展覧会:クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime
2019年7月21日(土)
アウシュヴィッツの博物館で見た光景が思い出されて、心が壊れそうになった。
目は涙でいっぱいだった。
今日は、国立新美術館の企画展「クリスチャン・ボルタンスキー - Lifetime」に行ってきた。
チケット購入で並ぶのが嫌なため、事前にオンラインチケットを購入して行った。しかし、チケット購入は全く並んでいなかった。中もそこまで混雑はしておらず、並ぶことなく順調に展覧会に行くことができた。
【展覧会概要】現代のフランスを代表する作家、クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)の活動の全貌を紹介する、日本では過去最大規模の回顧展です。作家は1960年代後半から短編フィルムを発表、1970年代には写真を積極的に用いて、自己や他者の記憶にまつわる作品を制作し、注目されます。1980年代に入ると、光を用いたインスタレーションで宗教的なテーマに取り組み、国際的な評価を獲得。その後も歴史や記憶、人間の存在の痕跡といったものをテーマに据え、世界中で作品を発表しています。
本展では、50年にわたるボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、「空間のアーティスト」と自負する作家自身が、展覧会場に合わせたインスタレーションを手がけます。<国立新美術館HP>
入り口入ってすぐの映像作品は、とても気持ちが悪い。目を背けたくなるような作品だった。しかし、そのおかげで、入った時点でグッとボルタンスキーの世界に引き込まれた。
(あまり詳細に書くとネタバレするので、強烈に印象に残ったものを速報的に以下記述する)
次の作品のタイトルが「D家のアルバム、1939年から1964年まで(L'Album de photographies de la famille D. entre 1939 et 1964)」。
D家の豊かで楽しそうな家族写真が並べられていた。
とても「楽しそうないい写真」ばかりなのだ。絶対、急展開来るだろうな、と予測ができる。しかも、1939年から1964年のフランスだ。
ドク、ドック、ドク、ドック、、、、、
「心臓音」が会場には鳴り響いている。
やはりそうだった。
「モニュメント」「保存室」「聖遺物箱」「死んだスイス人」
ホロコーストや戦争を想起させるもので埋め尽くされていた。
個人をド正面から撮った写真が白黒で印刷され、それが黒色の枠に入っていたり、枠があるように見えたりするように照らされていたりする。
アウシュヴィッツの博物館で見た、収容者の個人写真が私の頭の中ではリンクした。突然だったため、涙がこぼれそうになった。缶の配置はさながらお墓のように見える。冒頭の「楽しそうないい写真」に映っていた人たちも、この時代を生きていたんだなと思うと胸が締め付けられるようだった。
そこを抜けて、
写真撮影可能なスペースに行くと、「発信する(Prendre la parole)」が迎えてくれる。近くを通りかかると、「発信」しはじめる。
「発信する(Prendre la parole)」は「あの世の門番であるミニマルな人形」と解説には書かれており、死ぬときはどうだったか、など問いかけてくる。
同じスペースにある、「アニミタス(白)」は静けさが印象的だった。
まさに、死後の世界にいるようだった。
戦争やホロコーストで死んだ人たちがここを通ったかのような空間だった。
そして、「来世」。
ここから「来世」なのか?これから「来世」でいいのか?なんだ「来世」って?
なんだか、路頭に迷ったような気分だった。
暗がりを抜けると、展示は終わっていた。
第二次世界大戦は1939年から1945年。
ホロコーストは1933年、ナチ(国家社会主義ドイツ労働党)が権力を握ったときから始まった。1941年以降は収容所の導入など、より残虐になっていった。
ボルタンスキーは1944年にナチス占領下のパリで生まれた。父親は改宗ユダヤ人だ。
ヨーロッパとナチは切り離せないし、戦争と芸術もまた切り離せないものだ。今、自分自身が生きていることを強く感じさせる展示会だった。
全く別の視点から、ひとつ。
照明の配置がとても良かった。「空間をつくる」という点では、光をどこから照らすか、どこを暗くするのかはとても大事になってくるだろう。そういう意味で、照明の配置、ネオン、豆電球、それぞれが大役を成し遂げていた。
以上が今回の感想だ。大変、速報的ではあるが、これまでにしたい。また何かを思いついたらそのときにこの記事もアップデートできたらいいかなと思う。いい展覧会だった。
=参考までに以下=