R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編)
3月に開催された『R-1グランプリ2022』で下馬評を覆し、見事優勝したお見送り芸人しんいち。
ギター弾き語りで「僕の好きなもの」を爽やかに歌い始めたかと思えば、皮肉たっぷりに毒を吐き、絶妙な「あるある」を突いていくスタイルが痛快だ。
そんなしんいちには、現在のスタイルに至るまで紆余曲折があった。R-1の大舞台を誰よりも楽しんだ男が、ギターを握ってステージに立つまでの前日譚──。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
歌ネタ芸人は小馬鹿にしてた
──ギターの弾き語りスタイルは、サンドウィッチマンの富澤(たけし)さんに勧められたそうですね。
しんいち そうですね。いろいろ迷ってる時期、事務所の先輩の富澤さんに「ギター弾けるんだったら、歌ってみたら」って言われてからです。でも最初はイヤでしたよ。「なんで俺が歌ネタやらなあかんねん!」って。でも半信半疑でやったら、なんかハマって、ラッキーって感じでした。
──ギターはもともと弾いてたんですね。
しんいち そうですね、趣味というか……まあモテたくてやってましたね。
──実際モテたんですか?
しんいち コンパではモテましたね。弾きながら歌えると、いい感じになるんですよ! まず「なんで芸人がコンパにギター持ってきてんねん!」というボケになりつつ、でもちゃんとうまいっていうギャップがいいっぽくて。
最初に言っときますけど、僕、お笑いもギターも、学生時代やってたサッカーも全部モテたくてやってました。ほんとに全部が不純な動機なんです。
──実際にモテたならすごいです。でも、そんなに人を惹きつけたギターと歌を、ネタで使おうとは思わなかったんですね。
しんいち 昔は歌ネタ芸人さんを小馬鹿にしてたんで、それはなかったですね。漫才やりたくて芸人になったんで、「しゃべれない芸人はダメっしょ」くらいに思ってましたから。
でも、いざ自分でやってみたら「テツandトモさんすごっ……」ってなりました。こないだお会いしたときも「昔むちゃくちゃ馬鹿にしてました、すんません! でも今はどんな芸人さんよりも尊敬してます!」って謝りましたよ。今の僕は、歌ネタ芸人さんリスペクト、ピン芸人さんリスペクトですね。
──歌ネタを小馬鹿にしていたのに、富澤さんに言われたら一応ギター持ってステージに上がったところが素直ですよね。
しんいち なんでやれたんでしょうね。覚えてないですけど……でも今となっては、僕は自分でいろいろ考えてるころよりも、人に言われたとおり素直にやってる今のほうがおもしろいなって思います。今はもう「俺は才能ないしなんもできへん。みんなアイデアちょうだい」って感じです。
──ピン芸人だけど、セルフプロデュースを諦めた。
しんいち はい。まわりの人間全員でしんいちを支えてくれな、僕は売れませんって思ってるんで。実際、事務所の先輩の永野さんが親身にアドバイスしてくれますし、R-1の台本は街裏ぴんくさんが最終チェックしてくれたんですよ。今となっては、あんだけおもろい人が全部チェックしてゴーサイン出してくれたんだから、そりゃ優勝するわって感じです。
一番無欲で、一番楽しんだR-1決勝
──今年のR-1は強者ぞろいでしたが、いかがでしたか?
しんいち ほんと誰にも期待もされてませんでしたから。僕に優勝予想してた人はほとんどいなかったんじゃないですか。実際、別に優勝も狙ってなかったんですよ。決勝行けた時点で満足して、ゴールデンタイムの生放送でネタできるだけで幸せだと思ってたので、勝つ気はなくて。ファイナリストとしてサンドウィッチマンさんの営業とかイベントに呼ばれて、月20万円くらいもらえたら、お笑い続けられるなぁって感じでしたね。
──気負いはなかった。
しんいち もちろん緊張はしてましたよ。でも全ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いないです。それで1本目やったら、なんと2本目できるとなって。それだけでじゅうぶんすぎるので、裏でも「優勝は絶対ZAZYなんで、僕は楽しんできまーす」って言ってましたもん。
──本番では手応え感じましたか?
しんいち それも全然なかったですね。言いたいこと言って、楽しんで歌っただけ。たしかに控室では「みんなスベれ!」って言ってましたよ。でも、僕なんかが本当に行くわけないって感じでした。
──なんで今回しんいちさんがハマったのだと自己分析してますか?
しんいち それもたぶん僕が一番無欲で、一番楽しんだからちゃいます? あの生放送2時間をフルで楽しんだのは、僕やと思うんですよ。みんな事前インタビューでもどっかで「勝ちにいく」と言ってるんです。サツマカワ(RPG)はけっこうボケてましたけど、あのボケの裏には「俺が勝つんだぞ」が透けて見えてたというか。僕だけが事前番組でも一切ボケず、感謝を伝えるだけのVTRでしたから。
──ご自身でも驚きの優勝で号泣してましたが、それでもブルゾンちえみさんをイジったのがさすがでしたね。
しんいち そうっすね……どうしてもあのブルゾンが生放送であんなにネタ飛ばしたことは、いつか言いたいってずっと思ってたんですよ。「みんな忘れないでくださいね」って。風化させてはならないですから。でも負けコメントで言うつもりだったんで、まさか優勝して言えるとは思ってなかったですね。
地元で"明石家さんま"と呼ばれた男
──そもそも芸人という職業を意識したのはいつごろですか?
しんいち 小学生のころから芸人とサッカー選手しか興味がなかったんです。学生時代はサッカーで強豪校・北陽高校(現・関西大学北陽高等学校)に入り、大学もサッカー推薦で入学したんです。でも、高1の時点で「上には上いるな」と気づいてプロは諦めて。
とはいえサッカーは続けたい。じゃあどうやったら生き残れるかなと考えて思いついたのが、グラウンドで一番声出して、みんなを笑かすことだったんです。
──ムードメーカーに活路を見出した。
しんいち よくいえばそういうことですね。チームの雰囲気をよくするだけで部員120人の中で、Aチーム入れてもらってましたから相当ですよ。地元では「明石家さんまになれるやん!」って言われて調子乗ってたんで、大学卒業のタイミングで親に「芸人やりたい」って言いましたね。案の定猛反対食らいましたけど。
──反対されてどうしたんですか?
しんいち 結局黙ってしれっと芸人になりました。就職もしないまま卒業して、実家から離れて西日本をぐるーっと回るバックパッカーやったんです。その旅を一緒に回ってくれたのが、のちに相方になる男で。そいつは地元の友達だったんですけど、ふたりで屋久島行ったりぷらぷらしながら、やっぱ芸人やろかって。帰ってきたその足で大阪の松竹芸能に行きましたね。親には養成所入ってしばらくしてから「芸人やってる」って伝えました。
──既成事実を作ってから報告した。
しんいち そうなりますね。そこで渋々オーケーしてくれました。まぁ2〜3年で辞めるやろって思ってたんでしょうね。
──じゃあその相方と松竹で踏んだのが初舞台ですか。
しんいち 漫才しましたねぇ。さっきも言いましたけど、しゃべりで勝負したいと思ってたんですよ。コンパでもいつもウケてるし地元では「さんま」とまで言われてたから、絶対ウケるやんと思ったのに、全然通用しませんでした。そもそも初めてのネタがほぼ笑い飯さんの野球かなんかのネタのパクリだったんですよ。めちゃくちゃスベったことだけ覚えてます。
──笑い飯さんの名前が出ましたけど、なぜ吉本じゃなく松竹にしたんですか?
しんいち 吉本では勝てないかもってうっすら思ってたんですよ。松竹ならいけるかなと。
──当時の大阪の松竹はどうでしたか。
しんいち 僕らあたりの若手は誰も活躍してないですよ。養成所では、松竹の所属芸人じゃなくて、吉本の若手のネタ映像を見せてましたし(笑)。ほんとに全員おもんなかったです。でもそんなしょぼいメンバーの中でも、僕らは1位獲れなかったんですよ。そら才能ないって今ならわかるけど、当時はわかりませんでしたね。
僕は好きなことしかできない
──今はグレープカンパニー所属ですが、どういう経緯で移籍したんですか。
しんいち 移籍ではないです。2009年10月にデビューして1年半後に退所して、東京に行ったんです。実家で親に迷惑かけ続けるのもつらかったし、東京でやってみたいと思ってたんですよね。でも東京出た瞬間に相方が「消防士になりたい」って大阪に戻っちゃって、そこから芸人活動が止まったんです。
相方と別れた当時の僕はそれから2年半なんもしてませんでした。ネタは作らんで、ゲームして、バイト行って、女の子と遊んで……。お笑い番組観て評論して「あいつおもんないなぁ〜」とかってやってましたねぇ。
──R-1で歌ったフレーズ「自分のほうがおもしろいと勘違いしてて テレビの前で点数つけてる視聴者好き」そのままですね。
しんいち そういう過去があったから、歌っちゃったんでしょうね。今となっては、なんて愚かなんだと思いますから。コンパでウケて満足してるヤツが舞台でウケますか?って話ですし。
──あのフレーズで目が覚めた視聴者も少なくなかったと想像します。
しんいち それまで点数つけてたアカウントのツイートが止まったって聞きましたね。たしかにそれまでは、SNSとかで点数つける視聴者をバカにする人とかいましたけど、生放送の賞レースで言うのは僕が初めてだったでしょうね。
ちなみに昔の相方は京都で消防士になってて。R-1優勝したときもLINE来たんですけど「今まで生きてきて一番うれしい出来事だった」って言われて、あれはうれしかったっすね。
──そこまで芸人から離れていたのに、どうしてグレープカンパニーに入れたんですか?
しんいち 最初は松竹芸能の社員さんに紹介してもらったんです。それでとりあえずネタ見せ行ったら、しっかり落ちまして。
──紹介で行ったのに落ちることがあるんですね……。
しんいち そうなんですよ。フリップネタかギャグやったのかな、ちゃんと覚えてないですけど、ネタ弱すぎたんでしょうね。痛々しい服装とキャラクター、声の出し方で色物芸人っぽくやって。グレープカンパニー受けたのも、松竹入ったときと同じで、こんな小っちゃい事務所ならすぐ上に行けるわって考え方だったんですよ。なのに、落ちた。
でも、グレープの先輩にかわいがってもらったら入れるかもと思い、手伝いしてたらなんとか潜り込めて。ここでもネタで拾ってもらったわけじゃないんです。
──所属になってからは、どう過ごされてたんですか。
しんいち 相変わらず手伝いばっかりでしたよ。舞台出ても10カ月連続最下位とかで。そんなんでネタが弱いから、ずっとサンドウィッチマンさんのツアーの手伝いしてました。芸人をクビにならんためだけに動いてた日々ですね。ツアーの手伝いして、先輩にかわいがってもらっとけばクビにならんしって。ただただ、ずる賢かったですね。
──でも、そうまでして芸人にこだわった。
しんいち たぶんほかにやりたいことなかっただけなんです。ほんと怠け者で、コンビニも居酒屋もラーメン屋も、どのバイトも1カ月と続かない。唯一続いたのがフットサル場のスタッフですから、ほんとに好きなことしかできない人間なんですよね。
──結果が出せないのに、お笑いを続けるのは苦しくなかったですか?
しんいち つらさはなかったっすねぇ。自分は天才みたいな感じで自信だけはあったんで。まだそんときは、自分は地元であんだけおもろいねんから絶対大丈夫やって。地元帰っても、みんなのこと笑かすから「なんでこんなおもろいのにテレビ出れへんの?」って感じでしたし。あと、北陽高校の先輩にピースの又吉(直樹)さんとか、アイロンヘッドのナポリさんとかいて「先輩ががんばってる!」みたいなのも支えになってましたね。
とはいえ、ネタ見せでも全然結果は出ないし、恥ずかしさはありました。テレビに出る人気者タイプでもなければ、芸人ウケがあるわけでもない。でもまあ、売れずともいっかって不思議と生きてられましたね。
それで2015年ごろかな、ギターを持って歌うようになって状況が変わったんですよね。
お見送り芸人しんいち
1985年4月21日、大阪府大東市出身のピン芸人。2009年10月、大阪松竹でコンビ「しんいちけんぢ」としてデビュー。2012年3月に退社後まもなくコンビ解散。約2年半の活動停止期間を経て、2014年10月にグレープカンパニー所属後はピンとして活動。芸歴10年以内のピン芸人ナンバーワンを決める『R-1グランプリ2022』で、自身ラストイヤーにして初のファイナリストとして出場し、見事優勝した。YouTubeチャンネル『お見送り芸人しんいちの『嫌われ者』』で、ネタや企画動画を随時アップしている。
文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽