フランスに関する省察 第1章

ジョゼフ・ド・メーストル

第1章

 我々は皆、至高存在の玉座に緩やかな鎖で繋がれている。その鎖は我々を制止はするが、奴隷にはしない。
 物事の普遍的な法則の中で最も素晴らしいのは、神の手のひらの上における自由な存在の行動である。自由な奴隷とでもいうべきか。彼らは意思と必然性、両方に同時に従って動いているのであり、したいことを実際にやってはいるが、全体の計画を邪魔することはない。このような各存在の中心領域は、行動の領域によって占められている。その領域の半径は、「永遠なる幾何学者」である神のみぞ知り、神はそれを広げることも制限することもでき、その人自身の性格に手を加えるまでもなく、人間の意思を止めたり差し向けたりすることができる。
 人間の作るものは全て、人間自身がそうであるように、不出来である。見えているものは少なく、方法は不器用で、融通が効かず、動きは苦しみに満ち、最終的には同じような結果しか生まれない。対して神の作るものは、無限の豊かさがどんなに小さな部分にも込められている。神の力は遊びのように易々と行使される。神の御手の中ではあらゆるものがしなやかに動き、神を拒むものなど存在しない。神にとって、全ては手段である。障害物でさえそうなる。そのため、自由な者たちが作ってしまった規則的でないものも、全体の秩序の中にやがて収まるのである。
 例えば、懐中時計を想像して欲しい。その内部の部品は絶えず力、重み、寸法、形、場所を変えているが、結果として正しい時間をいつも示している。そのように、我々自由な存在は、創造主の計画との関係性の中で、自分の行動を考えるのである。
 政治的・精神的世界には、物理的世界と同じように、共通の法則とその例外が存在している。一般的に、一連のある効果を生み出すのは同一の原因である。しかし、時として、行動が中断されたり、原因が不全を起こしたり、新たな効果が生まれたりする。
 もし冬の真っ只中に、ある男が多くの証人を前にして、木に葉を生やし実をつけるように命じ、実際に木が従ったならば、誰もが奇跡を信じ、奇跡を行った彼の前に頭を垂れるだろう。しかし、フランス革命とそれに続いてヨーロッパで起こった出来事は、一月の木に一瞬で実がなるのと同じくらい奇跡的なことだったにも関わらず、人々は別の方を向いていたか理屈に合わないことを口走っていた。
 物質的な法則においては、人間は原因となることがないため、理解できないことが起こるとそれを崇めることができる。しかし、行動の領域においては、動機は自由であると感じているばかりに、人間は高慢になり、自分の行動が中止されたり邪魔されたりするとなんでも「無秩序」であると考えてしまう。
 人間が行ういくつかの手段は、物事の通常の流れの中に規則的にある種の効果を生む。目的を失っている場合でも、人々は理由を知っているか、叡智を信じている。障害を知り、讃え、いちいち驚いたりはしない。
 しかし、革命の時は、人を繋ぐ鎖が突然きつくなり、行動が狭まり、動き方もわからなくなった。このように、よくわからない力に捕まり、人はそれに抗った。大人しく鎖を持つ手を下ろすのでなく、それを軽蔑し罵ったのである。
 「何も理解できない」という言葉は今日の重大な言葉である。この言葉を通じて、我々はあの革命という人間の起こした大騒動の第一の原因を知ることができるのだから、この言葉は本当に意味のある言葉である。そして、愚かさの象徴である。なぜなら、それが示すのは忌々しさと不毛な肉体の消耗だけなのである。
 「つまり、どのようにして?(あらゆるところにそう書かれている)世界において最も罪深い人間が世界に打ち勝ったのだろう! 恐ろしい王殺しは、それを犯した者たちが望んだ通りの成功を収めたのだろう! 君主制がヨーロッパ全土を膠着させていたのだろう! その敵は王座にまでも同盟関係を見つけたのだろう! 獰猛なものは全てに成功するのだろう! 大きな計画は大衆によって問題なく進んだが、大部分の個人は試みの中で不幸や馬鹿な目を見たのだろう! 全ヨーロッパで世論が忠誠心を追求したのだろう! 国家の一流の政治家たちはみな一様に勘違いしたのだろう! 最も偉大な将軍が辱められたのだろう! など」
 おそらく、革命の1つ目の条件は、それを前もって予測できるる人が存在しない事と、それを妨害したいものが失敗する事である。
 しかし、いまだかつて、秩序がこんなにも見えにくくなったことはない。神の存在はかつてないほどわかりにくくなったが、実際には至高者の行動は人間のそれにとって代わり、たった一人で動いた。それが今現在我々の目にしているものである。
 フランス革命において最も衝撃的なだったのは、障害を全て捻じ曲げてしまったこの力である。その旋風は、人間の力が設置したあらゆる障害を、軽い藁のように全てを薙ぎ払ってしまった。誰も、その危なげない歩みを止めることはできなかった。動機の純粋さだけがその障害を説明できる、それが全てである。この嫉妬深い力は目標に向かってまっすぐ進み続け、シャレットもデュムリエもドゥルーエも皆同様に捨てられた。
 すでに言及したが、フランス革命が人々を導いたのであって、人々が革命を導いたのではない。この考察こそ最も公正なものであろう。そして、この公式が多かれ少なかれどのような革命に当てはまるものであるとしても、フランス革命ほどその特徴を持った革命はかつてなかった。
 革命を導いた極悪人に思えるような人々でさえも、単純な道具として存在していたに過ぎず、自分が革命の支配者であるかのような自惚を抱いた者から順に惨めに消えていった。
 共和国を作った者たちは、実際は、それを意図していなかったし、何を作っているのかもわからないでいた。彼らは出来事に導かれてそこにいたのであり、計画は前もってなされていたのであった。
 ロベスピエールもコローもバレーも、革命政府を作ろうとか、恐怖政治をやろうとか考えてはいなかった。彼らは環境に導かれて、そこに至ったのである。そして同様のものを我々が見ることは二度とない。あまりにも凡庸な人間であった彼らは、罪深い国家に、最も恐ろしい専制政治を実行したのである。このことは歴史的に語り継がれることになる。そして、確実に彼らは、自分たちの力に最も驚かされた王国の民であった。
 この嫌悪すべき専制は革命の段階として必要な犯罪であったが、しかしこれも一陣の風によってひっくり返ってしまった。フランスとヨーロッパを揺るがすこの大いなる力は、はじめの攻撃に対しては何もしなかった。というのも、完全に犯罪的な革命には偉大なものや正当なものは何もあってはならないので、創造主は最初の一撃は「7月党」の連中からもたらされることを望まれ、それによって正義すらも下劣なものになった。(1)
 しばしば驚かされることに、凡庸な人間の方が才能に溢れた人間よりも革命に関して正しい判断を下しているということはよくある。彼らが強くそれを信じていた時、経験ある政治家たちはなったく信じていなかった。それは、革命精神の規模とエネルギー、言うなれば、革命への信仰によってしか生じ得ない説得というものがあり、これが革命の一部だったということである。だから、才能も知識もない人々の方が、いわゆる「革命の神輿」により強く動かされたのである。彼らは皆、なんの迷いもなく反革命を退け、常に後ろを見ずに前進し続けた。そして、彼らはみな成功した。その理由は、彼らは彼らよりもはるかに多くのことを知っている存在の道具に過ぎなかったからである。革命の仕事の中で、彼らが間違いを犯すことはなかった。ヴォーカンソンのフルート人形が間違えた音を吹かないのと同じ理屈である。
 革命の激流は、順に別の方向に向かった。それによって、革命で目立った役割を担った者も、その人自身が権力や名声のようなものを得るということは起こらなかった。時流に従うことのみが可能で、自分のために働き過ぎることで、時流に逆らうか、もしくは孤立して離れようとしただけでも、すぐに舞台から消え去ることになった。
 例えば、革命において特に際立った存在であるミラボーを見てほしい。最初、彼は「アールの王」とすら言われた。彼は、数々の犯罪を犯し、数々の本を出版することによって、民衆の動きを補佐した。彼はすでに動いている民衆を追いかける立場に自分を置いた。むしろ、民衆を後ろから押したと言った方が正確か。そうしているうちは、彼の力が消えることはなかった。彼は他の革命の英雄と大衆を動かす力を共有しており、支配する力を持ちはしなかった。それによって、彼は政治的な動乱の中における平凡な人間としての証を得たのであった。ミラボーは実際には、彼より優秀で、より器用で力の強い反体制派の人間たちに影響力を利用されていたのである。彼は演説台では輝いたが、所詮は彼らのカモだったのである。彼は死んだ時、自分が生きていれば、君主制の散らばったかけらを集めていただろう、と言った。しかし、彼が実際に最も影響力を持った時に、彼はせいぜい大臣職しか狙わなかったし、彼よりの低い地位のはずのものが子供を退けるように彼を拒絶したのであった。
 結局、見かけ上革命で最も活動的だった人間を研究すればするほど、彼らの中には受動的で機会的なものが見つかる。何度でも繰り返し言うが、人間が革命を導いたのではなく、革命が人間を利用したのである。むしろ「革命はひとりでに進行したのだ」と言った方がいいかもしれない。こういえば、神聖なるものが人間に関係する出来事ではないのだと言うことを、より正確に表現できる。もし神が人間などというような最も卑属な道具をお使いになったのだとすれば、それは人間を罰して生まれ変わらせるためである。

(1)同じ理由で、誇りは誇りでなくなった。ある共和派のジャーナリストは「私はどのようにすればマラーをパンテオンから引き摺り出せるかよく知っているが、どのようにすればパンテオンを脱マラー化できるかは全くわからない。」と気の利いたことを言っている。博物館の一角に動物の剥製と並んでテュレンヌ子爵の死体が放置されていることに、人々は不満を垂れている。馬鹿な話である! 現状は、その貴重な残りをパンテオンに埋葬すべきだという考えが生まれても自然なくらいになっている。

編注
・フランソワ=アタナス・シャレット:革命期の王党派の軍人。ヴァンで反乱の指導者で、共和国政府に最後まで抵抗。
・シャルル・フランソワ・デュムリエ(Charles Francois Dumouriez):立憲王政派の革命の軍人であった。王の処刑ののち亡命。
・ジャン=バプティスト・ドゥルーエ(Jean-Baptiste Drouet):王の処刑を実行した貴族。統領政府の独裁に反対しバブーフの陰謀を企てた。
・アールの王:原文はle roi de la halle、halleという言葉は、特に中央市場les Hallesに使われるが、革命期にどのような意味を持ったのかわからなかった。ちなみに有声のhなのでlaがエリジオンしない。

Joseph de Maitre, Considération sur la France, 1797, p.1-10.

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