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「考える」ことを考える

思考力、ロジカルシンキング、仮説思考…様々な呼び方で「考える」ことに対する重要性が説かれ、そして「How to」が散見されます。
一方で、「巧遅は拙速に如かず」という言葉にあるように、「とにかく考えるな、速度が最優先だ、やれ!」といった考え方もあります。
今回は、この「考える」ということについて、考えてみたいと思います。

筆者自身の基本的な考え方と本件を考えるきっかけ

熱しやすく冷めやすい、動物占いで言えばチーター、とにかく手を動かして、経験による学習をしてなんぼ!と思っているのが筆者の根本的な考え方です。
一方で、最近職場で「行動は大事だが、時間は有限。動いた結果を最大化するためにも、動く前に考えろ!」と、とにかく口酸っぱく言われていることもあり、「めんどくさいなぁ」という本音半分、ただ言わんとすることもたしかにな、と思うこともあり、改めて「考える」ということに対して考えてみることにしたのです。

「考え方」のおさらい

改めて、考えることに対する世間一般の手段やスキルについておさらいさせていただくと、例えば、「漏れなくダブりなくのMECE」、「具体と抽象の行き来」、「Where、Why、Howの問い」、「帰納法と演繹法による論理的な思考」、「イシューを探る」などなど、様々な手段がありますが、結局これらは総じて言ってしまえば「どれだけ精度の高い仮説を幅広く、解像度高く考えられるか」ということだと理解しています。そして、よく書かれているのが、この「仮説」を立てた上で、その立てた仮説があっているのか、全く想定していないことが起きたのかを繰返し振り返ることで、より緻密に、精度の高い仮説を選択できるようになるのです。
また、仮説を立てることによって、仮に仮説が事実と異なっていたとしても「どの部分が想定と異なっていたのか」を振り返ることでリカバリーも早くすることができる。これが、考えることによる世間一般のメリットだと思います。そして重要なのは、最初に立てた仮説が当たっているかどうかはあまり関係なく、この仮説を立てることがまずは肝心ということです。

下手な鉄砲数打てば?

こういったことが書いてある「考え方」の書籍などを読むと「まぁ言わんとすることはわかるんだけどもね」と思う一方で、冒頭に筆者の性格を書かせて頂いた通り「考えることに時間使うよりも、経験して学習した方がよいのでは?」と思うんですよね。だってほら、最近はVUCAの時代で世間の流れも早いって言うし。そして、多くの考え方の書籍が、正論は書いてあるけどこういった「あまのじゃくな考え方」に対する答えは書いてなかったりするんですよね。
そのような中で色々自分なりに考えてみて出した現時点での結論が、「考えずに数を打って良い場合」と「仮説を立てて行動した方が良い場合」がありそうだな、ということです。

将来自分が扱いたいリスクの大きさで考える

場合によって違う、と。それは至極ごもっとも、という声が聞こえてきそうですね。ここで重要なのは、どこで場合分けをした方がよいか、という点です。それが「将来自分がどの程度のリスクを扱えるようにありたいか」だと考えています。大切なのはその仮説を立てる対象によるリスクの大きさではなく、将来取りたいリスクの大きさ、ということです。

どういうことか、と言いますと、自分がリスクを取った上で数を打っても再起可能なリスクレベルであれば、数を打った方が結論がでるのは早いと思います。身も蓋もないことを言ってしまえば、どれだけ考えても想定外の出来事は起きるので、アクションを起こすのが一番手っ取り早いのです。

一方で、長い人生を生きていく中で、大きなチャレンジをしたいと思っている人。言い換えれば、大きなリスクを取ることも厭わないと思っている人は、再起可能なリスクレベルの判断でも、「仮説を立てる」訓練として、常日頃から「仮説設計」をしておいた方がよいと思います。

「仮説を立てる」ということは、やろうと思っていきなりできるものではなく、繰返しの訓練によって習熟度が増し、抜け漏れが少なくなり、肝心なポイントを外しにくくなっていきます。その訓練のために、将来リスクを取る役職になりたい人や、大きなことをやりたいと思っている人は常日頃から「仮説設計力」を高めておいた方が、リスクを伴う判断に対して、想定外の外れを引く確率を小さくすることができます。

逆に言えば、今の自分が取っているリスクからそれ以上大きなリスクを新たに負うつもりがない人、自分の持っている今の技術を磨きに磨いて生きていくという人にとっては、仮説思考よりも、経験による習熟の方が効果的ではないかと思うのです。

こう言ってしまうと、なんだか「リスクを取って考えるのが正しい!」みたいな印象になってしまうかもしれませんが、ここは本来は人それぞれだと思うんですよね。もちろん、会社の規模を大きくしたいとか、従業員を抱えている、ということであれば既存の延長線で考えていると行き詰まるところが出てくる可能性があるし、それによって多くの人を不幸にしてしまう可能性があると思います。
一方で、自分の範疇を広げたいとそこまで思ってない人であれば、仮に最悪誤ったリスクをとってしまって、例えば自己破産をしてしまったとしても、再起不能というわけではないです。
だから、「考えることが大事」というのは当てはまる人と、当てはまらない人がいるし、杓子定規に「誰もが考えるべきなんだ」という論調こそ、思考の放棄だと思います。もちろん、「考えること」ができればそれに越したことはないんですけどね。でも、手を動かして学んだ方が効率的な人やケースも大いにあると言うことだと思います。

筆者の場合は、繰り返しになりますが最初に書かせていただいた通り「考えるより動け!」の人間なので正直考えるの、めんどくさいです。でも、考えることは転ばぬ先の杖としては有用だと思いますので、身につけておいて損はないかな、とも思っています。

どうやって仮説思考を身につけるか


では、どうやって考える力の訓練をあまり無理なく行うか。そこについても自分なりに考えた方法を筆者と同じような面倒くさがり屋の人のために参考までに書いておきたいと思います。
それは、「一日の予定をできるだけ解像度高くイメージして、一日が終わった時点で振り返る」という方法です。

例えば、今日はあんな会社とこんな会社と打ち合わせがある。職場には誰と誰がいる。今日は何曜日だ。などなど、既に見えている予定があると思います。また、その見えている予定に対して自分が行うアクションもある程度想定していると思います。それらを踏まえて、実際に自分がどのように行動するかを考えた上で、それを踏まえて周囲が自分に対してどう動くのか、というのをできるだけ細かく想定をするのです。

今日は上司が出張で不在で、金曜日だから隣のあの子は早く帰るだろう、とか、あの会社との打ち合わせで、今回はこちらからこう言った話をすると、相手はこう返してくるだろう、などなど。これを、例えば1時間単位くらいを目安にこの時間は何が起きそうだ、というのを予想し、箇条書きにするのです。まずは始めるためにも、一日3つくらい項目を書き出してみるだけでもよいかもしれません。
そして、一日が終わった寝る前に、どれくらい予想通りになったのか、予想通りにならなかったことで、朝の時点で予想できた結果はなかったのか、というのを振り返るのです。
これならちょっとしたゲーム感覚で、仮説思考の訓練ができそうではないですか?

総括

ということで色々と書かせていただきましたが、「考える」ということについて皆様の疑問に少しでも参考になる情報となったでしょうか?
「考えること」は必ずしも「正」というわけではないと思いますから、考えないからといって悪いわけではないですが、転ばぬ先の杖として、そして人生を主体的に生きる上でも「考える」ことを考えてみてはいかがでしょうか?

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