曖昧なタブーのlogic
この世には曖昧なものがたくさんありますね。その中でもタブーなところにわざわざ触れてロジック(仕組み)をお伝えしようと思います。現代人の頭を良くする論理的思考を教えるのが一生の僕の使命です。今決めました。雑。
(いわゆる勧誘などのコンテンツでは全くございません。ただ「感情論を辞めて、科学による原理原則に基づいた論理的思考と事実を直視・理解すること」を重視していますので、一部の論理的思考の苦手な方は気分を害されるかもしれませんが、読む前よりも読んだ後はまた少し論理的思考ができるようになり、頭は良くなるのでチャラにしてください。ご了承ください。)
タブー1.宗教 タブー2.神やらのお怒り タブー3.占い・スピリチュアル メンツが濃い合コンみたいですね。。今回も中々の長さです。。いざ!
宗教
宗教とは何か?その仕組みとは?それを知るために、お墓の話。
お墓といえば「代々同じお墓使ってるよ!」と言われることが多々あります。ではそのお墓、なぜ存在するのでしょうか?「作ったから」と聞きたいのではなく、「何を目的に」作ったのでしょうか?考えたことありますか?
お墓とはそもそも故人を想って遺族が建てたものです。とでもお思いでしょうか?全く違います。まず、想ったからたてるなどは故人に対しては意味がありません。なぜなら故人は今は灰となったのですから、お墓をプレゼントしても喜べません。事実を見ましょう。肉体が灰となれば、感情なども存在できません。では何故人はこのようなことをするのでしょうか?
その理由は、「生きている人の脳が故人を記憶しているのに、会うことができなくなった寂しさを紛らわせるために故人の骨を埋めてそこに毎年行き、さも会えているかのように記憶を思い出し、妄想し、祈るという行動をすることで安心感を得るという自己暗示・自己洗脳」するためのものです。そしてこれに”お墓参り”と名を付けました。つまりは「自己暗示により安心感を脳に感じさせるホルモンを分泌させること」が目的なのです。科学的に説明するとそうなります。しかし筆者が皆さんに気づいてほしいのは、”そんな昔々から人間は「科学」を理解していたのか?”です。そんなわけがありません。科学はテクノロジーの進化とともに進歩・研究されてきたものなのでテクノロジー無しに解明は不可能です。じゃあなぜこんな風習が生まれたのでしょう?そこに宗教があります。
昔から人々は、故人が生き返ったり、呪い・祟られる、亡くなった後に幸せになれない・苦しむといったことを人々は恐れました。なぜなら実際にこうしたことが起こっているかのような似たような物事が起こったり、そう感じてしまうためです。
例として、仮死状態から生き返るのは科学的にあり得ます。また、呪い・祟りというのは人間が「幽霊・妖怪」といった概念を人間社会にてわざわざ創り出したり、絵に描いたりした結果として恐怖から想像し、「何かをされるかもしれない恐怖」に怯えて視覚や聴覚からの情報に対し錯覚・想像してしまう脳の反応(先入観)です。死後の幸・不幸も錯覚や妄想ですね。
総じてこれらすべては「恐怖」ですが、この「何かを認識してしまう現象」を昔の人々は科学的に解明・解決することができませんでした。テクノロジーはまだ追いついてません。ゆえに現在も歳をとった人であればあるほど「お墓はあって当たり前、葬式してお経唱えて当たり前」と思い込んでいるんですね。ようは無知です。
ではこの恐怖をどう捉えたのかというと「人智の及ばず得体も知れず人間ではどうにもできないもの」です。この手の打ちようのなさに人は諦め、せめて自らも同じ「得体の知れないもの」を持とうとすることで安心感を得ようとしました。あるいは恐怖におののく人々を何とか落ち着かせるために何かを行動しようとした人(リーダー的人物)が作り出したのが「宗教」です。
「得体の知れないものが自分を守ってくれているという状態」を錯覚認識するために何をするかというと”お経”などの宗教的行為ですね。人は脳の発達とともに文明から高度な言語を生み出し、物や事に名前をつけることで記憶しすぐにそれを記憶から取り出すことができるように進化した生き物です。人類自らが名をつけた錯覚行動を行うと脳の錯覚から安心します。
例えるなら、ラグビーに五郎○選手がおりますが彼はキックの前に手を体の前で組み、「おまじない」のような行動をとります。これはいつも練習時におまじないを取り込み、これを行うことで自己洗脳を自らにし、本番でのキック時の緊張を忘れて練習時と同じ脳の心理的状態をつくり、キックの成功率を高める行動です。これは俗に「ルーティーン」と呼ばれるものです。(これは宗教とは違います。)
このようにして、信仰している人は日課としている宗教的行為を何が起きても行うことで悲しみや恐怖を紛らわせる妄想や自己洗脳に繋げて日常通りの安心感を得るのです。つまり脳科学です。ゆえに人が亡くなると葬式という宗教行為をし、お経という宗教行為をします。(筆者は神社や葬儀などで手をすりすりしている人を見ると「物理的摩擦によって手の皮膚及び微細な汚れ(手垢)を生み出し地面に落とすことで地球の生命サイクルに貢献しているのか…と分析します。はい。)
もちろんですが、宗教の「教え」的なものは1つの「学び」とは呼べますが、宗教のパワー的な曖昧で具体性の皆無なものは科学では立証できません。「事実無根の立証できないもの」です。曖昧で証拠のないことを人に言う方は嘘つきです。なぜならこれは科学ではないからです。科学ではないものは現実に引き起こすことは100%不可能です。昔の人々はインターネットを持たぬゆえ非常に無知であったため、科学に基づいた「洗脳・自己暗示・脳科学・物理学・化学・心理学・生物学」といった学問や事象を知らず、理解もできませんでした。
自らの知性の及ばない物事に対し、無知ゆえに目に見えない曖昧なものを頼りたがり、宗教を信仰してはお墓をつくり、妄想と自己洗脳をし、これを促す教主やその教えを崇めたのが宗教というものです。つまり頭使わず勉強もしないで他人頼りの楽してたってことですね。 ゆとりなの?
信仰し始めた人は「宗教」と名前を付けることによって一般に対し共通認識を広め、より一層の安心感をもった人をたくさん増やそうとしました。そうした人が増えることで人間は一体感を感じ、より一層の自身の錯覚的幸福感に繋がります。俗に言う布教です。また、ビジネスライクな面を見ればこうした脳科学的に洗脳を利用すれば信者が増えるために大きな売り上げに繋がります。これが宗教の仕組みです。つまり仕組みが出来上がった原因は”無知と論理的思考の出来なさ”ですね。
もしかするとこれを読んで怒り出す感情論さんがいるかと思いますが、「感情」ではなく「科学的事実」を説明することを目的としたコンテンツです。哀しくとも、亡くなった人はもう居ません。人が死亡し残るのは故人の骨です。亡くなった人は火葬か土葬にするのが国の法律・義務だからそうしているのであって、「必要」で墓をつくるわけではなく「遺族の感情を満たす」ためにしているのが事実です。「必要」と「したい・欲しい」は違います。墓をつくらねばならない法律はありません。つまり必要ないんです。
ここから少し脱線して現実的なお話ですが、お墓とは非常にコストのかかるものです。毎年数回の移動費・お墓の管理費・清掃を含めたこれらに多大な時間を使いまくった挙句、お金は失うんです。(脳は錯覚と妄想は感じられますが、現実に手に入るものは”お金と時間を一生失うお墓”です。)ランニングコスト掛かりすぎです。ハッキリ言っちゃえばドブにお金と時間を捨てるようなものです。なら骨どうする?って人はズバリ。海に撒いてください。(国の許可が要ります。)
海に撒けばその灰は海水とともに世界中に流れ、バクテリアに分解され、海水の蒸発とともに空に上昇し雲となり、山に降っては川を流れ全てのものに吸収されて地球の生命の循環に戻ります。つまりは地球中に散らばります。ちなみにこれをみて「スピリチュアルや‥」とか思っちゃった人は頭イっちゃってます。これは科学です。世界中の科学者が実験しまくり確立した「科学という学問」です。事実無根のものではございません。立証できるものです。ちなみに「お墓なきゃムリや‥」というお墓依存症さんも安心してください。こうなればもはや、地球全体が故人の墓標です。お金払わなくていいし、どこへも行かなくていいし、管理も必要ありません。今いるそこで、記憶と妄想に浸ってください。写真をいっぱい撮っておけばより一層故人を想って、物思いに更けられます。また、お墓を手放し浮いたお金と時間で自分と周りとを楽しませてください。 「オッス、オラ地球。」
神やらのお怒り
映画などでよくあるようなことが昔は実際にありました。「神のお怒りやあぁ…天罰が下ったんじゃ…」なんて言ってたりしますが、今となってはアンポンタンなお話ですね。これも宗教によく似たもので、裏側には「恐怖」があります。現実として実際に起こることは「天災」ですね。天変地異とも言いますが、人類にはどうにもできないかのように”思い込んで来た”歴史がそこにあります。ある時は畑が不作になって飢饉になり、ある時は河川の氾濫や海の大シケにより人々の家屋や家畜、命が破壊されました。よってこうした天災が起これば恐怖におののき思考を忘れて「お供えをし、祈祷をし、最悪は生贄(人身)を用意」なんてこともあったようです。(命が惜しいから命を捧げるって思考がぶっ飛んでますよね。トッポ食べたいからトッポ捨てるみたいなもんです。)やはりこれも科学に対する知識(ここでは田畑の不作の原因の追究と対処法がわからない、河川の物理的位置関係や自然の法則への危険性や特性と起こりうる物事への前提経験の知識がない、海の大シケの原因である天候の知識や津波・地震などへの知識がないなど)がなく、論理的思考のできない人々であった証拠です。
これが神やらのお怒りの仕組みです。そしてやはり仕組みが出来上がった原因は”無知と論理的思考の出来なさ”ですね。
占い・スピリチュアル
女性は感情を優先的に思考し、男性は必要を優先的に思考します。(その根拠は別の記事にて。)女性の多くは”楽しい”を優先した結果、スピリチュアルや占いといったことにも興味をもちます。普段からこうした曖昧なものに触れていたりして親近感を持ってしまっている人は人生における困難に直面した時に脳内でこれを「頼り」にしたくなります。困難から「恐怖」におののき思考を停止し自身の知能が及ばないと脳が感じてしまい「知能の及ばない神がかり的なものに守られている」ような妄想に浸ることで自己洗脳をし、思い込みによるごまかしの安心感を脳で感じるようになります。タロットやら占星術やらトランプやらカメの甲羅やら色々ありますが全て事実無根の根拠なき思い込みです。脳科学ですね。心理学とも言えます。
女性は多くの場合に何かが起きた時、いつもすることがあります。誰か(特に男性)を「頼る」ということです。この瞬間、女性は何かを辞めています。「論理的思考」です。ちなみに男性の多くは「調べて学び、問題解決」します。
目の前の問題に対し「何をすれば自分の望む結果を得られるだろうか?その手段とは?」と問題解決を求め自分の脳の中で思考をすることは論理的思考の1つです。そしてこの思考を止めることを俗に「思考停止」と呼びます。
思考停止した人は男女問わず何かを”頼り”救いを懇願します。「恐怖」を感じて対処しようとしても知識が及ばず絶望から思考停止をし、周りに頼るものが無ければさらに絶望し、ついには存在しない曖昧なもの「占い・スピリチュアル」を妄想によって作り出し、自己洗脳をして安心感を脳に与えたのです。また、あるいはそうした困難に挫けている人に近づき、救いを与えようとする人もいれば騙して時間とお金を搾取する人もいます。(しかしながら”救い”といっても洗脳的に勘違いをさせることで脳に安心感を与えるだけなので、現実の物理世界は何も変わりません。脳内は安心感が思い込みにより引き起こされたりしますが、結局お金と時間は搾取されるのでどちらにしても騙しであり搾取です。)
これが占い・スピリチュアルの仕組みです。もうお分かりですね。仕組みが出来上がった原因は”無知と論理的思考の出来なさ”です。
またこれもハッキリと断っておきますが”占いの効果”などは「宗教のパワー」などと同じく全くの事実無根であり、科学的根拠と立証の成り立たないものです。例えるなら裁判で「あなたの無実を立証してください」と言われたときに「証拠はないけど無実です」と言うようなものです。ただの嘘です。「楽しむためにしていること」と「必要だからしている」ことがごっちゃごちゃになっている人は「占いは効果がある。やったほうがいい。」などと事実無根の嘘をつきますが、言ってる本人は本気だったりするので、辞めるよう忠告し、論理的思考を理解させ思考を促してあげましょう。それから、そうした本やサイトは洗脳による集客をすることで広告収入や視聴率を狙って行っているビジネスですから、お金のために彼らも洗脳をしています。芸能人などもこうした嘘に騙されて大金を失い洗脳をくらってしまった人いますよね。その多くはやはり女性です。その中でも老人であればあるほど無知なために搾取されます。ゆえに老女は簡単に詐欺に騙されてしまいます。こうした占いなどの根拠なき科学的実証のできない曖昧なものに洗脳されるとどこまでも大金と時間を支払い続け、嘘つきさんの財布となる人生が待っています。「感情を満たして楽しむ」のと「科学的根拠に基づいた必要」をちゃんと分けて思考しましょう。
ついでに、「運」って何?
そもそも「運」とは「エネルギーでも風のようなものでもなく、”起こったこと”にたいして人間が後付けでしている「よかった・よくなかった」という勝手な評価のことです。物事が起こるも起こすも全て科学です。
恋人との仲も脳科学ですし、もしボールが急にあなたに当たってもそれは「ボール遊びをしている人に気づかず、ボールが飛んでくることを予測し事前の対策を講じることができなかったあなたの周辺への空間認識能力の欠如・状況想定能力の欠如・物理的科学への無知」です。こちらへ飛んできたのは「ボールを足で蹴る位置があなたに飛んでいく物理的な位置関係だったから」であり、蹴った人の心理は「あなたに何かしらの敵意があった」かもしれませんし、「遊びに夢中で蹴る位置が定まらないまま蹴っただけ」かもしれません。それは本人に聞かなければわかりません。聞いたとしても嘘をつく可能性もあります。ようすれば予測できるものもあれば予測できないものもあります。
「運=自分には到底どうにかなるものではない神がかったもの」としておけば「仕方がない」という諦めをすることができるからこそ人類は”運”と名をつけました。無論、「どんな親の元に産まれるか、空が晴れるか」などはコントロールできるものではありません。少なくとも今の人類の科学力では。この地球にはコントロールできるものとできないものがあります。コントロールできなさそうなものに対しては運と名付けて早く諦めればこれ以上の辛さを味わうことが無くなるので「安心感を得るために目に見えない曖昧なもの(実証できないもの)にすがり楽をしている」のです。上記の3つと同じですね。
コントロールができないことに対しては”運”といっても差しつかえありません。しかしコントロールできるものに対しても「運がない」などというのは逃げです。「ただの無知」が原因なのですから。コントロールできないように感じるものが立て続いてもそれは本当にコントロールできないものだったのかを疑いましょう。コントロールできないものも出来るものも入り乱れているのが人生であり地球の科学です。コントロールできないものは出生や天変地異、どんな病気になるかといったようなものぐらいです。人生のほとんどのものはコントロールでき、かつ事前に理解・把握し手を打てます。簡単に騙されてしまう人はこれが頭の中でごちゃ混ぜになっています。こうした人は知性の無さに付け込まれ、「運がないですよ」と言われて勘違いをさせられ感情が揺さぶられて鵜呑みにします。普段から人の言うことを鵜呑みにしている人は電話口で「オレオレ!振り込んで!」と言われても簡単に勘違いし感情が揺さぶられ鵜呑みにします。知性の無さが精神的な弱さを生み、人への疑いを忘れさせます。勉強し論理的思考を常に大切にして頭良くなりましょう。なによりも全ての原因は科学に対する無知です。
まとめ&筆者の言いたいこと
お気づきでしょうか。今回この濃すぎる合コンのような3大曖昧タブー+1をまとめてつたえたのは他でもない「それら全てにおいて無知かつ論理的思考の出来ない人間が行なっているもの」だと伝えたかったからです。
とどのつまり、曖昧なものにすがり努力と学問を忘れ怠惰という人間の本能に逃げて自分の人生さえコントロールできない人間が多いということです。人生はどれだけの苦労や不幸感に脳をいっぱいにされようとも、知識(多くは科学【物理学・化学・脳科学・生物学・心理学など】)と論理的思考(問題解決・つじつま・順序〈後・先〉)で全て解決できます。
「感情論」ではなく「事実」を優先しましょう。「事実無根のスピリチュアル・宗教パワー・神のパワー・運」などではなく「立証可能の科学と論理」で物事を決定し、人生を進めましょう。「目に見えないもの」は「どこまでも曖昧でごまかしの効く嘘」です。「口から出まかせ」とはよく言ったものです。目に見えるものは「現実に存在する現象・科学」なのです。この世の全ては科学です。