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徒然なるままに:祈り
6年前の記事から・・・
ごきげんさん 2016.5.14.
先端医療の国 アメリカでは代替医療もしっかりと研究されています。
先日、このような記事を見つけました。
「アメリカの病院で、大変興味深い実験が行われました。
心臓病患者393人に対する実験で、「他人に祈られた患者」は、そうでない患者に比べて人口呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない、ということが分かったのです。
しかも驚くべきことに、西海岸にあるこの病院に近い場所にいたグループからの祈りはもちろんのこと、遠く離れた東海岸からの祈りでも、同様の効果があったのです。
そして、何よりも興味深いのは、患者さんたち本人は自分が祈られていることは、全く知らなかったということです。」
祈りの力は、ホームドクター(主治医)の大切な素養のひとつです。
患者さまに触れない医師やPC画面ばかり見ている医師には、祈りの力は期待できません。
この患者さまを良くしようという熱い気持ちと
この患者さまがどうか良くなりますようにという敬虔な想いが祈りの力となります。
サイコロの目は論理的には1/6の確立です。
何も考えず、何も念じないでサイコロを振ると1/6になりますが、
1を出す、と強く念じながらサイコロを振ると、1/6以上の確立になります。
素粒子などの物理実験でも、実験者の想いや予想に実験結果が影響されることが分かっています。
きれいだね、と褒め続けた切り花は長持ちしますし、
おいしくなあれ、ありがとう、と感謝しながら育てた野菜はとても美味なことは今や家庭菜園の常識です。
治療の現場も同じです。
膝関節に注射する時も、点滴をする時も、鍼灸をする時も、
良くなりますように、早く楽になりますように、と念じながら施術することを心がけています。
Smileと同じように祈りも無料です。
祈りはデジタル医療&電脳医者には対極の世界観です。
大多数の医師や看護師、大多数の世の人たちには一笑に付されてしまいますが、
私はそんな祈りがとても大切だと思い、臨床でも実践してきました。
医療の祈りは、体操の着地のようなものです。
すべての演技がパーフェクトでも、最後の着地の決めポーズがなければ、神さまはがっかりされるでしょう。
八百万の神さまのうちの何柱の神さまたちに見守っていただけるか・・・が病気の回復と予後、再発に実は大きく影響しているように思います。
病は気から
これは医療者にも肝に銘じるべき言葉なのです。
こんな戯言をぬかしていたから、6年後の今、完全に医療ヒエラルキーからだけでなく、もう「この世」からハミゴにされてしまったのかしら(;^^)ヘ..
この世の良い子ちゃんたちは、宇宙は暗黒で極寒だと思っています。
科学が証明した真実だから。
でも・・・「この世」の様々なヒエラルキーから抜け出して天空を見上げると、宇宙は遍く光で満ちあふれています。
仏陀の言葉として残っているように、
宇宙には無数の曼荼羅があり、無数の仏陀がいるのです。
無数の衆生たち、ひとりひとりがそれぞれ色とりどりに輝いています。
科学がこの世を覆い尽くすまでは、人間たちが見上げる宇宙も光に満ちあふれていました。
それは祈りの光でした。
この世は祈りに包まれ、祈りに見守られていたのでした。
人間の身心頭魂も、祈りに包まれ、祈りに見守られていました。
人間はひとりひとり、一宇宙を持っています。
60兆もの細胞ひとつひとつも一宇宙です。
その一宇宙は、どれも祈りに満ちあふれています。
人間がその生命を維持するためには、
空気、水、食べもの・・・が必要だと科学は言いました。
それは正しいです。
仏陀の世界、特に唯識の人間観では、もっと必要なもの・・・
生老病死を超越して、もっと大切なものがあります。
それが祈りです。
祈りで生きていけるのか! と科学の世界は唾棄してきます。
唯識の非二元性の世界では、祈りさえあれば、もう四苦八苦はしません。
生老病死も、悪念悪業もカルマも、我欲とエゴと煩悩も消えてしまいます。
因果の法則でさえ、もう朧気にかすんでしまいます。
祈りのない世界は虚無に過ぎません。
祈りのない生き物には生命は宿れません。
魂が宿れば祈れます。その魂の本性は仏性です。
科学万能のこの世には、もはや魂の宿った人間は僅かしか残っていません。
仏性を失い、魂を失った魔人の世界になってしまいました。
魔人と力で戦っても全敗します。
魔人と知識で戦っても全敗します。
魔人と智恵で戦っても、悪知恵にはかないません。
魔人とどうやって戦うのか?
そもそも戦う必要などありません。
祈るのです。
勝利を祈る、魔人撲滅を祈るのではありません。
何を祈るのか? どう祈るのか?
それも仏陀さまがちゃんと遺して下さっています。
様々な国の言葉で、様々な宗教や教義で遺して下さっています。
宗教界のヒエラルキーから逸脱してしまわなければ見えてきませんが、
遙か昔に、仏陀さまが今のこの世に向けて語られた言葉が
どの宗教・教義の中にも読み取れます。
その仏陀さまの言葉に触れた時、自分の内なる仏性が目覚めます。
内なる仏性が祈り始めます。
それが祈りです。
この祈りへの目覚めは、どん底に堕ちた時に始まります。
病気、破産、離別、強奪、恥辱屈辱・・・
気がつけば、祈っています。
それが本来の祈りです。
コロナ騒動や戦争、貧困・・・この世のヒエラルキーから抜け出すチャンスです。
ヒエラルキーの下へ落ちるのではなく、外へ飛び出すのです。
外へ出れば、宇宙は光り輝いて見えます。
森羅万象の祈りの声が聞こえてきます。
もう生老病死も四苦八苦も脱ぎ捨ててしまいました。
だから自由です。とても軽やかです。
この世に吹いていた風よりも軽やかです。
お花畑を自由に飛び回れます。
科学万能だったこの世のお花畑は二次元のペラペラな絵に過ぎませんでしたが、ここはリアルなお花畑です。
虚無で蠢く魔人たちに、こっちへおいでよ! と誘ってあげましょう。
それも祈りですから。
万病平癒の妙薬とは祈りだったのです。