腫瘍を患う。現代の医療技術では彼女を救うことができないため家族たちは「科学的な判断」をし、アイを冷凍保存し未来の医療技術でアイを救い生きさせることを選ぶ。
医師が死亡診断をした直後にアイはアメリカの企業によって、頭部のみを冷凍保存された。家族たちは冷凍保存されているアイに会いに渡米する。どのような技術なのかを熱心に聞く科学者の父親とアイのお気に入りの服やおもちゃを抱きしめてアイが保存されたカプセルの前にやってくる母親。兄は渡米して、アイの記憶が蘇生する科学技術を開発できないかと科学者になって研究することになる。
この映画の序盤では息子にさえ「マッド・サイエンティスト」と言われる科学者の父がこの映画の主人公のように思えるのだが、見進めていくと本当の主人公はアイの兄であることがわかる。ドキュメンタリーの主人公は冷凍保存された妹「アイ」ではないようだ。
アイの兄が親の選択を尊重し、自分に課された「任務」を理解し生きていく様子がこの映画の本題のように感じられる。彼がアイの冷凍保存が完了した後に、寺院で2週間の出家をするシーンがある。タイらしさを演出したかったから挿入したのか、このドキュメンタリーに出てくる「普通の人」の役を僧侶に託したかったから入れたのかはわからないが、出家のシーンは意味ありげなシーンだった。
「人生会議」
アイは冷凍保存を願っていただろうか。呼吸器を外して数日後になくなった女性は満足いく最期だったろうか。延命治療を継続した患者の娘は母親が亡くなるまでの期間に心の安定を手に入れられただろうか。
アイは無事に解凍されて幸せな未来になるのかはわからない。解凍する技術は今は不安定であり、記憶を蘇らせる技術はない。また、頭部だけを冷凍保存しているため、解凍するときには身体の部分をキメラのごとく繋ぎ合わせることになるのだろうか。未来はわからない。
「人生会議」は日本の医療現場や在宅看護・介護のなかでは、よく呼びかけられている。一般に周知してもらおうとしたとき、お笑い芸人の小籔が病院のベットで家族と話し合っていなかったことをおもい、青ざめているポスターを発表した。これは物議を醸し話題にはなったが、本質の部分が伝わらず仕舞いだった。
普及は失敗しているようだが、実際には本当に大事なことだ。
満をじして「人生会議」をしようとすると、「死ぬことなんか考えたくない」「そんな不吉なこと言わないで」という人たちもいる。
しかし、今の時代、どんな状況でもお金や制度を駆使すれば心臓を動かし続けることぐらいできる。冷凍保存も行われているくらいなんだから。
20代で進学や就活の話を、30代近くになれば結婚、妊娠出産、子育てが話題になり、40代50代で親の介護の話をし、年金の話、老後の話をするように、年代にあった「人生会議」をしなければいけない。冒頭に臓器移植の意思表示のことも述べたが、これも時折話しておかなければならない話題ではある。
「人生会議」の最終章が、「家で最期を迎える」のか「病院やターミナルで亡くなる」のか「延命する」のか「冷凍保存する」のかになるのだろう。
誕生日や家族が集まるときには「人生会議」をしよう。