「あれ、これイケんじゃね?」手応えをつかんだトム・ブラウンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#12(前編)
2018年、M-1グランプリの決勝で強烈な印象を残したトム・ブラウン。狂気すら漂う芸風で活躍を続けるふたりに、《ファースト・ステージ=初舞台》について聞く。
コンビ結成当初はコント中心で、彼らの代名詞といえる「合体漫才」もまだ誕生していなかったが、地元・札幌での初舞台は上京への自信につながる大きな経験になったようだ。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
柔道部の先輩と後輩がお笑いコンビに
左から:布川ひろき、みちお
──ピン芸人だった布川さんと、プロのスノーボーダーを目指していたみちおさんがコンビを結成された経緯から教えてください。
みちお スノーボード仲間がケガしたのを見て、「これ命がけだな……」とプロの道を諦めたときに、布川くんがピンで札幌のローカル番組に出ていて。布川くんがテレビに出られるなら簡単な世界だなと思って、まず別の人とコンビを組んだんです。
布川 ナメてますね〜。
──布川さんはすでにピン芸人として北海道で活躍されていたんですね。
布川 いやいやいや、そんなことはなくて。当時所属してた札幌よしもとには、正統派の芸人を育てるっていうコンセプトがあったみたいで。それこそタカアンドトシさんみたいな。僕はそういうネタをやってなかったんで、どのライブでもだいたい最下位でしたね。
だけど、東京よしもとのお偉いさんが来たときに、僕だけ『ヨシモトファンダンゴTV』(※)に出られることになったんですよ。それで、「札幌は向いてないのかな。東京に出たほうがいいのかもなぁ」って思うようになっていました。
※当時、スカパー!などで放送されていた吉本興業のお笑い専門チャンネル
──そのタイミングで布川さんがみちおさんに声をかけ、コンビを組むことになったと。
みちお コンビを組んでは1〜2カ月くらいで解散、というのを繰り返していて、ピンでやろうかなと思っていたときに声かけてもらった感じですね。
布川 養成所で出会った知らない人に人生を預けるのって、イカレてるなって思いません? いつ裏切られるかわかんないじゃないですか。お笑いやってて、自然と仲よくなった人とコンビを組むならわかりますけど。みちおは高校の柔道部の後輩だし、一度お笑いに誘ったこともあったので。でも、僕がみちおを追っかけてるみたいで、なんかイヤですね。
みちお ちなみに、柔道部に僕を勧誘したのも布川くんなんで、僕に夢中だと思います。好きな女性のタイプだけちょっと言ってもらっていい?
布川 太ってて、歯茎が多い子。
みちお 僕は歯茎も多いし、肉体もタイプと合ってる(笑)。
布川 奥さんも歯茎が多いんで。まあ、そうっすねぇ……。
──布川さんはネタのテイストが札幌に合わないと感じていたそうですが、みちおさんとはコンビの方向性などの擦り合わせはされたんですか?
布川 最初はコント中心で、僕がネタを作ってたんですけど、あんまり擦り合わせたりはしてなかったですかね。
みちお 僕はおもしろいと思ってました。ただ、布川くんがボケで僕がツッコミみたいなネタもやったことがあるんですけど、僕がまったくツッコめなくて。いろんなツッコミフレーズがあったんですけど、全部無視して「うるせーよ!」しか言わないっていう。
布川 「うるせーよ!」と「やかましい!」、このふたつくらい。今は僕が「ダメ〜!」1個ですけどね。みちおに「なんでふたつしかできねーんだよ!」って言ってたのに。
ギリギリまでネタ合わせし、手応えをつかんだ初舞台
──おふたりにとって、初舞台のような位置づけにあたるのはどんなライブなんでしょうか?
みちお コンビで東京に出ようってことになったんですけど、その直前、2009年に札幌で単独ライブをやったんです。僕はその単独が記憶に残ってますね。路上ライブやフリーのライブに出たことはあったんですけど、ちゃんとした舞台に立ったのはそれが初めてだと思います。
布川 「BLOCH」っていう、キャパ100人ぐらいの演劇の小屋で。この前も久しぶりに出ましたよ。
──単独ということは、いきなり何本もネタを用意したんですか?
布川 はい、8本ですかね。東京に行ってた先輩に上京の相談をしたら、「東京は札幌よりライブの数が多くてすぐにネタがなくなるから、いっぱい作って持っていったほうがいいよ」って言われて。じゃあ単独ライブをやったほうがいいなと。ただ、みちおはライブ前日になっても7本覚えてなかったんですよ。「おい、マジかこいつ!?」と思って、ブチギレそうでした。フフフ。
みちお シンプルに「まだ大丈夫だろ?」と思ってて。普通のライブでネタを1本やるとして、お昼ぐらいから練習すれば夜にはできちゃうじゃないですか。その感覚でいたんですけど、今思うとゾッとしますね(笑)。
布川 当時、コミュニティFMでラジオをやらせてもらってたんですけど、そこは22時以降になると収録した音楽を流すだけだったんで、スペースを貸してもらって泊まりがけでネタ合わせしました。冬は外だと寒くて死んじゃうんで。
みちお 朝5時くらいまでほぼ寝ないで、そのまま単独だったんで、ちょっとキツかったですけどね。
布川 おまえのせいだよ。練習してても立ったまま寝るんで、みちおが寝そうになったら起こすっていう役で後輩芸人にふたり来てもらったんですよ。
──ライブの手応えはいかがでしたか?
みちお マジでヤバいんですけど、「あれ、これイケんじゃね?」っていう感覚が生まれちゃったんですよね(笑)。布川はどうだった?
布川 ちゃんと反応はあったな、とは思ってたけどね。
みちお やってるほうが楽しむのはお門違いかもしれないんですけど、やっててすごく楽しくて、それがお客さんに伝わった雰囲気もあって、すごくいいなと思いました。
布川 ただ、みちおがネタを毎回間違えても僕は何も言わなかったんですけど、僕が最後の1本でほんのちょびっと噛んだら、みちおが袖で「今噛んだよね?」って詰めてきたのは、一生忘れないですけどね。
みちお そこで噛んだら終わりだよってところで噛んでたんで。
布川 いやいや、おまえ7ネタ間違えてただろ、おい(笑)。
みちお いや、僕はわりと噛んでも大丈夫なところで噛んでたんで。フフフ。
布川 大丈夫じゃないよ、なんだそれ。
──当時から先輩と後輩っぽい関係ではなかったんですね。
みちお そうですね。柔道部時代も「タメ口でもいいですか?」って聞いて、途中からタメ口使わせてもらってたんで。最初、布川くんは「え?」って顔してましたけど。「ま……まあ、いいよ」って。フフフ。
布川 俺の反応が合ってるよ。普通、タメ口使わないでしょ。
好調なオーディションから一転、木村カエラの悪夢
──単独で手応えをつかんで上京されたわけですが、その勢いのまま活動できたのでしょうか。
みちお 上京した次の月くらいに、マセキ芸能社さんのネタ見せに行ってみたら、1発目でオーディションに通って、すぐライブに出られたんですよ。ライブでもまあまあウケて、スタッフさんも「おもしろかった」って言ってくれて、「お! イケるじゃん」と思いましたね。
次の月もすぐ通って、ライブもいい感じで、スタッフさんもまた褒めてくれて、「これはマセキに入れるぞ!」ってふたりで話してたの、いまだに覚えてます。
布川 イケそうだと思いましたね。「2回連続で通るって、事務所所属(のコース)に乗っかってるよ」って、マセキに入ったばかりの三四郎の相田(周二)さんが袖で言ってくれたりしたんで。
みちお で、また次の月にやったネタが、木村カエラさんのCMのネタで。当時、「ホット、ペッパ、ピプペポ♪」って木村カエラさんが歌いながら踊るホットペッパーのCMがあったんですけど、僕がその木村カエラさんに扮して、衣装着てヅラつけて歌い続けたんです。3分くらい(笑)。
布川 それを僕が「ホットペッパーの木村カエラだぁ〜!」ってずっとツッコんでるっていうネタをやったら、落ちました。ハハハ……。
──なんか斬新な感じもしますけどね(笑)。
布川 僕らも「そんなわけない!」って受け入れられなくて、普通はネタ見せって同じネタを何度もやんないんですけど、次もまったく同じネタやって。
みちお 2回連続で木村カエラやったら、もう受からなくなった。「この人たちはダメだ」っていう感じ。
布川 三四郎さんとかに会ったらいまだに言われますよ、「今日、木村カエラやんの?」とか。あれはよくなかった。単独でもやらなかったネタを、イケると思って調子こいてやって。
みちお 「バケモノみたいなネタができたぞ!」と思ったら、ホントにただのバケモノで。フフフ。「そんなわけない」って思ってたの、あれなんだったんだろ?
布川 「いいよなぁ、このネタ。おかしいよ」って言ってな。
みちお そのへんから、「これじゃダメなんだ。わ〜、どうしよう」ってなって、ちゃんとやらなきゃって感じになりましたね。
みちおの発想と、布川の構成──トム・ブラウンのネタ作り
──そこからもネタを変えて、オーディションは受け続けたのでしょうか。
布川 はい。でも、8カ月連続でオーディションに落ちて、行くのはやめちゃいました。で、「強いネタをちゃんと作ろう」と、フリーのライブに出るようになったんです。4本くらいイケそうなネタができたときに、先輩の芸人さんが、「ケイダッシュステージは、ネタ見せのときにダメ出しとかもしてくれるらしいよ。一緒に行かない?」って誘ってくれて。
受けてみたら、ライブに出させてもらえることになりました。その先輩は落ちたんで、気まずかったんですけど。
みちお ちょうどケイダッシュステージが若手を増やそうとしてたタイミングで、今までは1〜2組だったのが、5〜6組くらい受かるようになったところだったんで、めちゃくちゃラッキーでしたね。
──またオーディション通過とライブ出演が続いて、ケイダッシュステージに所属されたと。オーディションを受け続けていくなかで、ネタの変化などはありましたか?
布川 当時は僕がネタを全部作ってたんですけど、東京に来て一番感じたのは、僕が作ったボケが、みちおが言ってる感じになってないというか。僕が作ったセリフを言わされてる感じになっていて、みちおが言いそうな言葉にできてなかったんですね、おそらく。
みちお コントもやるけど、漫才もいいかなって話になったと思うんだけど、どのくらいの割合で変わっていったんだっけ?
布川 事務所に入るタイミングかな、ライブでネタができてなくて、漫才をただただアドリブでやってみたことがあったんですよ。そしたら、なんか反応がよくて、そこから漫才中心にやるようになりましたね。
で、ネタもみちおが作ってみるかって話になったんです。みちおがアドリブでやったほうがウケたってことは、自分で言葉にしたほうが合ってるんだろうからって。
──いわゆる「人(ニン)」(その人が持つ個性や雰囲気)に合ったネタに寄せていったという感じでしょうか。
布川 ああ、そうですね。
みちお しばらく漫才は僕が作って、コントは布川が作ってたんですけど、だんだん、アドリブでネタ合わせしながら、ふたりで作っていくようになりましたね。
布川 みちおがひとりで作るネタは、構成がめちゃくちゃだったんですよ。僕もそんなにわかるわけじゃないんですけど、いきなり「人を機関銃で撃つ」とか言い出してたから(笑)。
──なんのフリなどもなく?
布川 はい。かと思ったら、次に(お互いに自動ドアの動きで)「ウィーン」「ウィーン」「どっちも(ドア)じゃねーかよ」みたいなボケが来て、「順番どうなってんだ、これ?」みたいな。それで、ふたりで作るようになって。
みちお 今は完全にふたりで作ってる感じですね。
──ふたりでどのようにネタを作っていくんですか?
布川 みちおがまず設定をいくつか持ってきて、それを僕が精査して、一番おもしろそうなものを一緒に形にしていく感じですかね。
──発想の部分をみちおさんが担っていて、布川さんがそれをどう届けるか俯瞰的な視点で構成しているんですね。どこか作家と編集者みたいです。
みちお そんなおしゃれなたとえ知らなかったです。フフフ。ありがとうございます、今後使います。
文=後藤亮平 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽
トム・ブラウン
2009年結成。布川ひろき(ぬのかわ・ひろき、1984年1月28日、北海道出身)と、みちお(1984年12月29日、北海道出身)のコンビ。高校時代に柔道部の先輩後輩だったふたりがコンビを組み、地元・北海道から上京。2018年、M-1グランプリ決勝に進出。みちおが有名人やアニメのキャラクターを合体させるという「合体漫才」で大きなインパクトを残した。オールナイトニッポンPODCAST『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』(ポッドキャスト/毎週金曜18:00ごろ配信)は、布川が自らの髪の毛を切ってリスナーにプレゼントするなど、特異なノリで話題となっている。
5月8日(日)の長崎公演を皮切りに、『トム・ブラウン全国五大都市ツアー2022「がちょん十一郎」』を開催。詳細はこちら!
『ももクロちゃんと!』トム・ブラウン出演回がテレ朝動画「logirl」にて配信中!
「ヤバいおじさん」ことみちおさんが、ももクロメンバーに楽屋ドッキリを仕掛けられています。
みちお「僕、楽屋で歌を歌ってたんですけど、なんの曲を歌ってたのかまったく思い出せないんですよ。僕の鼻歌でその曲名がわかった人、ご連絡お待ちしてます」
布川「ももクロのみなさんはアイドルなのに、みちおの気持ち悪い動きとかを見ても引かずに笑ってくれたのがすごいなぁと思いましたね」
テレビ朝日にて4月30日(土)深夜3時20分〜放送の『ももクロちゃんと!』にもトム・ブラウンが出演するので乞うご期待!
(写真:『ももクロちゃんと! ももクロちゃんとヤバいおじさん Part1』)
(写真:『ももクロちゃんと! ももクロちゃんとヤバいおじさん Part2』)