冥想と夢見(10)20220716

冥想と夢見(10)

2022年7月9日から書き始める

またアルシオンの話題

わたしは毎日アルシオンと一体化することを試みているが、このアルシオンについては、ブレイディは、第三の目とか予言とかの性質があると説明していたような記憶がある。(あまりはっきりしない。)わたしはここ最近はずっと、アルシオンは幻想世界を作るという説明をしていた。正確に言えば、デュートロコスモスの太陽にまで降りて、この降りるということが、太陽系を創造するという意味だが、この下降という姿勢から見ると、世界はすべて作られたもの、すなわち幻想なのだ。
 幻想世界という言い方をすると、これで勘違いする人がいると思うので、もう少し詳しく説明すると、幻想というと、それに対置する現実ということを考えるかもしれないが、この現実世界も、幻想の一つだ。世界とはものの見方であり、また作られたものなのだ。なので幻想世界を作るというのは、旧来の幻想空間に対して、さらに別のものを作り出すというもので、これは新たに作るのか、それともいままでの現実と思われていた幻想世界に付け加えたり、改変したり、別のものを並列させたりするなどもあると思う。ここに「こうあるべき」という決まりきったルールはない。
 この現実世界も幻想のひとつだというのは、そもそも宇宙の創造の法則、1なるプロトコスモスから、自己分割によって7つのコスモスが作られているので、この宇宙とは、1なる意識の自己喪失めいた夢見であり、目がさめると消えてしまうものだということから来ている。この自己分割は、創造の光線の下降であり、人間が地上に住んでいて、上の次元に上昇する場合には、これは上昇(進化)のコースに「しがみついており」、ここでは、固い岩のような現実世界が前提にあるように見える。固い現実世界があるように見えるのは、その中に生命としての自分が不在だからだ。
 そこで、夢と現実というような対比をしていくと思うが、人間や意識は、上昇し限界に行くと、下降をはじめ、また底打ちすると、上昇する。この繰り返しの中では、やがて、現実というのは、ひとつの解釈にすぎず、やはりそれもまた幻想なのだということを実感するようになる。上昇して、下降すると、すべては作られたものだということを確信して、コスモスや世界に対して、リラックスした姿勢で臨むことができる。たとえばキリスト教の天なる父に対する見方は、かちかちのもので、一点も揺るがない固定観念がある。上昇しきって、下降する意識は、こうした姿勢に対して、珍しい動物を見るような目で観察するのではないか。というのも下降意識は、天なる父を、自分のこととして、その思い、意志などを直接体感するからで、そうなると、絶対揺るがないかちかちの視点というものではなくなってしまう。

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