熱海が目指すのは「観光地からの脱却」と「サードプレイス」としての場所 市来広一郎×糀屋総一朗対談2
ローカルツーリズム株式会社代表・糀屋総一朗と熱海でまちづくりに取り組み、地域を再生させた立役者である市来広一郎さんとの対談、3回連載の2回目は、あえて「観光」を軸に考えないまちづくりの方法、これからの熱海が目指していく姿についてです。
前回はこちら
https://note.com/localtourism/n/n67df9ede7257
新しい世代からうまれる「まちづくり」
糀屋:熱海の事業者さんって、代替わりは結構おきてるんですか?
市来:10年前くらいからものすごく代替わりは進んでいますね。旅館とか含めて、今は経営者が40代とか50ぐらいの人たちになってます。そうなってくると、古い温泉地とかに比べて、僕たちも相当やりやすい街になってると思います。
糀屋:不動産のオーナーとかも代替わりをするということですよね。大島もそうなんですけど、不動産オーナーが変わるってことは、結構、街に対する影響が大きいなって感じています。熱海でもそこが変わっていく一つのきっかけに繋がっているんじゃないんですか?
市来:すごい大きいと思います。熱海に10いくつある商店街の中で2つの商店街が劇的に変わってるんですけど、その2つともが代替わりの起きた商店街なんですよね。やっぱり世代交代が変わっていく最初のきっかけだと思います。
糀屋:過去の熱海と比べて、今は成功の条件って変わってきてますよね。昔は団体客だったけど、今は質の高い個別、個人のお客さんになってきてる。そういった状況に合わせて事業を変えていくって、過去の成功体験が強いとやっぱり難しいところもあったと思うんですよ。それが、代替わりが進むことで、1回リフレッシュされて、いい方向に向かってるんだなって。
市来:うん、90年代後半から2000年の前半、団体旅行だけでは立ち行かなくなってきて相当落ち込んできたんですよ。その頃にちょうど代替わりが起こっているんです。当時、地元に帰ってきていた跡継ぎの人たちが経営を立て直そうとして頑張っていました。業態転換したお店とかも多いですし。その後、2010数年くらいまではお客さんが年配の人たちだけになってきて……そこから、変わってきて、今では若い世代がすごく増えたっていう感じです。
ーーお客さんの層が変わったというのは、体験できるものや、熱海にあるものが変わったからなんですか?
市来:複合的にいろんな戦略の結果だと思います。市のマーケティング戦略もそうだし、今僕らの「まちづくり」もそうだし。そういう中からどんどん若い世代向けのお店が次々できてきたのがここ数年の動きなんです。そもそもで言うと、一番最初に変わり始めたのは旅館やホテルでしたね。2000年代、設備投資も含めて団体客から個人客に変わってく中で、じわじわとね。
「観光地」から脱却していくために
ーー昭和の熱海のイメージって、レジャー施設を含んだ大規模なホテルが目立つリゾートだったと思うんですけど。
市来:大型のホテルは、今も街の大きなシェアを占めています。一社だけで熱海の何割だろう? ってくらい。元々の大型のホテルは経営がどんどん変わっていって、今では大箱の上から何番目かまで全部、熱海外資の経営になっています。そこはもう本当に安いのでお客も多い。そういう意味で、熱海に昔からあった多くの大旅館やホテルはもう廃業してるんですよ。残ったのは小規模な旅館、ホテルですね。
ーー市来さんがターゲットにしているのは、大規模なホテルが狙っていく層とは別になるんでしょうか。
市来:そうですね。むしろ「観光」だけを考えているわけではないし、観光客の数を追ったりはしていません。一番はやっぱり「住民の満足度」ということだし、その次は「中心市街地のエリア再生」。そのエリアに住む人がどうなったか、雇用が増えたか、地価が上がったとか。数字として見ているのはそのあたりです。もちろん、観光客の数の推移と無関係というわけではないんですけど、僕のやっていることは「観光地」から脱却していこうっていうことなんです。
糀屋:面白いですね! 僕も、人口を増やそうとか、多くの人に来てもらおうっていうのは目指す数値設定としてとして間違ってるんじゃないかって思いました。「またお金の話?」って言われちゃうかもしれませんが、僕の中では今「住民1人当たりの所得を上げていく」っていうのがまず基盤にあるべきじゃないかと思っているんです。そのために、地域にお金が流れる仕組みをどうやって作るか?そこをテーマとしてもやってるんですよね。だから定住人口を増やせばいいっていう設定も間違ってると思うし。
市来:うん。
糀屋:大島の場合だと、人口の少ないところに観光客がたくさん来ても、島の人たちは困っちゃうし、疲弊しちゃうんですよ。「イベントやって2000人呼びましょう」とかっていうのは、ある地域によっては正解かもしれないけど、大島では違うなって思っています。そういうことで、「観光地からの脱却を狙う」って伺って、今、すごく刺さりましたね。
市来:僕自身が観光地、熱海で育ってきた自覚はあります。実家も企業の保養所だったし。家の外にも中にも、常にお客さんがいるわけですよ。観光客が何事にも優先で、地元の人たちの暮らしが置き去りにされている、という意識をどこかで持っている。そういう不満やフラストレーションを持っている人たちって多いんじゃないかなと思ったんですよ。
花火大会があるって言っても、住民にしてみれば「花火の日には道路が渋滞するだけ」って感じですよ。混んで、店も入れない。住民も、外から来る人も、同じベクトルで満足できる街にするには観光ではないところをちゃんと作ってくってことなんです。熱海って江戸時代は湯治場だったわけです。明治時代は、御用邸も含め、かつての大名みたいな人たちの別荘地だった。そこから大衆化して観光地になってきたのが昭和の頃、という歴史がある。今は、その次の時代に行かないといけないということだと思うんです。僕は、今の時代の熱海は「サードプレイスとしての熱海」だって言っています。
糀屋:サードプレイス。
市来:観光客の話で言うと、100万人が1回来るよりは、1万人が100回来てくれた方が、街としては豊かになるということです。そういう意味では熱海って元々別荘とか、移住とかも含めて多様な街への住み方、関わり方があるはずなんで、それをもっと今の時代に合った形で選択できるようにしたいと思っています。別荘を所有しなくたって熱海に住めたり、通えるようになる。旅館やホテルにとらわれない滞在の仕方ができるようにしていく。それが重要なんじゃないかな、と思ってます。
糀屋:めちゃめちゃいいですね。
市来:これは個人的な体験でもあるんですよ。僕が東京に出ていた時、月に1回とか熱海に帰って来ていました。地元に帰ってるって感覚よりは、自分の好きな街に通っているという感覚で……それってなんかいいなと思っていたんですよ。別に観光でもない。でも月1ぐらいで来る。そして街を歩いたり、海を見たり、喫茶店入ったりしながら、ゆったりした時間を作って、それでまた東京に戻る。そういう暮らしってすごくいいよな。もっとこういうふうに使われたらいいのになって感じですね。
サードプレイスとしての熱海
ーー今はコロナもあって「2拠点生活」という言葉もかなり市民権を得てきましたけど、当時から感覚的にそれを体感されてたってことですね。
市来:そうです。2000年代半ばに活動を始めた頃からですね。居住だけじゃなくて仕事だって2拠点あった方がいいよな、とか。これは今で言う「副業」みたいな流れだと思うんですけど、その時の僕は「2拠点職住」って言ってたんですよ。仕事も含めて地域に関わるものがあれば、地域に足を運ぶ理由になる。そういう人たちが地域にもたらしてくれるものって大きいと思うんですよ。会社員だと特に、狭いコミュニティの中で生きていく生活になってしまうでしょ? それはもったいない。地域にちょっとでも関われる仕事があるのはいいなって。
糀屋:そうですね。
市来:そういう暮らしっていうのは、熱海みたいな東京から近い街だからこそやりやすいし、入り口になりうると思ったんですよね。だから熱海で2拠点居住を体感した上で、他に移住したっていいし。「熱海からまず始める」ってことができるんじゃないかなと思ってます。
ーー「machimori(マチモリ)」のビジョンとして「クリエイティブな30代に選ばれるサードプレイス」っていうのを掲げていらしゃったんですけど、それはご自分がペルソナになっているということなんですか?。
市来:確かに自分もそうなんですけど、それを言い始めたのは2011年ぐらいのタイミングですね。当時、熱海に入ってきた人たちにリアルにそういう人たちが何人かいたんですよ。その人たちが明らかにこれまでの居住者とは違う人たちだったんです。街の使い方、街への満足度、これまでの熱海になかった意識を持った人たちです。
「熱海には何もない」って不満があった人たちが多数だったところで、「100%満足してます」みたいなこと言っちゃうわけです。「歩いているだけでいい」「昭和な雰囲気も含めて楽しいです」って。「買い物が不便」って不満に対しても「それはネットや東京で買えばいいんだ」と。そういう考えの人たちが入ってきていることを知って、すごい変化だと思いましたし、これからこういう人たちが増えてくるな、と思ったんですね。それで、そういう人たちを熱海銀座に集めていこうと思いました。
ーーそれが今運営されているゲストハウスやコワーキングスペースにつながるんですね。
市来:そうですね。カフェに始まり……一番最初にまずカフェを作ったときは大変でした。投資としてはその後のゲストハウスの方が額は10倍くらい大きいんですけど、最初のお店を出す時の方がいろいろとリスクを取った感じもするし、自分の決断も必要だったなと思います。カフェの時の投資額は300万とか400万なんですけど、僕がその当時お金を使い果たしていたので、親戚や、銀行からも借りました。
糀屋:僕も10年以上前ですけどカフェを何軒か持ってたことあるんで、カフェの収益構造的に、そんな儲かるものじゃないってわかっているんです。だからカフェを熱海で始めたって聞いた時には、結構苦労もあったんだろうなって。
市来:あれは大変でしたよ。もう全然うまくいかないし。スタッフは突然辞めるし。
糀屋:ああ、人ね。
市来:どんどん店の雰囲気が悪くなって。そうすると明らかにサービスの質も低下するし、客が離れていくという目に見えての悪循環。
糀屋:僕も同じような体験したので、わかります。その時はどう変えていったんですか?
市来:まず、僕個人が酒に逃げていたので「酒を断ち」ました(笑)。
糀屋:(笑)。
市来:3カ月連続黒字化するまで酒飲まない! あとはそれまでザルにしか見ていなかった「数字」をちゃんと見る。それから現場をどういう子に任せようか? って。それで、新人だったんですけど、一番やる気のある子に運営を任せて。それで半年ぐらいでなんとかなっていきました。それからだんだん歯車が変わりだして、徐々に良い方向になっていきました。
ーー経験やスキルよりも、思いがある人に思い切って任せたらうまくいったっていうのはあるんでしょうか。
市来:そう、「思い」がある。正確に言うと「やり続けられる」人間です。決して「無理して」続けるのではなく、「そこまで苦じゃなく、やり続けられる」っていう人。そういう人に仕事をちゃんと渡すのはすごく大事だと思います。仮にスキルを持っていても、地域になると人間関係がうまくいかないっていうことがいっぱいあるんですよ。一旦自分のスキルを忘れてもらった上で、まっさらの状態からやれるかっていうところは、コアなメンバーには必要だなとは思ってます。
糀屋:そういう意味で、さっきはローカルエリートっていう言葉を使いましたけど、熱意が根本にないと、地域で何かを続けてくっていうのは難しいですよね。東京の仕事では普通に出来ることが、田舎だと出来なかったりすること、めっちゃありますからね。人間関係への対応が出来つつ、精神的にタフにもなっていかないと、地域での事業って難しかったりすると思うんですよ。
市来:僕はコンサルの仕事をしていて、ロジックばっかりだったところから地域に入ってきましたからね。最初はカルチャーショックでしたよ。ロジックなんて誰にも通用しない。挨拶したかどうかとか、そういうところなんです。その体験って大事だなと思うんです。
(構成・斎藤貴義)
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