
P2y、その始まりを辿る①
初めましての人は初めまして!どっかで俺の事を知った人はこんにちは!とあるサイトとその元管理人をウン年単位で追い続け、その魅力に魅せられてしまった二代目Jsoulみつまジャバンと申します。
今回そのサイトの閉鎖に伴い一つの節目を迎えたと感じ、今まで無駄に蓄え、無駄にSNSで発信してきた自身の知見をネットの海に放流させてみるのもいいのではないか?と思い、noteという形でまとめてみようと思うに至りました。
賛否のある内容かと思いますが、是非これを読んだ方々が何かしらを考えるほんの少しのきっかけにでもなれば幸いです。
※この記事の性質上アフィブログ等商用ブログ、商用メディアへの転載を一切禁止します。ただ、ここで得られた知見についてはそれに限らず好き勝手に持ち出してもらって構いません。(そもそも自分自身もここに書かれている内容を多くの人達から教えてもらった身ですので。)
※2024.12.9追記
P2yそのものの歴史を知りたい、という方向けにP2yのほんの一部分、一方向からではありますが、それらについてまとめたnoteを作成しました。
一部分とは言ってますがP2yのおおよその流れ、P2yのとっていたスタイルについては大体網羅しているかと思います。
是非参考にしてみてください。
1. はじめに
皆さんはP2y(正式名称は日本語版はP2y.jp、英語版はP2y.EN)というニュースメディアはご存知でしょうか?2019年3月1日に開設され、2024年5月22日に運営への誹謗中傷、サイトへのバックアップも含めた不正アクセスを受けて閉鎖(同年の6月2日に公式のXのアカウントも削除)し、主にVTuberを扱う任天堂(及びMOTHER)、初音ミク、自動車(ジムニー)、宇宙開発関連を扱うニュースメディアです。
今回はそのP2yが開設されるまでにその元管理人の周辺で何が起きていたか?VTuber界隈の外の世界で何が起きていたか?をその当時の記録を元に辿る。そんなnoteになればと考えています。
※なおP2yを含め公式のXや大半のサイトは閉鎖されており、その多くはスクショや外部による評価、外聞しか残っていない場合もあるため、その点は予め了承ください。
2. プロジェクトパーティー - P2yのリリースとMOTHER partyのリスタート -
P2yは2019年3月1日に開設されました。今のVTuber界隈ではP2yのみがクローズアップされていますが、正確にはアポロ船長という人物が同日にMOTHER partyという任天堂の名作RPG『MOTHER』のポータルファンサイトのリニューアル、VTuber等を扱うサブカル系ニュースサイトP2yのリリースという「プロジェクトパーティー」というプロジェクトの一環としてリスタートした日とした日として認識しています。

※ちなみにMOTHER partyは今でも閲覧が可能です。P2yのロゴは過去に一度リニューアルされていますが、リニューアル前のP2yのロゴをご存知の方はこのMOTHER partyのロゴに既視感があるのではないのでしょうか?
このプロジェクトパーティーの運営に関わっていたアポロ船長という人物が実際にどの程度プロジェクトパーティーに関わっていたかは不明(2021年4月21日にP2yのオーナーを退陣し、退陣前からP2y運営にはほとんど関わっていなかったとの事です。)ではあるものの、P2yリリース時のアポロ船長のポストはその当時の様子をうかがえると思います。

※プロジェクトタイムズについては後述します。


ただ、アポロ船長はP2yのオーナー権を破棄しP2yとの関係を解消するとした後も、アポロ船長本人と本人が管理しているMOTHER partyによる2つのアカウントからP2yの宣伝を何度かおこなっています。


後に2022年12月11日、MOTHER partyは過去に提携していたとされるサイトと完全に縁を切る旨のポストがされ、アポロ船長は何処からかの運営からの管理者着任の申し出を足蹴にしたようなポストがありました。(時期的にはP2yがk-sonの発言を歪曲した記事を出したことにより炎上→運営を解散発表した際の前後です。)


これらの一連の発言の中でもプロジェクトパーティーではプロジェクト内のオーナー、管理者、代表等様々な役職の記述がありますが、その組織としての仕組みについては説明できるような明確な違いが確認できませんでした。アポロ船長本人は色々な役職を名乗っていますが、最初にある通り読み手の見え方として所謂サイト管理人という表現を用いても差し支えないと判断し、ここからは以降便宜上管理人という表記で統一します。問題があれば一報入れて頂けたら幸いです。
次項はこのアポロ船長という人物とその活動のルーツとなったと思われる出来事について書いていきたいと思います。
3. アポロ船長とMOTHER partyのルーツ、MOTHER3再開発署名運動とは?
前項では2019年3月1日に行われたプロジェクトパーティーの一環としてのP2yのリリースとMOTHER partyリニューアルについて触れました。
ではMOTHER party自体は実際問題いつ頃作られたサイトなのでしょうか?
MOTHER partyのサイトではMOTHER partyの開設は前身のゲーム『MOTHER』のファンサイトであるアポロ技研という名前で開設し、様々なサイトを吸収しながら2006年3月にポータルファンサイトとして現行のMOTHER partyに移行しているとしています。つまりアポロ船長自身は任天堂のゲーム、MOTHERに関係するファン発信のサイトを2000年4月から運営しているという事になります。

話は変わりますが、皆さんは過去にゲームボーイアドバンス専用ソフトであるMOTHERシリーズの3作目、MOTHER3が一度開発が頓挫していた事をご存知でしょうか?2000年8月に開発中止が発表されましたが、それはちょうどアポロ技研が運営されていた時期と重なっています。
なぜMOTHERが開発中止されたのか詳細は割愛しますが、当時の開発環境やその時代のトレンドを意識するあまり頓挫してしまったというのがその経緯だった。と認識しています。(この辺りは門外漢であるため解釈違いがあればすみません。)
ただ当時の記録を読み解く限り、やはりMOTHERファンが大きく失意の底に沈んだのは想像に難くありません。
ではアポロ船長が運営していたMOTHER party(※厳密には当時はアポロ技研ですが、以下全て呼称をMOTHER partyに統一します。)ではこの開発中止の発表に際し、どのようなアクションをとっていたのでしょうか?
これはMOTHER partyのみに限った話ではないようですが、当時存在していた多くのMOTHERファンサイトによってMOTHER3再開発大規模署名運動が行われたようです。
勿論MOTHER partyも例外ではなくこの運動に参加しており、その当時のことをアポロ船長のXアカウント及びMOTHER partyで何度も振り返るかのような発言をしています。


そしてMOTHER partyを含めたMOTHERファンの熱意が任天堂に通じたのか2003年4月にMOTHER3の開発再開を発表し今に至ります。
一度開発発表していた人気ゲームタイトルの次回作が一転して開発中止になる。という事例は過去にあまり例がないと思います。そういった事情もあってか糸井重里含めた開発陣も当時の経緯について様々なメディアでその当時の心境が語られています。ただ、当時の日本国内の大規模署名運動については糸井重里本人や任天堂開発陣の言及、大手ゲーム系メディアにも国内の再開発署名運動についての記事が見つけられませんでした。※Googleで検索した場合、北米での当時の署名運動をドキュメンタリーとしてリリースされたニュースは出てきますが、国内の署名運動の文面は確認できませんでした。
なお当時の背景として匿名掲示板、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)ではMOTHERの一部の過激ファンが日常的に荒らし行為を行っていた事などから、それを揶揄するかのようなミームが存在していました。その煽りをうけてか当時のMOTHERの過激なファンを皮肉したアンサイクロペディアが作成されています。
このアンサイクロペディアでは国内外のMOTHER3の署名活動についての記載が存在し、以下のような記載があります。

あくまで皮肉や風刺を是とするアンサイクロペディアのソースであるため、決して鵜呑みにしていい情報ではありません。ただ各メディアとWikipedia等各々の日本国内の署名運動の扱いの温度感の違いは個人的にすごく珍しいと感じたのが正直な感想です。
他にもこのアンサイクロペディアの情報によると、MOTHERファサイトとしてのイニシアチブを争っていたのか各ファンサイト間の内輪もめは相当激しかった旨の記載がされており、その一端と思われる出来事については次回の記事で述べていこうと思います。
さらに余談ではありますが、その今のMOTHER partyの形となった2006年にMOTHER界隈で主導権を握っていたとされるMOTHERファンサイトのサイト評ではこのような記載がされています。

※このサイト評がMOTHER partyのものであることは確認できていません。
4. MOTHERファンサイトからプロジェクトタイムズへ
話は前後しますが、アポロ船長は運営代表として2017年6月1日にプロジェクトタイムズからプロジェクトパーティーへと改名するとポストしています。
このプロジェクトパーティ及び前身のプロジェクトタイムズ、具体的にどういったことを目的としたプロジェクトだったのでしょうか?
正直なところ、プロジェクトの詳細について具体的に説明できるようなソースは存在しませんでしたが、そのヒントになり得るものがアポロ船長の発言や閉鎖前の過去のP2yのサイト案内が魚拓として存在していたので載せておきます。

P2y第一チームと第二チーム
皆さんはP2yには第一チーム、第二チームがあったことはご存知でしょうか?P2y第一チームはゲーム(特にMOTHER)系及び任天堂を中心とした記事を書き、第二チームは初音ミク及びVTuberの記事を書くという体制をとっていたのがこの上記ウェブ魚拓からもわかるかと思います。
またそれと同時に第一チームは運営代表及びサイト管理を行うメンバーが所属しており、P2yではたびたびP2y第一チーム(記者とは別の運営側)側の意思表示らしき声明文が出されていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか?
おそらくP2y第一チームはP2yの組織内においても強い権限があった事が伺えますが、上記のウェブ魚拓ではそのP2yの第一チーム沿革の中にMOTHER partyの沿革がそのまま載せられていました。

この沿革からもわかるとおり、P2y第一チームはアポロ船長及びMOTHER partyと少なくとも非常に近しい人物が関わっていたと思っても差し支えはないと思われます。
2020年に運営体制を変更して以降もこの画像にも記載されているP2y第一チーム、つまり「任天堂ニュースタイムズの流れを汲む記者」はサイト内でゲーム系記事を書いており、2022年末にk-sonから記者が不明瞭だと指摘されてP2y側が謝罪、運営刷新後にVTuber関連の記事は新代表である2号さん(仮)が記事に署名をするようになって以降も、ゲーム関連の記事はこの匿名の「任天堂ニュースタイムズの流れを汲む記者」が投稿していました。




これらの事からP2yというニュースメディアそのものが「任天堂ニュースタイムズの流れを汲むチーム」と強い関係性がある事がわかりますが、この人物自身がP2y初期の頃にアポロ船長やMOTHER partyに強く関わっていた人物と同一人物であるかどうかは定かではありません。
P2y第二チーム、サブカルジャンルを扱う記者チーム
ではP2y第二チームとはどのようなチームだったのでしょうか?上記の当時の魚拓ではP2y第二チームはタイムズヘッドラインを汲む運営チームであり、2009年6月にプロジェクトタイムズを設立したとされています。

結論から言えば、P2y第二チームはその時代時代でアポロ船長が強く関心を抱いていたサブカルコンテンツ(初音ミク、アイマス等)を扱う記者達が集まってできた集団がプロジェクトタイムズであり、その集団が作ったサイトがタイムズヘッドラインというサイトであり、後々のVTuberを扱うP2y第二チームへと変遷していった。という経緯があります。



アポロ船長がP2yのオーナーだった時期にミライアカリの所属企業の移籍を発表した日のポストです。アポロ船長が如何にVTuberというジャンルに関心が強かったかが伺えます。
また当時のタイムズヘッドラインのサイト評ではゲームのジャンルを同時に扱っていた事も伺え、総合するとプロジェクトタイムズ及びその後継となるプロジェクトパーティーとは任天堂&MOTHER等をメインに扱うゲーム系メディア(P2y第一チーム)が実質的な主導となり、アポロ船長が強く関心を寄せるサブカルジャンル系メディア(P2y第二チーム)の記者が合流して運営される横断的なマルチジャンル総合ニュースサイトの運営を目的としていたと思われます。
最後にもう一度プロジェクトパーティー改名時のアポロ船長のポストを再度確認します。

5. 略図で見るP2y創設までの経緯
長々と書いてきましたが、以上がP2yが設立するまでのプロジェクトタイムズ及びプロジェクトパーティーの設立の経緯になります。
そこでこれまでのアポロ船長の発言、MOTHER partyの内容、P2yの内容からまとめたP2yが設立されてから解散に至るまでのアポロ船長含むプロジェクトパーティー周辺のグループの動きを簡単な略図で表してみました。
それがこちらになります。

これを見るだけでもアポロ船長の周辺の記者グループとその変遷は多岐に渡っており(P2y運営期間中のそれぞれチームの変遷はさらに複雑化していますがここでは割愛します。)、それぞれのグループが具体的に何人の記者がいるのか定かではありませんが、アポロ船長の周辺には相当数の記者がいる(いた)ことが伺えます。
また今回の略図には記載していませんが、プロジェクトタイムズ、プロジェクトパーティーとは直接的な関係のないサイトも過去には存在しており、またP2y運営時代にはゲーム記事を書く記者とは別に各VTuber事務所ごとの記事を書く記者、初音ミク担当記者、自動車担当記者がいたことなどから最終的にアポロ船長に間接的にでも関わった記者の人数は10人以上~数十人規模の人数がいるような印象を受けました。
次回以降はそれらのサイトで起きた出来事にフォーカスをあててまとめていこうと思います。(次回のnoteが出来次第こちらにリンクを貼りますので是非ご覧ください。)
6. progressというメディアサイト(2024.7.2追記)
2024年5月30日にprogressというP2yによく似たサイトが開設されまていました。
類似点としては
・progress開始時期とP2y閉鎖時に発表したゲーム系記者による新サイト設立準備中というポストとの符合すること(P2yによる新サイト設立発表は2024/5/22、progressのサイト開始は2024/5/30)

・P2yに過去存在していた自動車(ジムニー)ジャンルを扱う記者チームと同名であること

・ゲーム系記事とVTuber系記事が中心のメディアというP2y、すなわちプロジェクトパーティーと同じ構成
・過去に任天堂を中心にゲームの記事を配信してきた経験があると言及しつつもその具体的な対象メディア、記者の略歴が不明(過去にP2yに投稿していた任天堂ニュースタイムズの流れを汲む匿名の記者、もしくはP2y第一チームによるもの?)
・メディアポリシー、プライバシーポリシーの方針がP2yと酷似
・上記のメディアポリシーでは「私たち」と複数の記者がいるような謳い方をしているものの、progressの記事は全てPosted by PROGRESSとしており、過去にP2yが非難されていた実態が不透明な運用形態を踏襲していること
気になった点をざっとまとめてみましたが、VTuberの話題と絡めた場合、さらに他にも類似点が出てきますが、このnoteの性質上割愛します。
ただし、この追記を書いている現時点でprogressは旧P2y第一チーム、ないしアポロ船長が関わっていると明確に断定もしくは否定できるような判断材料は出ていません。
7. 第二回目以降のnoteについて(2024.9.28追記)
先述の通り第二回目以降のnoteのリンクと簡単な概要を載せています。お時間があれば是非ご覧ください。
P2y、その始まりを辿る② - Wikipedia工作騒動 -
P2yとは別のプロジェクトパーティーの一環としてアポロ船長が現在も直接運営しているMOTHER party周辺で過去に起きた騒動についてまとめました。
MOTHER partyが悪質なサイトを買収していた事、アポロ船長の“弟”による用意周到&非常に長期に渡るインターネット工作を行っていた可能性があった、という話を載せています。
P2y、その始まりを辿る③ - アポロ船長周辺サイト、最大の炎上 -
P2y第一チームとP2y第二チームのそれぞれの元となる任天堂ニュースタイムズ、タイムズヘッドラインの間に存在したP2yの沿革に名前が伏せられているサイト、「うらなか.net」についてとそのサイトの管理人が初音ミクとVOCALOID界隈で起こした二つの炎上、そこからタイムズヘッドラインにつながっていくまでをまとめた話を載せています。
P2y、その始まりを辿る 最終回 - とあるサイトから抱く疑問 -
P2y第二チームの元となるタイムズヘッドライン、現在は閉鎖されていますが「とあるサイト」からその実態を推察しています。そして今までのnoteを通して見てきたP2y、元オーナーのアポロ船長についての総論をまとめたnoteになります。
P2y、インターネット上における賛の声①
P2yというサイトを色々な視点から見るnoteの新章です。P2yにネガティブな印象をもっている人達に向けて“賛”の意見を集めてみました。(以降のシリーズは全てリンク先に載せる予定です。)