頼るとか、途中の過程を話すとか。
「もっと人を頼ったほうが良い」
「無理かもと思ったら、途中でSOSを出してください」
会社の先輩に、上司に、何度もそう言われてきた。
どうやったら、それができるんだろう。
わたしは末っ子で、ちゃっかりしている要領の良い子だと思われている。
そしてそれは半分当たっている。
同時に、仲が良い人には「目標が高すぎる」「自分に厳しい」「弱みを見せられない」と言われてきた。
自分のために人の時間をいただくこと、人に迷惑をかける可能性があることを依頼することが、とても苦手。
「自分の許せる範囲、つまりはここまではこの方の重荷ではないだろうと思われる程度を予測して、ちゃっかりしている」だけであって、なんでもかんでも頼るということが本当にできない。
(こう書くと計算高いようにも思えるが、計算しているわけではなく、観察すること・ちゃっかりすることが自分に根付いていて、都度考えているわけではない。何のフォローにもなってないけれど。)
そうやって「人に頼ること」「途中でSOSを出すこと」は本当に難しいと思っているので、同じチームの人たちには、頼ってもらえる環境をつくれるよう努力はしたつもりである。
おかげさまで、「安心して案件の相談ができる」「チームの雰囲気が良い」といった声をいただくことがあった。安心安全なチームができてきた。
そうやってみんなが頼りやすい・進捗を報告しやすい環境づくりが進んでいくと、当然あなたも言えてる環境にいると思われ、言わない=ひょうひょうこなしてるよね。となってしまう。
ますます言い出せなくなってしまう。
そして、なんとか当初の締切には遅れながら最終締切には間に合わせる。スピードもクオリティも良くはなくて、ぎりぎりのところで一応まぁいいかというくらい。誰がしあわせになるんだろう。
もっとはやくSOSを出せていたら、もっと早く誰かに意見を求めたりできたら、絶対そのほうが良いものができる。自分のせいで良いものができる機会を減らしている。それはわかっているつもり。
人と人は関係しながら生きていくわけで、まったく他者と関わらずに、お互いが作用せずに暮らしていくことはできない。
どうにか、少しずつSOSを出したり、頼ったり、できるようになりたい。
まだまだ道のりは長い。
そんな最近のひとりごと。