「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」の話
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ
↑これ※ 1に行ってきたときの話。
①Gravity and Grace
Gravity and Graceは、鑑賞者の行動込みで解釈されるべきだと思う。
これに出会った鑑賞者は、ざっと分けて4つのことをする。
1、光と影に夢中になる
たいてい、写真も撮る。
2、光に近づいて見て、体が上昇しているような錯覚を味わう
エレベーターに乗っているみたいだと話しているのを聞いた。
3、床の黒い文字に気づき、読む
黒い床に黒い文字で書かれている、日本語以外の文章もある。どうも詩文らしい。文はけっこうたくさんある。
3はしない人もいるかも。私も全ての文字を読み切りはしなかった。大抵の人が読み切らず、諦めていると思う。
4、空間から出る
これが大事なのでは?と思った。
Gravity and Graceは原子力発電、東日本大震災時の事故、原子力エネルギーに頼る人類、とかを批判してる作品らしい。無くしたパンフレット※2に書いてあった。
何枚か写真を撮ったけど、これが作品主題(原子力発電─人災─への批判的眼差し)に一番あってる気がする。鑑賞者がうつっていて、光を見ずに移動しようとしている人がいるところとか。
私たちはこの空間に入ってきて、まず光に夢中になる。
(光は核分裂の際に生まれる巨大なエネルギーなどを象徴する。人々はそれに夢中になる)
そのあとで、私たちは地面の黒い文字を読むかもしれない。
最大87万ルクスになる光が上下に動くのにあわせて、読みやすくなったり読みづらくなったりする文字だ。
黒い床に黒い文字が書いてあるため、近づいて、しゃがみこまないと読めない。床の文字を読むとき、読む人の視界に光のオブジェは入らない。そういう読みづらさ、そういう位置に文字は書かれている。
つまり、黒い文字を読むには光に近づいて、でも光を無視しなければならないということだ。
そして私たちはこの部屋を出る。
部屋を出る時には、光から目を逸らさなくてはいけない。光から遠ざかり、別のもの(他の作品)へと動き出さなくてはならない。
この部屋に留まっていられる人はいない。必ず全ての人がここから出る。すなわち全ての人がこの光から遠ざかる方向へと動く。
原子力を象徴する強い光を、見て、そこから目を逸らし、遠ざかる。
この作品があることによって私たちの行うことと、その象徴的な意味。すごいなと思う。言葉ではないものによってここまで明確に何かを主張できることを初めて知った。
この作品の存在自体が救いとか祈りみたいに思える。
私たちは目を惹かれたものから、目を逸らすことができる。
そういう理由でこのnoteに使う写真には、何枚も撮ったなかから、まさに部屋から移動しようとする人がうつりこんだものを選んだ。(本当は、人がうつりすぎているからあんまり良くないかもしれない)
②舞台「Rain」のためのドローイング
どんな身体表現をして欲しいのかが、絵の具の濃淡や描いた手の動き、筆圧からよく伝わる。その点で前衛書道にも近いと思った。上段右など、演劇のワンシーンにも見えるほど象徴的なものもある。
軽い気持ちで見て、本当に驚かされた展示。ドローイングでありながら、作品として展示されて問題ないレベルに達していた。
③Liminal Air Space ── Time 真空のゆらぎ
この作品の写真によって、私は大巻伸嗣の名前を知った。写真で見た際には、幻想的で美しく心惹かれたが、実物を見た際には怖いという印象のほうが強かった。
得体の知れないものがせまってくる怖さ。綺麗な気もするけど、それよりも怖くてどきどきした。嫌な感じのどきどきだった。
ずっと続いているかのような暗闇と差し込む光。広い空間を二分する、一枚の布。一枚の布によって空間は仕切られ、その分け目はつねに変化する。
布の動きは波の動きに近く、夜の海、あるいは朝のまだ暗い海みたいだった。空間がねじれ、うねるさまは、境界が曖昧になるという意味でファンタジーやホラーを連想した。ファンタジーとホラーの差は異界のものがポジティブが否かだけのような気がする。
終
良い展覧会だった。行けてよかった。
いま日比谷公園でGravity and Graceが展示されているらしいので、良ければ。
※ 1
展覧会情報
https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/ohmaki/
※2 作品PDF
https://www.nact.jp/exhibition_special/media/6f6042fa84f16d89577dbd32f8c96463_3.pdf