徒然なるままに:保険医療システム
岡本よりたかさんの記事から・・・
「誕生日ケーキと食料危機」
前回、柄にもなくビジネスなことを書いてしまったし、日曜日で投稿を見てる人も少なそうだし、軽い投稿を。
そう、今日、1ヶ月遅れで誕生日を祝ってもらった。
毎年、Brown's Field ブラウンズフィールドで誕生日のケーキを出してくれるのだけど、今回はデコさんではなく、スタッフの宮原 菜々子作。お祝いの歌と演奏付き。
ありがたい。でも、照れ臭い(笑)。
そうか、誕生日かぁ…と忘れていたけど、実際の誕生日の当日は、体調壊してぶっ倒れてた(笑)。
働き過ぎと言われるけど、多分、運動もせず、外食が増えている生活が問題なんだと思う。改善方法は分かっているのだから、少しずつ見直して行かねば。
それにしても、みんな優しいよなぁ。病気でぶっ倒れて仕事が飛んでも誰一人文句も言わず、体調を気にしてくれる。本当に恵まれていると思う。
何故か、ふと思い出す。
農業を始め、マジで暮らしていけそうもなく、挫けそうになっていた時期があるけど、あの時、畑で感じた違和感は忘れない。
それは、食べるものを作っているのに、食べていけないってどういうことなんだろうと。
目の前は食べ物で溢れているのに、暮らしは苦しくなるばかり。その違和感に気づいて、日本の農政について色々調べてもみた。
日本の農業は、国の行政に依存させる農業なんだよね。農作物の値段が安い。だから国民は安く食べものが手に入る。
農家は税金から助成金や補助金をもらって暮らしていく。一見、国民ために食料価格を安くして、農家を支えているように見える。
でも実体は違う。安く手に入るものだから、食べものの貴重さに気付かずに平気で廃棄してしまう。
農家は国に逆らえなくなり、国がやることを手放しで理解しようとしてイエスマンばかりを作り出す。
見てみりゃわかるよ。多くの農家が自民党寄りで、国の政策に文句言う人はかなり少ない体制側の人ばかり。
だから、僕らのような国の補助に頼らない農家は、いつも反体制派の左翼の陰謀論者に仕立て上げられる(笑)。
食料危機が来るとずっと言い続けているからかなぁ。農家を舐めるな的な反応があるけど、本当に来ると思うよ。
自給の準備をしておかないとマズいと思うんだけど、みんな政府を信じて動かないんだよ。危機感持たないとね。
だから、多くの人に自給農を伝え歩く。その活動をみんな理解してくれてるからこそ、こうして優しさを見せてくれるんだよね。
大丈夫、君らは危機に気づいているから、なんとかなる。
あれ?話が随分とズレてしまった(笑)。とにかくありがとう。あ、おはようございます。
この話・・・農業を医療に、農家を医者に置き換えながら読んでいて、まったく同じだと思いました。
医師国家試験に合格して医者となると、即座に保険医登録されます。
医療システムのことは何も知らない(←国試にも絶対に出ない!)ので、研修病院や大学病院から「はい、これ!」と差し出された保険医登録書を医師国家試験合格証と共に保管します・・・何の疑いも懸念も持たずに。
その後、勤務医のままでも、開業医になっても、保険医療システムの中にいる限り、給料面ではずっと「お医者様」扱いしてもらえます。
開業医になると「自立した!」と思いがちですが、保険医療システムの大護送船団の中にいることは変わりありません。
ひとりでも多くの患者を診療して、たくさん検査をして、たくさんの手術:処置をして、(門前薬局に)たくさん薬を出すことで売り上げが上がります。
逆に、ひとりひとりに時間を割きながらしっかりと診て、必要最低限の検査・処置・投薬にすると・・・極貧医者になってしまいます。
私はこの3年間、そんな保険医療システムから完全に脱却しました。
保険診療はもうしません! と宣言した途端、あれほど頻繁に来ていた薬問屋たちやMRたちが蜘蛛の巣を散らしたかのように消えてしまいました。
そして、すべての薬問屋から契約解除されてしまいました。
なるほど・・・これが保険医療システムの現実だな・・・と思い知らされました。
正体見たり枯れ尾花
でも、平気でした。
自然医学で診療する! と決めていたから。
自然農法も同じだな、と改めて思いました。
無農薬、無肥料(時には無耕作も)=無薬、無検査 に繋がります。
しっかりと手間暇かけて天地自然に、農作物にも雑草にも向きあわないと自然農法はできません。
自然医学も同じ。
たっぷりと時間をかけて、絶えず宇宙の理を感じ取りながら、目の前の患者さんに向きあっていかないと治療はできません。
病気を診るのではなく、患っている人間を診る。
今の保険診療システムでは、これは不可能だと思ってきました。
現にコロナ騒動で、保険診療システムの膿が一気に噴出してきました。
きっと世界的食糧難、エネルギー困窮騒動がこの国の農業システムの膿も一気に噴き出してしまうことでしょう。
コロナ騒動の後・・・ 食糧・エネルギー難の後・・・
どうすべきか? 何ができるのか?
その模索はすでに私の中では始まっています。
乞うご期待! と私の魂も八百万の神々も笑顔で叫んでいますから、
きっと大丈夫 なのでしょう。