命とネタと承認欲求と集団心理
面倒臭い人間関係から離れて数ヶ月、その間も凄く嫌な思いをしているのですが、元凶となった人間の話を聞かないだけ過ごし易いです。
私が1番嫌いなのは人の命を粗末に扱う事です。ずいぶん前ですが、どうでもいい事かも知れませんが凄く傷つきました。
私は正直あんまり大勢の人とわちゃわちゃし続けるのが苦手で、自分の世界と時間が欲しい人なのでグループチャットでも、ほぼ参加せずこちらから何か話題があった時だけ参加するみたいなそんな感じでした。なので、とんでもない会話がなされていた事を
密だった人間関係から離れて知りました。まぁ、ある人の件でグルチャの方々が色々動いていた時もやり過ぎじゃないかな??と思う事が多々ありなんでそこまで必死になるんだろう??疑問でした。堂々としていたらいいのに🤔と。
あるインフルエンサーがイタコ芸している小林麻耶氏の事を笑う〜みたいな軽いツイートをした事は、現在癌と向き合ってる人にはかなりショックだったようです。その人はそういう軽い扱いは、オウムの時と同じで取り返しのつかない事になると思ったようです。私も子宮系については一度だって軽い問題だと思った事はないし、「ウォッチャーとして揶揄るスタンスのみ」みたいな事を一旦は言っていたインフルエンサーらしいなぁと思いました。
インフルエンサーと当事者だけの問題に、なぜかインフルエンサーの取り巻きが関わり出して色々揉めに揉めていたようで、昔から私が言っていた「教祖になると教祖が手を下さずとも取り巻きが兵隊になって叩いてくれる…」そんな感じだったようです。
喧嘩両成敗かもしれませんが、最後は相手の人格まで否定してしまわれたようで、話し合いにすらならなかった模様。
生命にリミットがある人、宣告されている人の立場に立って考えると言う優しさがもう少しあれば事態は変わっていたのでは??そこまで気配りできていればこの問題はもう少し穏便に済んだのでは??とかまぁ色々思ったわけなのですが。
時間は生命、私の場合は都合良くインフルエンサーに利用されて自分の時間を失った事に腹が立ちましたが、そんな人間はこれからも同じ事を誰かに繰り返して業を積むのだろうと大分怒りが治りました。しかし私は私のやり方で違う事は違うという言い続けますし場合によっては内容を公開するつもりです。
承認欲求を満たす為に自分は間違ってないと言う、いつも誰かが対象になってとことん迄自分で叩くか、周りに叩かせるか。そりゃ周りはエキサイティングしますよ。でもそのショータイムの為に、生命の尊厳を傷つける、エアリプで揶揄る。生命の宣告をされた人に、兵隊さん達も何度同じ事を繰り返しているんだろう??ちょっとビックリでした。
そうでした「エアリプって基準もないですし誰かの胸に刺さったなら仕方ないよね〜」のスタンスなら逃げ切れるわけで。
もしかすると私の思い違いかもしれませんね??
100歩譲っても許せないのは生命を軽視する態度なのですが
人が死のうが生きようが関係ない事ですよね
じゃないとこんな事できませんし…。
カルト味帯びてきたなぁと、しみじみ思いました。