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倫理主義

日本人は古来より、【義理と人情】で成り立っていた。
倫理主義という社会を形成していた。

・江戸の人情
・能や歌舞伎
・落語
・演歌

など、文化として【義理と人情】が常にあった。
好き嫌いではなく文脈として、日本人のなかに流れている。

ひと昔前の少年ジャンプでも【友情・努力・勝利】を三大原則として、少年たちの気持ちを惹きつけていた。

まだ倫理的な思考が中心にあった時代だ。

セブンイレブンができ、POS管理が発達して、商売人情が希薄になった頃から、人知れず合理主義に飲み込まれてしまった。

等価交換【倫理的な商売】|ろくさんの【読み書き算用チャンネル】 #note

効率的な合理主義に飲み込まれると、人は単純化されて吐き出される。

人との関わりを避けて、人と関わらない手段を手に入れて、人から離れて孤立していく。

テクノロジーが孤立を手助けしている。

狩猟民族にしろ、農耕民族にしろ、他人のチカラを借りないと、狩りも出来ないし、水も引けない。
だからグループを作り、コミュニティを作る。

現代は、肉も米も簡単に手に入る。なんなら、できたての料理がウーバーイーツで手に入る。
そのウーバーイーツも電子マネーで決済できるし、その電子マネーもリモートワークで手に入れることができる。

全て、実体が変換されたデーターのように手に入る。

実体が変換されて、突然、目の前に現れる。
原材料とかは一切ない。結果だけが目の前に現れる。

これは同時に人という存在もなくなるのではないのか。

ウーバーイーツの配達者は、配達した食べ物を、人に渡したといより、商品というモノを渡した。となる。コロナ禍の置き配により、更に【モノを渡す】ことが浮き彫りとなる。

対象が【人からモノ】に変わっているのである。

合理主義=今の資本主義の中心は【人でなくモノ】
人も、モノと同じで【人材】という商品になる。
テクノロジーがあいだを省略して、人もモノとして単純化されるのである。

モノを売るだけの商売より、気持ちや人情まで一緒に売ってくれる商売の方が、日本人には合っている。

義理と人情は面倒くさい事もあるけれど、面倒くささの中に人の温かさを感じる事ができる。一人でいると、そんな小さな温かさにほどされる。

ダサくても倫理的な世界が望ましい。


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