君たちは生きているか
リスペクト、オマージュ、好きに言ってください。「君たちはどう生きるか」(宮崎駿)のパクリとでも何でも。
養老孟司先生の「人生論」で指摘された「日本人は生きていない」という外国人の指摘は、実に興味深いものである。
これは何を言っているかというと「社会的に構築されたルールに縛られまくっていて、本来の意味で生きることができていない」ということなのであろう。
そこでまた学校に話を戻す。
「ところであなたの教室の子どもは生きていますか」
もちろんこれは教師自身に向けられても良い。
「あなたはどうですか」
外国人である彼らは何も通例、慣例、常識、規則…それらを排除せよと言っているわけではない。大勢が暮らす世間では一定の決まり事はあってよい。ただ、外国人から見れば「生きていない」という強烈なワードを使いたくなるほど、日本人は「縛られて」いると感じるのである。
教師が発問するが一部の子が挙手して終わる。どうして挙手しないのか聞いてみると「人からどう思われるか不安」とか「恥ずかしい」とか、いかにも日本的な(ある意味閉鎖的な)やりとりに終始する。
冬の寒い時期に上着を着ることにすら、細かな注文をつけ、違反した場合には指導を行う。
どうして、このような日本的な世間は変わらないのか。この答えは簡単だ。本人に変わる気がないからである。だからこそ、この命題は個々人に向けられているものなのである。
今さら社会を変えることは難しい。ならばあなた自身はどうするのか。日本という社会のなかで、どう生きていくのか。それは本人にしか決められないことなのである。