徒然なるままに:魂とこころ
トンデモ医師の内海聡先生の記事から・・・
魂やこころなんて存在しないのだ!
心理学や精神医学は「こころ」や「精神」を扱うものだと、皆さんは考えているのではないでしょうか?
しかし精神科医たちに言わせればそれは大きな間違いです。
心理学と精神医学は、すべての人間の行動や感情、思考、感覚は脳によって物理的なレベルで決定されるという考えを、長い間支持してきました。
彼らは、生命とは化学物質を混ぜてできあがったものに過ぎないとして、魂やこころは存在しないと述べています。
なぜこう主張するかわかりますでしょうか?
なぜならこう主張し、魂やこころなどないと決めつけていかないと、精神医学や心理学が主流になることはありえないからです。
ドイツのヴィルヘルム・ヴントは心理学的唯物主義(人間の行動や感情、思考、感覚は物質に由来するという考え)の創始者であり、学者としては「平凡なだけで国家の援助を受ける資格もない」と記録されていますが、彼は人間の行動を解明する試みとして、カエルや犬、その他動物の神経系を研究し、こう結論付けました。
「魂について考えるのは時間の無駄である。なぜなら人間の意識は、動物の意識の低い状態から発展したからである」。
彼は「人間の行為は生物学的観点によってのみみられるべきであり、つまりは魂の性質自体、目的のない無駄な議論である」と締めくくりました。
要するに、人は動物だから高尚な話はムダ!って言ってたんですね。
この考え方はすぐに差別や支配に結びついていきますが、彼の理論は19世紀のドイツ帝国主義者たちに支持されました。
これが心理学の祖ともいえる人の理論であり、皆さんが名前を知っている多くの心理学者も、その影響を受けていきました。
<大笑い! 精神医学より引用>
この二年間のコロナ騒動を思い起こしてみてください。
コロナは危険だ、パンデミックだ! と騒いだのは誰でしたか?
ワクチンを打たないとコロナに負けるぞ! と騒いだのは誰でしたか?
バタバタと遺伝子毒で頓死したり後遺症が出た人たちに、因果関係なし、基礎疾患のせいだ! とはねつけたのは誰でしたか?
歴史は繰り返す・・・いつの世も、誰かがこの定石を使って人間界の頂点に立とうとしてきたのです。
家畜は牧場の柵の中でないと生きていけません。
家畜人間も然り。
柵の中でマウンティングに明け暮れていますが、いずれ食肉工場へのトラックに乗せらるのが定めです。
家畜に有情など無用だから・・・魂もこころも不要なのです。
魂もこころも無用な世界があります。魔界です。
2020年にこの世は魔界に同化されてしまいました。
家畜人間たちは、ほぼ全て魔人と化しました。
魔人には魂もこころもありません。
魂とこころがあったところには、魔性がドーンと鎮座しています。
悪念悪業こそが絶対正義な魔界。
我欲とエゴと煩悩を、より強く、より大きく、より悪質にたぎらせるのが魔界の生き方です。
魂とこころをまだ何とか保ち続けることができている人たちに、魔界は容赦なく襲いかかってきています。
あの遺伝子毒から放たれるシェディング毒も浴びると、魂とこころは悲鳴を上げます。
もう心身に留まりたくないと魂とこころが身悶えしながら暴れるので、症状が一貫しない不安定な目眩、息切れや呼吸苦、心臓痛や不整脈、目や鼻や耳の異常感覚などを観じてしまいます。
反ワクチンの医療関係者たちは、いつもの如く、Mgが良い、イベル○○が良い、松エキスが良い・・・と喧々諤々していますが・・・ワクチンLOVEな医療関係者と同じ穴のムジナでしょう。
魂とは何か? こころとは何か?
私は長い長い放浪の末、仏教に辿り着きました。
魂とは、仏性がまとっているガウンのようなものでした。
こころとは、一切刹那の思考が空性へ光の滴となって噴き出してくる有り様でした。
祈りとは、内なる仏性の声でした。
チベットでは、医学と仏教は一心同体です。
そうでなければ、万病に向きあえなかったからでしょう。
仏教もまた「今ここ」だけです。
過去は過ぎ去ってしまった夢幻、未来はまだ来ぬ夢幻に過ぎません。
一切刹那の思考は「今ここ」にのみ存在します。
仏性は、時空間を超越した「今ここ」にのみ存在します。
ですから、祈りこそが万病平癒できるのです。
魂とこころを否定している限り、祈りは生起できません。
祈りがあれば、どんな病にも向きあえます。
例え未知の病でも・・・祈りは最高の妙薬となってくれます。
シェディング毒も然り。その次に来るであろう難病も然り。
祈りとは? どう祈れば良いのか?
それを日々、こころに留めていれば、魂とこころは力強くなっていきます。
別に宗教・教義は関係ありません。
自分の祈りを磨きましょう。
祈りを磨くことが魂とこころをより強く、より美しくしてくれるのです。
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