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多くの人々が努力を放棄すればそこにエッジが生まれる


努力が否定的な意味を持つようになった

おそらく親ガチャ論がSNS上で議論の的になり始めた辺りから、遺伝を礼賛し、努力を唾棄する風潮が強まっていったと思います。
確かに人間の能力が遺伝に強く依存していることは、科学的にも明らかになっています。
知能や容姿などの社会的成功に必須とも言える要素が、遺伝によって決定されるなら、人々がやる気を失うのは自然なことです。

中国では競争を放棄(つまり努力を放棄)し、必要最低限の生活費で暮らす「寝そべり族」なる人々が増えているそうです。
努力すればするほど国が豊かになっていった時代とは打って変わって、どことなく閉塞感の漂う現代社会で、インセンティブもないのに努力をする人は少数派なのでしょう。

逆張りの旨味

ただ人々が努力を放棄することで、希少価値というのは生まれてくるものだと思います。
特に勉強面では、努力を嫌う人がとても多いと感じます。
社会人の週の平均勉強時間がたったの7分という衝撃的なデータが、それを物語っています。
今では受験勉強ですら、誰もが通る道では無くなりつつあり、平均的な日本人はガチで勉強する経験がないまま生涯を終えるのかと思うとちょっと複雑な気持ちです。

必ずしも努力が何らかの成功に結びつくとは保証はできませんが、みんながサボってる今なら、努力する旨味があるとは思いませんか?
「人の行く裏に道あり花の山」という相場格言のとおり、戦略的逆張りはエッジを生み出すものです。
ネットで齧った程度の知識で「全部遺伝で決まるんだ!」嘯く輩を尻目に、ひたむきに努力を重ねていくのは気持ちの良いものです。

根性論ではなくスマートな努力

かと言って根性論を推奨しているわけではありません。
根性論はただ単に苦痛であるだけで、アウトプットにフォーカスしていません。
スマートな努力というのは、結果を極めて重要視しています。

がむしゃらに量を増やすのではなく、PDCAサイクルを回しつつ、結果に最適化した努力をひたすら続けるのです。
PDCAサイクルを回す上で重要なのは、素直になることです。

PDCAのCAの部分では、自分の誤りを認めて修正する必要があり、これには苦痛が伴います。
苦痛を少しでも和らげたいなら、従来のやり方を潔く捨てて、新たなやり方を受け入れるだけの素直さはやはり必要です。

私は親ガチャ論蔓延る昨今でも努力する人達を応援しています。


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