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人を信じる力
8年前の記事から・・・
浪費癖は、誰の人生の中でも起こり得る悪念悪業のひとつです。
金額の大小はあります。
高級車を何台も車庫に並べる。
高級カメラと白レンズを何台も首にぶら下げる。
世界中を観光してインスタを いいね! で一杯にする。
お菓子をカゴ一杯に入れる・・・
その本質は同じです。
なぜ誰もが何らかの形で経験してしまうのか?
それは浪費癖が、大きな気づき、以後の人生に大いに役立つ智恵をもたらしてくれるチャンスだからでしょう。
浪費しちゃったもの・・・お金、時間、体力と気力、健康などなどに見合う知恵を得ましたか?
その浪費の思い出は、死ぬ時に思い起こしながら ふふふ とほくそ笑むことができますか?
浪費癖もカルマです。
今生、生起している五悪念がもたらしたカルマだったり、
過去生や平行次元がもたらしたカルマだったりしますが、
阿頼耶識から、ある日、ポッカリと浮かんで弾けたカルマに過ぎません。
その浪費癖カルマに溺れながら、いつまでも、どこまでも、
優越感、至福感、悦楽感、充実感・・・に浸り続けるのも人間の性、人生の懐の広さなので、咎なしです。
浪費癖カルマに溺れながら、これって自己欺瞞じゃん? と気づいて熱が一気に冷めてしまい、底知れぬ虚脱感を味わうのも同じです。
これじゃダメだ! 私は悪い人間だ! と罪悪感の無間地獄に自ら堕ちるのも、人間らしい自虐性が醸し出す甘露です。
高級外車を何台も持っていても、高級カメラと白レンズをずらっと並べてみても、世界の有名観光地を知り尽くしていても、次から次へと新しいお誘いパンフレットが届きます。
でも、あなたも人間、私も人間、誰もが人間だから、
「今ここ」で運転できるのは1台だけ
「今ここ」の瞬間に使えるのはこの1台だけ
「今ここ」で眺めることのできる風景も、
「今ここ」で味わえるグルメも、ひとつだけです。
世界一の大富豪になっても、結局、唯足るを知る智者の方が裕福なのです。
そんなの、負け惜しみだ!
本当の貧困地獄を知らないからだ!
と罵詈雑言を浴びても、智者は あぁ 懐かしいなぁ と微笑むだけです。
それはいつかの自分だったから。
そんな昔のカルマから、ほら、今はこんなにも美しい花が咲いているから。
カルマに善悪はありません。
悪いカルマ、善いカルマだと思っているだけ・・・すべてが夢幻です。
悪念も善念も・・・すべてが夢幻です。
浪費しながら、私は何を浪費しているのかしら? とフッと掌を開いてみれば・・・そこには 空 があるだけですよ。
おはようさん 2014.5.9.
今日の光の前世療法4時間ワークのテーマは「浪費癖」でした。
会社を経営していたけど、見栄っぱり&優しさから、つい浪費してしまい、会社を手放すことになった方でした。
自分では悪癖だとよく分かっているけど、なぜかやめられない・・・切実な・・・人生をこのままだとダメにしてしまう悪性の心病です。
他人にもさんざん騙されて(特に女性に)きましたが、人を信じる力はまだ十分持っていたことが大きな救いでした。
見えてきた過去生は、今生ととてもよく似た人生でした。
最後は借金取りたちに心臓をひと突きされて死にました。
最近、原因不明のみぞおちの不快感があり、みぞおちを押さえていると治ってくると問診で言っておられましたが、それは正しく 過去生でひと突きにされた場所であり、そこをかばうようにする動作が今生にも出ていた訳です。
こういう病理病態は、西洋医学は勿論のこと、東洋医学でも精神医学でも ??? でしょう。
光との対話では、浪費癖の 原因・意味(学び)・治し方 を光さん(今回は祖父の姿)に聞きました。
涙&涙の対話だったので、明日からはもう浪費癖はなくなっているだろうと思います。
光さんには、今やるべきこと・これからどんな仕事に就けばいいのか?・今生の使命と天職も尋ねました(勿論、いつものプライベートな質問もたっぷり尋ねましたよ)
浪費癖をクリアー出来た未来の自分の姿を見て、そんな未来の自分からのメッセージももらって、浪費癖が治った未来と今をしっかりとアンカーして・・・これで大丈夫です。
この方も見事に人生の節目で導かれるように私のところへとやって来られました。
さんざん騙されて(勿論、自分が悪いんですけど)、それでも人を信じる力が残っていたから、神さまに導かれて、人生が&生きがいが救われたのですね。
光との対話は、自分のこころの中に答えが浮かんできます。
左脳や病気の内なる根本原因は「自分で創ってるぞ」「本に書いてあったぞ」「当たり前の話だぞ」などと徹底的にその答えを邪魔してきます。
人生の節目でせっかく光さんが別の人生行路を開いてくれたのに、邪魔な声に負けて、そのままの奈落の道を進んでいってしまう方もおられます。
光の道と闇の道の分かれ目は、自分を信じる力があるかないか? で決まります。
光との対話へ導かれてきたということは、神さまが「お前には新しい人生を歩む力があるぞ」と言ってくれているわけです。それはイコール 「自分を信じる力を養ってきただろう。さぁ 今こそ その信じる力を見せてくれ」と言われているわけです。
これは鍼灸でも同じです。
信じる力。これも氣。
そう思った今日のワークでした。