小飼弾氏の『ゲーデルの哲学』書評!
小飼弾氏といえば、中学卒業後15歳で大学検定に合格、17歳でカリフォルニア大学バークレー校に入学した天才である。1999年には「株式会社オン・ザ・エッヂ」(その後の「株式会社ライブドア」)の取締役、翌年には最高技術責任者に就任し、「Perl」の「Ver 5.8」など多彩なプログラミング言語の開発に携わった。2004年には書評ブログ「404 Blog Not Found」を開設し、その影響力から「アルファブロガー」としても知られるようになった。
『ゲーデルの哲学』書評
小飼氏の『ゲーデルの哲学』書評が「404 Blog Not Found」に掲載されたのは、2007年1月31日である。書評の冒頭にも触れられているように、『ゲーデルの哲学』の初版が発行されたのは1999年8月なので、小飼氏は「株式会社オン・ザ・エッヂ」取締役として超多忙だった時期と重なる。
その7年後のある日、『ゲーデルの哲学』のAmazon売上ランキングが跳ね上がっていますよと、講談社の編集者から連絡を受けた。それが、小飼氏の書評のおかげだったのである。深く感謝を込めて、彼の書評を紹介しよう!
これほどの力作を見落としていたとは、私のアンテナも大したことないな....
1999年8月という出版時期が悪かったと言い訳しておこうか。確かにこの時期というのは私が一番本を読まなかった時期と重なるので。
本書「ゲーデルの哲学」は、不完全性定理の一般解説書と私が日本語で読んだ中では最良の書であると同時に、クルト・ゲーデルという(息子|夫|男)の伝記としても最も感動した書である。
目次
不完全性定理のイメージ
完全性定理と不完全性定理
不完全性定理の哲学的帰結
ゲーデルの神の存在論
不完全性定理と理性の限界
個人的には、不完全性定理を、20世紀最大の発見だと思っている。その次が不確定性原理で、相対論は三番目。なにしろ不完全性定理は、数学の限界を、そして不確定性原理は物理の限界をまざまざと見せつけたから。限界は無限のかなたにあるのだけど、しかし確かにあることがわかってしまったという意味で、時代はBGとAG、すなわちゲーデル前とゲーデル後に分けていい位のインパクトがある。
その不完全性定理を解説した書は少なくない。およそ無限を扱った書であれば避けては通れぬ話題ゆえ、「Gödel, Escher, Bach」でそれを知った人も多いだろうし、上記の「無限の果てに何があるか」でも当然扱っている。また、それが主題の本も、過去本blogでは「ゲーデル・不完全性定理」や"Infinity and the Mind"を紹介してきた。
しかし、「不完全性定理これ一冊」、そして「ゲーデルこれ一冊」といえば、今の私なら迷わず本書を推す。"Infinity and Mind"が入手困難の中、砂漠の中に森を見つけた思いだ。
まず不完全性定理そのものに関して。本書の解説は実に簡潔でわかりやすいだけではなく、非常に多角的だ。不完全性定理も
p.59
第一不完全性定理 システムSが正常であるとき、Sは不完全である。
第二不完全性定理 システムSが正常であるとき、Sは自己の無矛盾性を証明できない。
のみならず、その他の"Incompleteness Theorems"にもきちんと触れている。
しかし、それにもまして感嘆するのが、人間ゲーデルの描写。彼の盟友アインシュタインが物理学者としての業績のみならずその人柄や台詞がよく知られているのに対し、ゲーデルはその業績以外はあまり知られていない。少しでも知っている人なら、「ネアカのアインシュタインとネクラのゲーデル」という対比がすぐ出てくるだろう。
しかし、ゲーデルのネクラさというのは、彼がいかに誠実かということの証拠なのだ。失礼を承知でいえば、ゲーデルはバカ誠実なのである。およそ対象から手を抜いたり目をそらすということがない人なのだ。数学に対してだけではない。母マリアンヌに対しても、妻アデルに対しても。
こういった性格の人は、当然自分を追いつめずにはいられない。その追いつめ方が、遠目にはブキミでネクラに見えるのは病む得ないところはある。しかし、わかる人にはわかるし、愛する人には愛さずにはいられないのだ。
その意味で、ゲーデルは愛する人たちに恵まれた男だった。特に母と妻に愛されたことは大きい。この母と妻の仲が悪かったことは同情を禁じ得ないが、なぜ彼女たちがクルトを愛したかといえば、クルトが彼らを全身全霊で愛したからだ。
その中でも特筆すべきはアデルだろう。七歳年上、離婚歴ありの踊り子。彼女と彼の組み合わせは江戸時代だったら心中ものだっただろう。嫁姑問題が絶えなかったのもこれが理由なのだが、彼は心中したわけでも自殺したわけでも駆け落ちしたわけでもなく、どちらも誠実に愛したのだ。一人の男として尊敬せずにはいられない。また、一人の空気嫁として、クルトのバカ誠実さを生涯受け止め続けたアデルには崇拝の念すら禁じ得ない。
実のところ、私は不完全性定理はゲーデル以前にすでに見つかっていたのではないかと勘ぐっている。それを見つけてもおかしくない人はあまりにも多い。クレタ人は知っていたというのはヨタすぎだが、カントールあたりはそれを「見てしまった」可能性もあるのではないか。しかし、こうした先人達は、多分ゲーデルほど「誠実」にはなれなかったのではないか。ゲーデルは誠実であるが故に、不完全性定理から逃げることも開き直る事もできずに、ただただそれを発表せざるを得なかったのではないか。ゲーデルは数学に対して完全に誠実さゆえに、不完全性定理にたどり着き、人間界に対して完全に誠実であるがゆえに、それを発表したのである。もちろんこれは証明不可能な仮説ではあるけど。
だから、本書のタイトルは「ゲーデルの人生」の方がよかったのではないかと思う。
数学ファンのみならず、ゲーデルファン、そして「誠実な男」を探している人(女子に限らず)、必読。
Dan the Incomplete
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