爪跡と生活 - Life with Disaster - 佐野・秋山川篇
2019年10月12日午後9時20分、佐野市を襲った台風19号は市内を流れる秋山川を新海陸橋付近にて決壊・氾濫させ、その周囲の赤坂町・田島町に甚大な被害を与えた。田島町に店を構える佐野ラーメンの人気店、「麺屋ようすけ」もその一つで、溢れ出た水や土砂が押し寄せ、店舗の床上70cmまで浸水した。数十万円もするような高価な業務用冷蔵庫や仕入れていた食材など、被害金額は合わせて約2,000万円にものぼり、この後約1か月半もの間、やむを得ず休業を余儀なくされた。
佐野市は栃木県の南西部に位置し、人口は11万8千人ほど。国道50号と東北自動車道がクロスする周辺にあり、東京から70km圏内という便の良い位置にあることから、佐野プレミアムアウトレットやイオンショッピングモールなどの商業地が誘致されている。
観光客数における栃木県内での順位を見ると、佐野市は宇都宮市・日光市・那須塩原市に次いで第4位である。餃子や自転車などのイベントが盛んであり、日光への玄関口でもある宇都宮、東照宮や中禅寺湖を中心とした観光資源が豊富な日光、そして日本でも有数の温泉地を持つ那須塩原と比較すると、ちょっとしたショッピングモールだけでは観光客数は伸びないはずだ。
だが佐野市には、他の県内地域にはない良質の観光資源がある。
その観光資源は何といっても佐野ラーメンだ。佐野市観光協会のホームページによると、佐野ラーメンは佐野市周辺で産出される良質の小麦を、青竹打ちと呼ばれる独特の技法によって製麺し、独自の味とコクを引き出している。青竹打ちは麺の中に気泡が多くできるので、熱伝導が良く短い時間でゆで上がり、腰の強い美味しい舌触りの麺が出来上がる。そこに透明感のあるさっぱりとした醤油味のスープを合わせるのが特徴だ。
佐野市は昭和初期の人口5万人程度の頃から160ものラーメン店が軒を連ねていたラーメンの街だ。時代を重ねて様々な潮流の店が競い合い、今では2百十数軒ものラーメン店が市内にひしめき合う。
佐野ラーメンによる経済効果はきちんとした数値になっていないものの、前述したショッピングモールなどの商業施設とともに、佐野市の年間観光客数約888万人を下支えしているのは間違いない。佐野ラーメンの人気店は市内の各地に点在しており、地域的にあまり固まっているわけではない。なので、今回の秋山川の氾濫では店の立地によって被害の明暗が大きく分かれてしまった。
秋山川は群馬県みどり市(旧桐生市)との境を源流とし、佐野市内を南へと流れ、やがて渡良瀬川へと合流する。普段はあまり水が流れない川として認識されていたようで、台風の上陸当初は足首ほどまでだった浸水も、決壊後わずか30分ほどで胸まで浸かる水位となり、周辺の住民に深い衝撃を与えた。
決壊箇所付近を歩くと仮設工事が行われていて、積み重ねられた土嚢は大きなブルーシートに覆われていた。この一面が決壊し大量の泥水が流れ出て、赤坂町・田島町一帯は一面の海と化した。
すぐ近くには交通量の多い交差点があり、そこを挟んで住宅地やスーパーマーケットが立ち並ぶ。その住宅地に決壊によって溢れ出た濁流が大量に流れ込み、家屋や店舗・駐車場などにすさまじいダメージをもたらした。
一般住宅はもちろんだが、特に棟の全体が居住不可能になったアパートが多く見受けられた。アパートの入口には使い物にならなくなった大型家電やユニットバスなどが山積みになり、敷地の地面は厚い泥濘で覆われている。住む者も訪れる者もなく、ちょっとしたゴーストタウンだ。住居の間を仕切るフェンスがまるでおもちゃのように倒されており、流れ込んできた濁流の激しさを容易に想像させる。
秋山川の氾濫の特徴は車両被害が多かったことだ。避難場所の小学校にも浸水し、校庭に停められた自動車の多くが被害に遭ったという件はニュースにもなったので知っておられる方も多いだろう。
それを象徴するかのように、水量がごく少なくなった通常の秋山川の中に、1台の自動車が引き揚げられることなく半ば車体を沈めている。まるでオブジェのようなその車体は、周囲の景色とは馴染まず、訪れる人たちも奇異の目を向けている。
佐野市の浸水被害は栃木県内でも栃木市に次いで大きく、災害ゴミの発生量は2019年10月31日の時点で約15,000トンを超える。栃木県内すべての災害ゴミの発生量は同日時点で約10万トン。栃木市の37,000トンと合わせると県内の災害ゴミの半分以上がこの2つの市で発生している。
2015年の東日本豪雨の際に発生した栃木県内の災害ゴミの量は約1万トンで、実にその10倍もの災害ゴミが今回の台風19号による被害で生み出されたことになる。
佐野市の建築物の被害は床上・床下浸水を合わせると2,700棟に届き、経済的な打撃も農業関連で24億円、河川・道路インフラの被害が35億円など、のべ100億円以上に規模になる。そのほとんどがこの赤坂町・田島町周辺での被害である。
河川敷を北へと歩くと、住宅地以外にもそこかしこに台風の爪跡が見受けられる。曲がったフェンス、堆積したゴミ、倒れた樹木など。水門などの破損も大きい。多くがそのまま放置されているが、人々の生活は途切れていない。遠くに男体山が望める見晴らしの良い河川敷には、多くの住民が散歩をしており、風景になりつつある爪跡とともにその姿がうかがえる。
秋山川の被害でもう一つ特徴的なものが崩落した橋の多さだ。決壊箇所から少し上流にある中橋を筆頭に、やや下流の田ノ入橋や山間の上流にある橋など数箇所が崩落した。
特に中橋を見てみると、やや古い構造とはいえしっかりとしたコンクリート製の橋である。中央部から真っ二つに折られた橋桁は、残骸をその場に横たえたまま手つかずで通行止めになっている。
中橋は車両も通行できる中程度の橋であり、住民の生活道路の一部として使用されてきた。川のすぐ上流側・下流側に別の大きな橋があるので住民の生活に大きな不便はきたさないだろうが、JR佐野駅から東へ少し歩けば着く地点にあり、佐野厄除け大師などにもアクセスできる地理であることから、歩いて渡る観光客も多かった。
崩落した橋を眺めながら歩く。
傾き始めた西日を受けて輝く水面と、そこに映し出される折れた橋の姿は、被害の大きさとは不釣り合いなほどに美しい。退廃的な魅力は確かにあるのであろう。そういった誘惑に抗し得るとは自分でも思っていない。台風被害を写真に収めるにあたって気づくのは、人工物が破壊されるとき、それは悲惨さとともにある種の美しさを持ってしまうということだ。それが嫌になるほど我が身に迫る。
橋が崩落しているのは遠目にも認識できる。それを見て何とも言えない感情に突き動かされながらシャッターを切るのだが、同時に画として収まりの良い箇所を探して歩き近づいていく。日の射す方向なども強く意識する。突き動かされた感情だけでは撮れないのだ。そういった方面へ頭を働かせることに忸怩たる思いはあるけれど、他に方法は思いつかない。できる事といえば撮ること、そして書くことだ。そうやって進めるしかないのだろう。
佐野市内にまだまだ爪跡が大きく残っていた2019年11月26日、約1か月半の休業期間を経て「麺屋ようすけ」は再開した。佐野でも5指に入る人気店が復活したのだ。同店では営業再開と開店7周年を祝って、200食限定で「100円ラーメン」を提供した。店の外では県の内外から訪れたファンで長い行列ができた。再開を待ち望んでいたたくさんの人々が、久しぶりの温かいラーメンに舌鼓を打った。
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