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ロックアウト 1-その時は突然に

アメリカ企業で働いて来て、position close、pandemicのlayoff、日本法人のshrinkと経験してきたが、とうとうlockoutされ会議室に監禁されるまで経験した。
ここ数年はBlackPinkからはじまり、昨年からはNew Jeansが気に入っており、ファンクラブにまで入ったが、この文章を書く時は西野カナをApple Musicで聴いている。今朝もIVEのウォニョンの「過ぎた事を後悔しない」という格言を繰り返しYoutubeで観て、自分の3分の1くらいしか生きていないK-POPアイドルの言葉に背中を押されて、ようやくこの文章を書き始めることができた。
西野カナを聴いていた当時は、本を執筆していた。出版された本は、多数の媒体で紹介されて、NHKねぽりんはぽりんの取材も受けたけど、本のテーマがNHKにとってというか、芸能・放送業界にとって当時はまだ触れてはならない領域だったので、番組のディレクターとの打ち合わせの30分前にキャンセルになった。なんか、ちょっとサラリーマンの副業が話題になり始めた頃で、私もサラリーマン作家の希望も薄ら見えてたが、あっさり終了。
SNSの世界からも身を引いた。

それからは、アメリカ企業で営業として、ひたすら成果を出すために働いたので、界隈で話題になるような本を全然読んでいなかった。

昨日届いたHerman Millerに座り、MacBook Airを開き、この文章を書いている。止まった時間を逆戻りするような作業。鬱ではないと思っていたが、1か月もやる気が起きないのは鬱なのだろう。これまで毎日10時間くらいタイピングしていた指は、椎間板ヘルニアの影響で痛みが走る。

ロックアウトされてから、この1か月何をしてきたのかというと、最初の2日はマンションのシミュレーションゴルフで、川奈と韓国のゴルフコースをまわって、ドライバーと8番アイアンだけでひたすら打ち続けて、その後はNetflixで韓国ドラマを1日10時間以上観ていた。

南青山のVolvoの裏に新しくできたAW Kitchenの渡辺明の店には4回行った。行くたびに、麻布十番にあったKOTATSUを思い出す。そう、この楽しい時間がいつまでも続くと思って、毎日麻布十番で「泡ください」と言っていた頃を。

向き合わなくてはならないのは自分で、分析しなくてはならないのも自分で、次の戦略を考えるために、過去を分析し過ぎてしまいそうで、
毎日、noteにログインするのを躊躇った。CV/resumeも更新できていない。

もちろん、弁護士とも共同作業は進めている。今は準備中である。

西野カナを聴いて、西麻布のカラオケでTBSの北野君や、電通君達とシャンパンを頭からかぶっていた頃は、女性の会社組織での生き難さや、見えないガラスの壁に葛藤する程度だったが、楽しい事や楽しみな未来を想像することができる時間はまだまだ続くと思っていた。

誰かに頼っていたい気持ちを絶って、自分のご飯は自分で食べると決心してから、K-POPが好きになった。
K-POPのgirl crashが女性の自立を意味しているから?ではない。ただ、自分が決心したタイミングから西野カナが耳に入って来なくなっただけ。これは無意識の意識した行動か。
新宿2丁目のオカマBARで西野カナの「もっと」をカラオケで歌った時に、ママに
「ウザい女ね」
って言われて、その事をamebloに書いた記憶がある。
”もっと君の心の中にいたいよ” というフレーズが当時の男性が希望する女性像だった気がする。心の中というか、「檻」にいてくださいという意味だったように感じた。重いというより、「俺より、稼ぐな、俺より目立つな、俺より出世するな、」と男性からの見えない圧力を受けているような気が当時はしていた。

アメリカ企業で働いてきた私だが、会社のタイプはそれぞれ違って、アメリカのデラウエア州にある本社でテキサス州オースティンに拠点がある企業と契約して仕事をしたり、アメリカ企業の日本法人に雇われて契約したり、特に金融機関などは、アメリカ企業のシンガポール法人の日本支店(出先機関と呼ばれる)に雇われたりと、外資系企業と言っても、複数の法人タイプが存在する。

今回は、3つ目の契約形態で起こった。

12月の東京は、日本人は忘年会や年末の挨拶回りで忙しく、外人はクリスマス休暇の予定で仕事が上の空になりがちな中、lockoutは突然にやって来た。
あいにく、というか最後の記念になってしまったが東京アメリカンクラブで盛大に開催された会社のYear End Partyには参加できた。

外資サラリーマンは片道切符だ。

1万円のlunchも今では自分で食べれるけど、
背中には いつも 突然くる大きな時限爆弾を抱えている。




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