地域に入るときに「協調と対話」をとるか「卓越主義」をとるか やまざきたかゆき×糀屋総一朗対談1
ローカルツーリズム株式会社代表取締役の糀屋総一朗と、各分野で活躍される方々の対談。今回はカーデザインを軸とした工業デザインのほか、デザイン教育、企業コンサルタントなどにも関わる「ハイパーデザイナー」のやまざきたかゆきさんです。対談の初回は、デザインとアートの違い、そして地域で新しいことを始める時のやり方、考え方についてです。
デザインとアートの違いは「他人か自分か」
ーーお二人が出会った時のことは覚えていますか?
やまざきたかゆき(以下、やまざき):今は、もう全然友達関係ですけど、最初に紹介された時は「投資家さん」って聞いてたんで……まあ「固い人」だろうと思っていたし、自分とは接点ないだろうと思ってたんだよね。だけど話しをしてたらものすごく懐が深い、裾野が広い。それにこちらの話をちゃんと聞いてくれる人なんで、話しやすかったんだよね。しかも、その上で(福岡県宗像市の)大島に行ってみて、仕事を見て……失礼なんですけど「ちゃんとやってるのがすごいな」って(笑)。
糀屋総一朗(以下、糀屋):ちゃんとね(笑)。
やまざき:色々やってるとは聞いてたけど、何をしてる人か今ひとつ見えなかった。そしたら本当に仕事を動かしてて、ちゃんと行政とも繋がってて「しっかり仕事にしてるんだ! さすがだな 」って思いましたね。
糀屋:僕も最初はデザイナーとかアーティストってめちゃめちゃ難しい人なんじゃないかな? 怖いんじゃないかな? って思ってたんですよ(笑)。でもやまざきさんとお話をしてみたら全然違いましたね。非常に柔軟で。仕事のやり方を聞いていると、対話しながら、そこに自分の「何か」を入れながら物を作るっていう。僕は元々そういう仕事の仕方って大事だと思っていたのでホッとしました。自分もまだできてるとは言えないけれど……。
それで、やまざきさんのプロダクトを見て「ああ、なるほどな」と腑に落ちたんです。そういう仕事の仕方から、こういうものができあがるんだ! ってことはひとつの発見でしたね。これ、お世辞じゃなくて、今の自分の仕事に生かさせてもらってるんですよ。
やまざき:嬉しい(笑)。
ーー今、デザイナーとアーティストという言葉が出てきましたけど、デザインとアートの違いってお二人はどんな解釈をされていますか?
糀屋:デザインはクライアントがいる。だからクライアントに「ある程度の説明をすることが前提」で仕事をすると思うんですけど、アーティストはそこまで説明する前提っていうのが本質的にはあまりないのかな? でも、今のアートはクライアントがいるケースも多かったりするので、デザインとアートの境界がどんどんなくなっているような気はしてますね。
やまざき:うんうん。
糀屋:デザインはクライアントやマスマーケット、消費者の方をどうしても向いている。そこに境界線があるのかな? とも思います。
やまざき:僕も糀屋さんと似てる解釈なんだけど、デザインは商品で、アートは作品。「クライアントに向けて作る」のと「自分に向けて作る」っていうのが差だと思ってるんだよね。デザインっていうのやっぱり「クライアントが欲しいものを作る」ということだと思います。アートは「自分がお客さんであり自分がクライアント」になるのかなと。
中世ヨーロッパとかだと、王様に買われていた系の画家っているじゃないですか? あれは本来的にはアートじゃないし、作品じゃなくて商品なんだよね。だから売れるんだよね。オナニーとセックスの違いのようなもので、自分だけ良ければいいのか、相手を喜ばせるのか。そこにすごい違いはあるでしょう? ただその「両方」を持ってるモノが人気あるんだろうと思います。
糀屋:そこの境目が分からないものとかってあるじゃないですか。言語化が難しいんですけど。そういったところにみんな注目をし始めてるような感じがあるんじゃないかなと。
やまざき:作家性が出るかとか、デザイナーの顔が出てくるかどうかっていう感じなのかな? でも商品としてデザインされたものの方が「売れやすい」っていうことはあると思いますよ。商品でもデザイナーの顔が出てきちゃうアート寄りのものになると、話題にはなるけど実はそんなに売れないんだよね。好きな人はいると思うけど、やっぱり万人には受けない。
糀屋:なるほど。
新しいことを始める時の「考え方」
ーーやまざきさんは大島で何かできないかと考えている、とお聞きしたのですが、実際に大島に行ってみてどんな印象を持たれましたか?
やまざき:建物はボロくなってるけど思っていたよりさびれてないし、人が元気だから、なんかやりようがあるなって。それは、ボロい所を全部綺麗にしようってことではない。あのボロい感じがそのまま残ってたり、道をちょっと進んで行ったら急にヤブになったりする、ああいうのがたまらない魅力なんですよ。だから……バイク持ってまた行きたいって感じがしたんですよ。
糀屋:大島で何かを始めるにあたって、どんな所が気になります?
やまざき:1人でできることじゃないから、地域の人と一緒になってやらなくちゃいけないってことだよね。誰かと一緒に何かをやるということは「協調」と「同意」から始めなくちゃいけないなって。
島の人たちはすでに「生活」をしていて、現状はそれでよかったりするわけでしょ。だから、何か一緒にやってもらうことになれば、結局オーバーワークさせなきゃいけないんですよ。向こうにとっては「いらんこと」をしなきゃいけない。一緒に何かを作って、結果それで「よかった」ってなってくれればいいんだけど。だから一緒に話して、考えて、お互いが納得してっていうプロセスは大事だなと思っていますよ。
糀屋:僕がやまざきさんに期待したいのは「課題解決」とかって小難しいことよりは、もっとシンプルに「今までになかった何かを持ってきて見せてほしい」ってことなんですよ。
やまざき:今までにないものね。
糀屋:大島の歴史の延長線上にないもの。幻想かもしれないけど、僕は今、そういうものを期待してるところがある。「アーティスト」に来てほしいっていうのも、そういうところであるんですよ。大島にはずっと住んでいる人たちもいるし、僕らみたいに外から入ってきた人もいる。そこには価値観の違いもあるんです。ただ、島に住んでいる人たちの中にだっていくつも分断があるわけですよ。価値観の違いによる分断もあれば、ただの好き嫌いでの分断もある。
やまざき:それはあるだろうね(笑)。
糀屋:過去のファミリー同士のバトルが継続してあったりとか(笑)。単純に「地域」と「外」っていう分断じゃなくて、島の中でだってさまざまな分断があって複雑に入り混じってるんです。東京に来ちゃうと、そういうものが全部揮発してわからなくなるんですけど、狭い地域であればあるほど明確に分かれているんです。
やまざき:なるほどねえ。
糀屋:そういう中で「何か地域のためになるいいこと」をしようとした時には、「地域の人たちを全員説得して回る」みたいなことはあまり意味がないんですよ。僕は最近、卓越主義って呼んでるんですけど「自分が良い」と思ったことを達成するためには、それを吟味して、最高の状態にした上で「お金と人を動員する」ってことでしか実現できない。少なくとも最初のうち、短期間的にはそういった要素が必要で、それをしない限り何も変わらない。このやり方にも、もちろん議論があるところではあるんですけどね。
やまざき:確かにそういうところはあるかもしれない。
糀屋:そうやって、外からの刺激みたいなものがあって、初めてそれに対する批判とか反論とかが出てくるんですよ。対話はそこからしていくみたいな感じですね。話をしていくうちに妥協とか葛藤とか忖度も発生するんですけど、そういう刺激が「なにか新しいもの」を作って行くことにつながっていくんです。まずは太鼓をドンっと鳴らして、みんなにワタワタしてもらって、そこから会話が始まる。
やまざき:はいはい。
糀屋:そういう要素が地方地域には重要なんじゃないかな、というのが最近の結論ですね。
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聞き手・高橋ひでつう 撮影・KINU 構成・齋藤貴義
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