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消える命の人を私は裁けない。

 桐島聡が捕まって、自分が接触したことのある元学生運動のリーダーの話をXでしたら、美談にするな他ちょっとしたお叱りを受けた。既に8人の方、被害を受けた人はもっといる。
その人や家族思いを考えると自分の手て殺したいくらい憎んだ事もあるかもしれない。だけれども私は他人だし、のたれ死んで50年間逃げ切れたはずを捕まるの承知で入院したってのは、逃げ切りではなくて最後に桐島聡として罪を償いたかったのではないだろうか?なんて思ってしまう。人は命の期限を知ると最後に悔いのない生き方を望むのではないか??など色々思うのだ。
もう明日明後日死ぬかもしれない人に、罪を償えとか逃げ得とか税金生き延びるなとか、もう身体に毒が回っている人間をさらに拷問するような世間の冷たさにぞーっとした。それが社会なのかもしれないけれど。
己の欲せざる事は人に施すなかれって言う論語が好きで、なるべく人にはしまいと思ってもしてしまう時があるので人として全く足りてはないのだけれど、重信も悪い、しかしそういう人間を時代が彼ら彼女らを育ててしまった部分もあるのではないだろうか?とも思う。桐島が指名手配になった年はまだ赤ん坊で、三菱重工のビルは祖父もあの頃なら仕事で出入りしていた頃だから、身内が被害者になる可能性だってあった。それでも憎めないのは、私に裁く権利もなければ、更に桐島を傷つける理由もないから。
美談にするつもりもなく普通にそれぞれ人の生き方にはドラマがあって色々感じる部分があるからそれについて語っただけなのだけれど。
私個人が思う彼の人生は相当暗く重かったのではなかったかな??と思う。
胃癌は相当苦しい、危篤状態になるまで10割負担で病院に通いながら逃亡を続けた。
捕まれば重信みたいにがんの治療を受けて、筋トレしながら体力つけて社会に出られたのに。重信はまたやるんじゃないか??っていう心配はある。入所中彼女の主治医が筋トレして元気だよって言ってる話を聞いたし、子供の前で爆薬を作っていたような人だし何故なら彼女こそ「革命家」という肩書きがなければただの人だから。
何十年も偽名で存在を消して生きてきた人間が、全快してまた爆破なんて考えるだろうか?そもそも支援者のネットワークがあれば危篤するまでのことはなかったかもしれない。個人的には偽造の保健証もクレカもないんか…とニュースを聞くたびに驚いた。
多大なる迷惑をかけた犯人だけれど、医療費も自分で負担して最後の最後に死んで詫びたんじゃ…とか色々思うのです。彼は乙丑の人でコツコツ頑張る大器晩成の人なんです。私にも同じ乙丑の男性の知り合いがいますが、非常に人付き合いが良くてでも断れない人だからそれで損してる部分が多々あります。
なので桐島も人の良さに付け込まれたのかもしれません。そういう性格を利用する人間が1番悪いのですが…50年前の事までよく分かりませんが、事実を真実にする為に
都合よく話を拾い上げる昨今のマスコミは、これは次世代の知識の蓄積になるニュースなのだからしっかりと取材をしてほしいと思います。桐島が生きてきた軌跡を都合よく
まとめるのだけはやめて欲しいです。

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