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爪跡と生活  - Life with Disaster - 鹿沼・黒川篇

 冬の清々しい空気の中で西日が優しく傾き始めていた。仕事で毎日のように通う鹿沼街道、府中橋。そこから北へ眺める日光連山は、夕闇に青く煙り格別に美しい。しかし、橋から望む黒川の姿はいつも通りのものではない。そこかしこに流木が放置され、河原は無残にも破壊されつくしている。12月の寒空の下、橋に佇み、過ぎ去った秋に想いを馳せる。

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 鹿沼市で行われる「秋祭り」はおよそ400年前の慶長の時代から続き、市内の各町が所有する豪華絢爛な彫刻屋台が勢ぞろいして街を練り歩く伝統ある祭りだ。それら屋台の様相は日光東照宮の宮大工が創作したと言われている通り、まさしく「動く陽明門」という形容にふさわしい。祭は屋台を曳いて練り歩くだけではなく、「ぶっつけ」と呼ばれる、屋台同士が正対して囃子を掛け合う対決が見ものである。リズムを崩した方が負けだ。その緊張感がまた心地よい。煌びやかな屋台が街を埋め尽くす昼間の祭りももちろん良いが、色とりどりの提灯で飾られる夜の屋台もまた魅力的だ。

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 ユネスコの無形文化遺産にも指定されているその鹿沼市の秋祭りが中止される決定が下されたのは開催の2日前、2019年10月10日だった。そして秋祭り当日、台風19号が日本全土を蹂躙した。

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 鹿沼市は栃木県の西部に位置し、北西には男体山を中心とする日光連山と中禅寺湖を頂き、東に宇都宮、北に日光を控える歴史のある街だ。市内にはJR日光線鹿沼駅と東武日光線新鹿沼駅とがあり、いわば日光への玄関口だ。人口は9万6千人ほどだが、2日間行われる秋祭りには県の内外から32万人の観光客が訪れる。2019年は10月12日・13日に開催が予定されており、今年も多くの観光客を迎えようと各町ごとに準備に大わらわだった。

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 ところが、きわめて強力な勢力の台風19号接近の報を受けて、秋祭りの中止は決定された。安全面を考慮すれば至極当然の判断だったが、実際の台風被害はこの時の予想をはるかに上回るものだった。

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 台風19号の被害は鹿沼市全体で死亡者2名、負傷者3名の人的被害を出し、全壊10棟を含む建物被害は726棟にのぼった。被災後の災害ゴミの量では断トツの栃木市や2位の佐野市こそ下回るが、それでも宇都宮をはるかに凌ぐ1万トン超の災害ゴミが発生した。

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 鹿沼市内の河川氾濫は他に粟野川などもあったが、最も大きかったのは市内の中心部を流れる黒川である。黒川は日光南部を源流とし、JR日光線と東武日光線との間の市街地のほぼ中央を南へと流れている川だ。この黒川にかかる府中橋から朝日橋の間の右岸約300mほどが崩落した。ここは学校やデパートもほど近い市の中心地の一画で、堤防のすぐ外側には住宅やマンションが立ち並ぶ。河川敷に設置された黒川河川公園では、散歩やジョギングだけでなく、鮎釣りなどを楽しむ市民の姿が頻繁に見られた。

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 下野新聞によると、黒川を含む3河川の氾濫情報は発令されなかった。未曽有の災害に自治体の混乱もたぶんにあったであろう。粟野川の氾濫時刻は19時20分ごろとされ、続く黒川の氾濫時刻は10月12日の深夜とみられているが、正確な氾濫時刻は不明のままだ。その川岸には「元年災起点」とラベリングされた目印が配置されていた。ここから黒川は氾濫した。

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 黒川の氾濫で特筆すべきはその破壊力だ。公園には歩行者専用の橋として「ふれあい橋」という、橋脚に床版を載せただけのシンプルな桁橋が存在した。河川敷の宿命ともいえるが、ふれあい橋は大水が発生するたびに橋桁ごと濁流に飲まれていたのだが、構造が単純なためであろうか、幾度かの台風被害にも無事生き残ることができた。それが今回の台風19号では、あまりにも強力な濁流が黒川を覆い尽くしたため、残念ながら橋全体が流されてしまった。

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 台風被害を受ける前の河川敷にはサッカー場なども整備され、屋根付きのベンチなどもあったが、流木が激流に乗ってそれらを襲い、大きくひしゃげ原形をとどめていない。川底にも大きな力が襲いかかり、コンクリートで固められていたはずの川岸は無残にも粉々に砕かれていた。一面が瓦礫と化した河原はあまりにもシュールで、まったく現実感がわかない。細かく粉砕された岩石。堆積した泥。深くえぐられた川底。漂流物も無数に横たわる。中には人の大きさほどもあるブロックなどの重量物もある。以前は美しく手入れされていた河川敷だが、今はもう跡形もない。

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 鹿沼市の被害で大きかったのはハードウェアだけでなく、農業被害も負けず大きかった。栃木県は「とちおとめ」ブランドをはじめとするイチゴの産地として知られ、県別の生産量では51年連続で日本一を誇っている。栃木県の資料によると、その中でも鹿沼市は「いちご市」と銘打って積極的なイチゴ生産を推進しており、イチゴの作付面積では県内でも有数の産地である真岡市・栃木市に次いで第3位だ。

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 イチゴ栽培の多くはビニールハウスによるもので、通常、10月下旬に花が咲き、11月中旬には出荷する。それが今回の台風では黒川及び粟野川が氾濫し、開花前の大事な時期に、市内の多くのイチゴ畑農家が甚大な被害を蒙った。その被害金額は栃木県全体で43億円を超え、そのうちイチゴの被害だけでも21億円に届く。作物・農業関連の施設の被害を合わせると、鹿沼市内だけで3億円を超える見込みだ。栃木県のイチゴ農家は、冬のクリスマス需要を前に大打撃を受けたのだ。残念ながら鹿沼市の今年のイチゴの出荷は、多くのイチゴ農家ではほぼあきらめざるを得なかった。

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 幸いなことに、地元の生産組合が栽培した来季のイチゴの苗が鹿沼のイチゴ農家に届くなど、農業分野では復興に向けた取り組みが進められている。だが黒川の河川敷にはまだまだ夥しい数の流木が残っていて、我々の目には災害後手つかずで取り残されているような感覚に襲われる。ある一種の諦観ともいうべきものだろうか。
 自然の脅威とは人工物を破壊する力だけではなく、こういった理不尽な力を見せつけた爪跡を、いとも簡単に自然のものと思わせてしまう何かだ。佇む流木の存在はあまりにナチュラルで、まるでずっとそこにあったオブジェかのような錯覚に陥る。あるいは我々人間の方が異物なのか。秩序とは何なのだろう。結論のない問いが心に浮かぶ。

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 それでも地元の人たちにとって、黒川は憩いの場であることに変わりがない。歩く人、釣りをする人、ただ通り過ぎる人。じっと川を眺めるだけの人もいる。流木に力なく腰掛ける人も。暮色に染まり始めた廃虚のような河川敷に、人々の生活がわずかに垣間見えた。

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 崩落した岸が少しずつではあるが補修されているのは明るい兆しだ。岸にはフレコンバッグを重ねて応急処置をしている箇所が何か所も見受けられた。ところどころではまだまだ立ち入り禁止の部分があるものの、街は落ち着きを取り戻し始め、重機も入り本格的な工事も行われつつある。とはいえ、復旧には数か月どころではなく、ひょっとしたら数年かかるかもわからない。黒川河川敷の全面復旧には長い長い道のりが残されている。

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 それでも街には生活があるし、それには下を向いてばかりもいられない。日々の暮らしは次の年へと着実につながっている。今度の夏にもまた台風が来るかもしれない。それでも連綿と続く伝統が途切れることはないし、鹿沼の人々はまた秋祭りに向けて動き出すことだろう。来年の秋には、絢爛豪華な彫刻屋台の競演を再びカメラへ納めたい。

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