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【京都大学、博士課程に合格しました!】

どうも。代表の佐藤です。
定期掲載になりつつある、長編シリーズです。
ずっと一人で格闘していた博士課程への挑戦が、ようやくスタートラインに辿り着いたので、それまでの想いや道のりを書いておきたいと思います。
いつも通り長編ですので、ご注意ください笑

2023年12月、実は私はスランプに陥っていました。
大切な家族のことで変化があり、時間の流れには誰もが逆らえないものの、とても悲しく、心に穴が空いたような気持ちになりました。
一方で、大変ありがたいことに、会社に対する仕事の依頼は増加する一方で、急激な仕事量の増加に社内の体制が整わず、毎日、誇張ではなく、分刻みで仕事をする日々が続いていました。

しかしながら、自分の心の状態がどうであっても、仕事は仕事です。
信頼して頂いたからにはベストな状態を、と思い、やり切りました。
年末、ほっとすると抜け殻のようになってしまい、なぜ私はこんなに忙しく、悼む時間も取れず、働いているのだろうと思いました。
仕事が増えれば、当然会社の口座の残高は増えていきます。
しかし、増えるごとに、自分の苦しい気持ちが大きくなっていくような時間が続きました。

創業当初に書いたように、私は「自分の周りの身近な10人を幸せにする」ということを目標に活動していたのに、その10人に向き合えていないじゃないか。
生活するためなら、会社員として稼いだっていい。
なんで、私は、会社経営をやっているのだろう。生活の中で、家族も巻き込んで。

そう考えて、思い詰めていました。

そんな中で、少し長めの年末年始休暇を取り、忙しさのあまり取れていなかった読書の時間をとっていたときに、ふと思ったのです。

「研究を、しよう」

私は元々、研究者になりたくて大学に行きました。
家族に研究者もいましたし、そもそも、何か普遍的なもの、いや、何か共通的な真理のようなものへの憧れがあったのです。

しかしながら、2011年、震災が起こりました。
震災が起きた年の5月、気仙沼にボランティアに行きました。
それから10年以上が経ちますが、気仙沼で、未だ言語化できないような体験をしました。これについては、今までほとんど語ってきていないし、これからも当面、語ることはないだろうと思います。

その足で、地元、大洗へ帰りました。
私の家族は、私以外、お酒は飲みません。自分の地元の大洗も被災しており、地元に帰った際には飲食店は軒並み営業休止で、私は初めて、家族で居酒屋で夕食を食べました。
つくばでした。
その時、私は二十歳。
二十年しか生きていない人間が体験するには、あまりにも衝撃的で、私は大学院までは進んだものの、やはり、目の前の困っている人たちにつながる活動がしたいと思い、当時、災害公営住宅の建設や、復興事業を最も活発に行なっているUR都市機構を希望し、そこでしばらく働くことになりました。

そこから、UR、エンジョイワークス、そして起業、と時を重ね、自分の経験も増えていきました。

私は大学院では文系の大学から、理系の大学院に進んだもののの、やはりベースは超文系で、当時、希望した大学院(修士)の学位も社会学系などでした。
ただ、当時から建築やまちづくりの現場に対する思いはあり、ただ、自分の力量が追いついていないような状況があって、文系の修士に進んだ背景があります。

そこから12年の月日が過ぎ、もちろん、設計のプロには遠く及ばないものの、多くの現場を社会人として経験させていただき、再開発、PMの経験を積んだことで、当時より視座が広がり、今回の博士課程では、京都大学の建築学科を経て、今も京都大学で指導をされている前田先生に師事することが叶いました。

前田先生は現在、実践的研究にチャレンジされている方です。
実践的研究は、通常の客体として研究をするだけでなく、土木工学のように実際の現場で理論を実践し、実践を通して、さらに理論をブラッシュアップしていくような側面があります。

私が希望した現在の研究科は、人間そのものや環境について、横断的に考えていこうという研究科であり(いわゆる学際的なところです)、文化人類学から、数理・情報科学まで横断的に取り扱う研究科です。
そこで改めて、自分の活動を含めて、再考、検討し、地域へのアプローチを研究していこうと思いました。

地域には、いろんな人がいます。
いろんな人の、いろんな得意を持ち寄って、まちが作られています。
私は、自分が得意な、研究や勉強を活かしていこうと思いました。

まちづくりに、普遍的な解はないと言います。
私も、それはその通りだと思います。

人間に、同じ人間はいないように、まちも同じです。

でも、医学は存在します。
人間は、一人一人異なりますが、人体の構造には一定の共通点があります。
だから、まちづくりに普遍的な解はないのだけれど、アプローチには何か参考になるものが抽出できるのではないかと考えました。
それを会社を経営しながら、学問的に仮説を立て、自ら実践し、検証する。
それが、私の為すべきことなのではないか。

そう考えてから、とても心がスッキリして、博士課程チャレンジへの道のりが始まりました。

私は、大学も大学院も早稲田ですが、社会人になり多くの人と交わる中で、国立大学の人と私立大学の人の考え方の傾向が微妙に異なることに気がつき
国立大学でも学んでみたいという気持ちも強くなっていました。
実のところ、大学入試でも東京外国語大学に合格しており(ただ世界情勢の変化で早稲田へ進学することに)、大学院でも東京大学の一次試験(筆記)に合格したものの、当時の私のメンタリティはとても未熟で、どこかで合格するわけないだろうと思っていたことで、二次試験(口頭試問)の準備が不十分で、大学院では必須であるような研究室訪問すら行っておらず落ちてしまい、早稲田の大学院へ進学しました。
その時の反省も踏まえ今回は充分に準備を行い、先生のおかげもあり、無事合格することができました。
研究者としては、一見遠回りですが、私の中での最短距離でもあり、回り道だとも思っていません。
ただ、3度目の正直で、国立大学へ進むことはとてもうれしくも思います。
(誤解なきように言っていくと、早稲田は大洗にファルコンズを呼んでしまうくらい大好きで、今も昔も、心の故郷です)

しかしながら、今回の受験準備の過程では、実務脳から研究脳への切り替えがとても大変で、冗談抜きに、知恵熱が出た時もありました。
願書提出直前の1、2ヶ月は、日中は仕事をしながら週8冊ほど学術書を読んでおり、比較的マルチタスクは苦でない私でも、脳が焼き切れそうでした。笑

この大長編、ここまで過去の話をしてしまいましたが、今から未来の話をします。

これからブラッシュアップするのでまだ仮ですが、現時点の研究テーマは、「地域空間の持続性における“地域内外の共通言語”の編集者の役割」というものです。
これは、学士、修士での研究も背景にありますが、大洗にUターンしてからの実体験が多くの影響を与えています。

私は、地元を12年も離れていました。
12年後、帰ってくると、本当に素晴らしい諸先輩方が活動されていて、衝撃を受けました。

私の最近の関心テーマは、地域空間の持続性です。
そういったものをUターンした2020年から、大洗を4年間眺めているうちに、次のような仮説を立てました。

1)持続性の高い地域空間には、共通言語の編集者のような存在がいるのではないか
2)地域空間として持続性が高い場所には、地域空間に存在する共通言語(想起される個人的な思い出、人の関係性、歴史、自然空間との関わりなど)が多様なのではないか
3)持続性の高い地域空間には、多様な「時間軸」が存在するのではないか

私の最初の学士論文は、城下町都市の開発にパタン・ランゲージは有効か、というものです。
その頃から、パタン・ランゲージは私のベースにずっとあり、共通言語、という表現もそこから来ています。
これはこの後、もっと突き詰めていかねばなりませんが、言語、という観点で言えば、地域の風土や歴史、自然環境といったものが文法であり、個人的な思い出、関係性、個人が心地よいと感じる空間といったものが単語なのではないかと考えています。

これらのことは自分の活動だけでは、思い至らなかったでしょう。

大洗にUターン後、まず最初に遭遇し印象的だったのは、砂浜図書館。里海邸。風にころがるTシャツ展。
そこから新しいうねりとして風間さんのビールや、ゆうちゃんの花屋。
そこから八郷にうつり、上林製材所、高安桐工芸、ながいぬ屋、そして八郷を愛するたくさんの人々。その代表でもあるまきさんや薫ちゃん。
結城や大子や、多くの茨城での出会い。
結いのおとも大きなインパクトでした。

そういったみなさんの凄まじいエネルギーを感じて、私が最初にローンチしたサービスが、LOCALBOOSTER。
キャッチコピーは、「地域から、価値をつくる」。

青春を過ごした東京は大好きです。
でも、空間の使い方が自由で、金銭的な制約も少ない地方、人のつながりが見える地方に、いろんなフロンティアがいま、集まりつつある。
地方にこそ、最先端が集まりだしている。
我々にとって、最高に豊かなフィールド。

だから私は、地域から、価値をつくる。
みんなで勝手に作り出していると、信じたい。
あそびながら、たのしみながら。

そのプロセスを、言葉でみんなに届けよう。

そう思っています。

この間実施したアウトドアディナーもまさに、そういう、編集の話でした。
この間行った九州視察も、初対面だし、示し合わせてもいないのに「編集」という言葉が何度もでた。

みんな、同じことに気がつき始めているのだと思います。
それがとっても面白い。

新しいウェーブ。

私はこれから、経営と研究を同時に進めていきます。
その中で、大洗町を中心的なテーマの1つに掲げることで、アカデミックな世界で、大洗や茨城がプレゼンスを発揮するのも面白いなと思っています。
なんか、みんなで世界に発表しにいくみたいで。笑

私は、受験前から本当に多くの人にお世話になったし、刺激を受けました。
廣瀬さんや、シンポジウムでご一緒した平田先生。
修士の際に、お世話になった友成先生。
富士見町の事例を教えてくださった津田さん。
一緒に活動する中で、とても刺激を受けた石井さん。
大洗の図書館にある、蓼沼さんの資料も全部読みました。
受験本番では、川崎燃料から提供いただいた貴重な資料も投影しました。

私はあくまで媒介であって、地域のいろんなみなさんから勝手に学んで、それぞれが勝手に大きなうねりになっていく。

私はいま、とてもわくわくしています。

実は今、展開している事業内容も、背景にはこれまでの私の研究があります。

研究と実践。

両輪を回しながら活動していきますので、ぜひよろしければ、これからも株式会社Coelacanthの行く末をおもしろがりながら、見ていてください。
現役京大生の経営者は、茨城で、私一人くらいなのではないでしょうか。笑
もし仲間がいたら、ぜひ友だちになりたいです。

来年度からは京都と茨城の2拠点生活です。
一緒に街で、遊びましょう!

これまで入試に関わってくださった皆様へ、感謝を込めて。


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