【欧米の植民地から解放する】という🇯🇵政府の言明が嘘だった事を示す文書がある。1941年、軍の最高指導機関【大本営】と政府の連絡会議で決まった【南方占領地行政実施要領】という文書で軍用資源と占領軍の現地自活のために必要な物資の取得により現地人の生活に及ぶ重圧は我慢させる、とある。また1943年に同じ【大本営政府連絡会議】で決まった【政略指導大綱】では🇵🇭フィリピンは、なるべく早く独立させるがマレー、🇮🇩インドネシアに当たるオランダ領のスマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス各島は帝国領土と決定し、その事は当分発表しないと決定。独立させるか、しないかは日本が決定する。しかも、どう決めたかは隠す。資源獲得が最優先で現地人には生活が苦しくなっても我慢させる、これのどこが『アジア解放』と言えるだろうか。しかも『朝鮮を独立させる』とも『🇨🇳中国侵略をやめる』とも『満洲国は🇨🇳中国に返す』と一言もない。自衛でもアジア解放でもなく、アジア侵略が目的だった事は明白。アジア各国が戦後、独立を果たしたのは日本のお陰ではない。各国で日本に抵抗する【独立運動】が繰り広げられ、それが戦後の独立の基盤をつくっていたからだ。中国は太平洋地域に派兵された人数よりも多い約100万人の日本軍と戦い日本の全面的支配を実現させなかった。朝鮮の【独立運動】は困難を極めたが国外も含め粘り強く続けられ日本の敗戦後に【独立運動】の諸勢力が合流して朝鮮人民共和国の建国宣言を発表した。🇻🇳ベトナムでもベトナム独立同盟の呼び掛けで日本敗戦の直後にベトナム民主共和国の【独立宣言】した。🇮🇩インドネシアは最も早く【独立宣言】を行った国である。🇵🇭フィリピン、🇲🇲ビルマ(=ミャンマー)、🇮🇳インドも各独立を成し遂げた。🇰🇷韓国・🇰🇵朝鮮の様に国家の体制を失っていたために米ソ対立に巻き込まれ、統一国家の建設が出来なかった所もある。どの国も、戦後の経済と生活復興はドン底から出発しなければならなかった。