コロナ禍での留学:留学の醍醐味とは、、、
3月1日から第4セメスターが始まっているが、授業は第2週目月曜から始まる。第3セメスターの終盤は大学が閉鎖していたため、多くの学生らが実家や家族のいる家に戻った。私が今住んでいる大学の寮では、2月後半から続々と学生たちが戻ってきていて、学生寮らしい感じになってきている。
学生寮らしい音がある。早朝のガサゴソ出ていく音、遅刻しそうな人が思い切り扉を開け閉めする音、洗面所で水を流し続けてお湯を待っているだろう音、授業が終わり友達らとおしゃべりしている声、どこの階からか聞こえてくる笑い声に歌い声。日中や夜の勉強しているだろう時間の静けさも聞こえる。
さて、今回はコロナ禍での留学に関することだ。
日本では進展はあるものの留学生の入国は依然として厳しいようだ。コロナが始まってからオンライン授業のみで学生生活を終える人もいるだろう。せっかく日本の大学や大学院、語学学校に入学が決まっていたのに入国できないから諦めた人や進学先を変えた人もいるだろう。
私は2年間のコース(全4セメスター)で、1年半くらい日本からの参加だった。第3セメスターの後半からインドには到着したものの、2週間の自己隔離と1月からの大学閉鎖で実質2週間弱くらいしか大学のキャンパス内では過ごしていない。
もしかしたら、日本にいた方が快適に勉強も研究もできたかもしれない。もしかしたら、大学閉鎖後はオンラインでの授業だったし、日本にいたときと変わらないのかもしれない。
他方で、来なければ体験できなかったことは山ほどある。
まずは各種手続きだ。
外国人登録は入国後14日以内に済ませる必要がある。銀行口座も開設する必要があるし、大学には入学手続きと学生登録、寮には入寮手続きをしなければいけない。
到着したばかりの「右も左も分からない」状態だが、手続きを無事終えなければ、インドでの生活はスタートできない。
外国人登録も銀行口座の開設も入学手続きも事務の人たちにたくさん手伝ってもらった。これらは手伝ってくれる方々がいなければできなかったし、そもそも、一人で全部解決することはできないような設定だ。これがインドの手続きか、と身をもって体験した。
次に、毎日の生活だ。こればかりは留学してみないと体験はできない。
日中の外は焼け付くような暑さのこと。
でもそのおかげで、洗濯はよく乾いていい気分なこと。
それにしても、洗濯紐の位置は高すぎて、毎度椅子の上に登って洗濯を干さないといけないこと。
謎の位置のコンセントと謎のスイッチと謎の蛇口があること。
まれに「この位置のコンセント最高じゃん!!」となるから、変な位置にあるがその位置である意味はあるはず。
ネットバンキングやアプリを使うのに、OTP(One-Time-Password)がその都度発行されるが、それがなかなか届かないこと。
OTPみたいな略語がたくさんあって、この略語がいったい何を指すのか意味不明なときがあること。
移動をするときはOlaとUberの料金を比較して安い方を乗ること。
基本的に自分の足ではほとんど歩かないこと(日本での生活と比べて)。
アプリでの決済が可能なところが増えてきていて、現金を持ち歩いている学生は私の周りでは少数派であること。
「日本人の友達がいるんだよね」と自慢したいだけの人が近寄ってくること。
買い物に行っても、ただ外を歩いているだけでも「外国人だ!」の視線を集めること。
どんなときも交渉をしなければいけないこと。
買い物の時もオートで移動する時も何かの支払いをするときは、その値段に納得してからお金を払うこと。
納得できてない場合は払わず話し合いをすること。
夕方のお茶の時間は至福のひとときなこと。
たまに食べるノンベジの食べ物は最高に美味しく感じること。
いろいろある。
おそらくこういう、なんでもない「日常」が留学の醍醐味なんだと思う。
これらはコロナ禍に限ったことではない。コロナ禍であろうとなかろうと、留学しなければ体験できないことだ。
ではなんで、コロナ禍なのに留学しようと思うのか、という話になる。
つまるところ、時間の問題だ。
コロナ禍であろうとなかろうと、1日は24時間だし、誕生日はほっといても来るし、12ヶ月が終われば1歳年を取る。こればかりは変えることができない。
日本への留学生が4月の新学期から入国できるようになることを願ってる。日本にいる留学を検討している人たちには、自分の人生の時間を自分自身と相談して2022年度が素晴らしいものになるといいなと思う。
そんなことを考える余地もなく、留学が決まった方は留学先で事故にあわないように、なるべく元気に、いろんな人に出会って、たまに落ち込んで、孤独や無力さを感じながらも勉強や研究が進むといいですね。達者で。