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長期ニートが就職に対して前向きになれない理由を言語化してみる
高卒で就職した同期に対して、義務教育の期間程度の遅れがある年齢になりました。
自分でも薄々勘付いていますが、人生の軌道を修正するなら今がラストチャンスだと思います。
しかし重い腰がなかなか持ち上がらず、焦りばかりが募っています。
泥沼にハマった車に乗って、アクセルを思いっきり踏んでいるような状態が続いています。
何を頑張ればいいのかが分からない
新卒一括採用というレールが敷かれた日本では、落伍者に対してはとても厳しい扱いがなされます。
もちろんそういった人向けに対して、就職を支援するような仕組みはありますが、何というか根本的な解決には至っていないような気がします。
引きこもりの大半が精神疾患を有していると言われていますが、じゃあ精神疾患は完治できるのかと言われたらそうではありません。
脳に外科手術を施して「はい治療終わり」というようなことはあり得ず、対症療法的にちまちまやっていくのが主流だと思います。
とにかく雛鳥のように口を開けて待っていたら、親が餌を運んできてくれると言ったことはないのです。
目標を仮決定して、それに向けて邁進していくということが求められます。
「とりあえずバイトから始めてみよう」というアドバイスが散見されますが、とりあえず社会参加させておけばいいという浅はかさを感じます。
なんというか根本的に自活能力を高めるといったことにフォーカスできていない感じがします。
まぁ偉そうなことを言っていますが、結局は会社と労働(奴隷)契約を結ばざるを得ないわけです。
変に回り道をしすぎたせいで、「会社に頼らない生き方をしよう」とかそういう言説に靡かれますが、結局は生命そのものを切り売りしていくしか選択肢はありません。
いい大学に入ってガクチカ作っていい企業に就職するという一般的なルートを辿ってきたわけではないので、今更何を頑張ればいいのかという感じです。
運動や読書などは習慣化していますが、間接的に役立っても直接的に役立っている感じはしないので、時間を無駄にしてる感は否めません。
分かりやすい収入という指標もないので、当然親からは絶望されて、兄弟からもマウントや非難を浴びせられます。
PDCAも言語化が下手なので、同じところをぐるぐると回り続けています。
サラリーマン像は野原ひろしで止まっている
どれだけ想像力を発揮しても、サラリーマンに対する解像度が上がるわけではありません。
ゆえに国民的アニメからサラリーマン像を作り上げざるを得ません。
クレヨンしんちゃんの野良ひろし(商社の営業マン)のように、満員電車に揺られて、頭を下げながら取引先と名刺交換をして、深夜遅くまで残業するという感じなのでしょうか。
とにかくサラリーマンに対しては得体のしれなさがあります。
未知のものに対する恐怖というやつです。
お化けや宇宙人に対して恐怖を感じるのは、それらが得体のしれないものだからです。
サラリーマンに対しても同様の感情を抱いています。
通勤時間帯に電車に乗れば、サラリーマンに謁見することはできますが、会社の中までついていくことはできません。
そういう得体のしれないものを目指せと言われてもニートは困惑します。
弁護士や会計士などの専門職なら、とりあえず勉強しておけば間違いないという発想になりますが、サラリーマンとなると首を傾げてしまいます。
単に私の勉強不足だったり、行動不足というだけだと思いますが、未知への恐怖は未だに拭えていません。
恐怖が雪だるま式に大きくなり行動に制限がかかる
「消火活動は初期消火が重要である」と言われているように、ニートから脱するのも早ければ早いほうがいいです。
やはり先延ばしにすると、何事も想像以上に膨らんでしまい、自分の手には負えなくなります。
就職に対する恐怖ももちろん例外ではなく、雪だるま式に大きくなっていきます。
「社会から門前払いされるのが怖い」や「仮に働けたとしても無能扱いされるのが怖い」など枚挙にいとまがありません。
よくニュースなどで「8050問題」が取り沙汰されますが、そのくらいの年齢になると、親の死という耐え難い恐怖が待ち受けています。
奇譚なく言ってしまえば、50でゲームオーバーというわけです。
恐怖が限界まで膨れ上がると、もはや行動の力では現状を打破することができなくなります。
まだ雪玉くらいの段階に、軌道修正すれば間に合う可能性があります(30代前半くらいまで)。
ところで恐怖の源泉とは一体何なのでしょうか。
個人的には、やはり経験不足から来るものだと思ってます。
キャッシュレス決済の黎明期では、スマホのみを持ち歩いて買い物することに抵抗感や緊張感を感じたことがある方は多いのではないかと思います。
しかし、今では皆が財布を持ち歩くことを煩わしく思ってさえいます。
つまり、経験済みのことに対しては恐怖という感情は湧きづらいのです。
これの原理を就職にも応用すれば、おそらくニート脱却も難くないでしょう。
長々と書きましたが、つまりは"慣れ"ということです。
社会人だって誰もが初めから社会人だったわけではありません。
理想は社会の方からハードルを下げてくれればいいのですが、現実は残念ながらそうなっていません。
まだ恐怖の少ない段階から、動いてみて社会に対する解像度を上げていくということが重要だと思います。
行動してみて「やっぱり無理!」と思うかもしませんが、それはそれで収穫として人生の糧にしたらいいのです。
生成AIの台頭で総ニート社会が到来する(はず)
個人的な希望的観測が多分に含まれますが、ここ最近の生成AIの進化は目覚ましいものがあります。
あくまで個人的に使ってみた感想ですが、カウンセリングに関しては、おそらく生成AIの右に出るものはいないのではないでしょうか。
決してカウンセラーが不要であると言っているわけではありませんが、認知の歪みも指摘してくれて、感情的にならず淡々とアドバイスをしてくれるのは個人的に非常にありがたいです。
コーディングなどの様々な業務でも大活躍だそうで、今後の活躍に期待しています。
推定IQが100程度で、今後も性能が上がり続けると仮定するなら、大多数の人間が労働生産性で生成AIに劣後するということになりませんか。
そんな社会が到来すれば、人間が働く意味はもはやなくなると思います。
全ての業務は生成AIに代行させて、人間は牧歌的な暮らしをすればよいのです。
そんなユートピアを望んでいますが、果たして未来はどうなるのでしょうか。
肉体労働の需要は当面は高止まりしそうなので、筋トレや有酸素運動に励むと良いかもしれません。
とりあえずベーシックインカムの導入を願ってやみません。
お目汚し失礼しました。
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