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未来のオリンピックについて断定する日本語の非論理性!

先週も、新型コロナウイルスと東京オリンピック・パラリンピックに関連して、さまざまな出来事が続いた。

●3月17日、G7首脳による緊急電話会議を終えた安倍晋三首相は、「東京オリンピック・パラリンピック」について、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証として、完全な形で実現することで主要7か国の支持を得た」と述べた。なお、その直後にリリースされた「G7共同声明」には、「東京オリンピック・パラリンピック」に関する言及は、まったくなかった。

●3月19日、安倍首相は、「東京オリンピック・パラリンピック」を「完全な形で実現する」と述べた自身の発言について、「規模は縮小せずに行う。観客も一緒に感動を味わっていただくということだ」と説明した。

●3月19日、東京都の小池百合子知事は、東京都庁の定例記者会見で、「東京オリンピック・パラリンピック」について「中止も無観客もありえない」と述べた。

未来の出来事を断定する日本語

つい先日、来月から高校3年生になる愚息が「来年は東大に合格する」と言ったので、「未来の出来事を断定する言い方は止めてほしいなあ」と話したばかりである。

もし彼が「来年は東大に合格できるように努力する」という決意や、「来年は東大に合格できるだけの実力を身に付けたい」という願望を述べるのであれば、もちろん理解できる。その場合、彼の「決意」や「願望」は、あくまで現時点での話だから、「現在形」で述べるのが自然だろう。

以前から気になっていることだが、もし英語であれば "will, shall" などの「未来形」を使わなければ文法的に成立しない構文が、日本語では「時制」を完全に無視して「現在形」で「断定」的に使われるケースが多い。

安倍首相の「東京オリンピック・パラリンピック」を「完全な形で実現する」とか、小池知事の「中止も無観客もありえない」という発言は、まるで今から4カ月後の未来の出来事を「断定」しているように聞こえる。

戦時中の「神風が吹いて日本が勝つ」という大本営発表をはじめ、政治家は「公約を実現します」とか「必ず約束は守ります」などと平気で発言するが、結果的に彼らの発言通りにならなかった実例は、枚挙に暇がない。

論理学においては、たとえば「公約を実現する」という発言は、実際に公約を実現する場合に限って「真」であり、そうでなければ「偽」である。したがって、「公約を実現する」と発言しておきながら、それを実行しない政治家は、論理的に単なる「嘘つき」なのである。

すると愚息が、「日本語では、未来の出来事も現在形で表現するんだから、仕方がない一面もあるでしょ」と言った。たしかに、日常的な「来年は合格する」とか「明日は学校に行く」という文を論理的に正確に表現しようとすると、「来年は合格するつもり」とか「明日は学校に行く予定」のように、いちいち「するつもり」とか「する予定」と付けなければならず、面倒だ。

それにしても、日本の首相や東京都の知事の発言は日常会話ではない。未来に何が起こるのかは誰にもわからないのだから、「完全な形で実現できるように努力する」とか「現時点では中止も無観客も想定していない」のように、もう少し未来が自分の思い通りにならない可能性を含意した「冷静」かつ「謙虚」な言い方はできないのだろうか?

首相や知事の「完全な形で実現する」や「中止も無観客もありえない」という発言は、さまざまな言語に翻訳されて世界中に配信される。言語によっては「断定文」として翻訳されて、必要以上に「強硬」な印象を与え、反発や誤解を招く可能性があるのではないだろうか?

いずれにしても、未来は訪れる。結果的に「完全な形で実現する」とか「中止も無観客もありえない」という未来が実現しなかった場合、逆に彼らの発言を信じて突き進んだ人々に対して、首相や都知事は、どのように釈明するつもりなのだろうか?

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