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「甲子園での夏の大会は無理」との萩生田文科相発言、いい指摘だと思うのですが、時期が時期だけにうがった見方をしてしまいました

 「桜を見る会」問題、週刊文春と週刊新潮がともに新たな記事を掲載するようで、ネット上も賑やかになっております。
 これまでは安倍政権を擁護する書き込みが多かったニュースサイトのコメント欄や巨大掲示板の某板の書き込みに政権批判が目立ってきたことをみるに、「モリカケ」の時以上の「勢い」を感じます。予断を許さない状況といえます。

 そんな流れとは直接関係はないのですが、本日、個人的に一番気になったニュースはこちらです。

 東京五輪マラソンの開催地が札幌に変更されましたし、夏の高校野球地方大会でエースを温存して決勝戦で負けたチームを巡る議論もありました。タイムリーな話題ではあります。

 この記事を読んでぼくが真っ先に考えたのが、「夏の高校野球のあり方を見直すかどうかは高校球児たちの意向を第一にすべきであり、大会を主催する新聞社や、その新聞社をよく思っていない政治家の思惑に左右されてはいけない」ということでした。

 余談ですが、ぼくは若い頃、高校野球の取材を何度も経験しましたが、最後まで好きになれませんでした。
 ぼくもそうでしたが、新聞記者には体育会系の人間関係が苦手な人間が一定数おり、そんな人間にとって「高校野球の監督(体育教師)」「警察官」は最も敬遠したいタイプの人々なんです。

 新人の新聞記者にとって高校野球の取材というのは、サツ回り(警察取材)と並ぶ「2大試練」ともいえます。世間知らずで頭でっかちな若手記者は、そんな大人たちと接することで「世の中の多様さ」を学んでたくましくなっていく…。
 まあそういう効用は否定しませんし、取材での楽しい思い出もなくはないですが、全体としては「なんなんだろう、この世界は」という思いの方が強かったです。

 一番違和感があったのは、無理やり「ドラマ仕立て」にする報道の仕方でした。レギュラーのメンバーはもちろん、控えの選手、マネジャー、その家族、友人・知人といった方々の個人情報を細かく調べ上げ、こんな感じの記事に仕立て上げます。

「亡き父に捧げる渾身の一球」「スタンドで見守る恩師の遺影」「誰よりも大きな声援でチームを後押しした補欠の3年生」「中学時代にバッテリーを組んだ2人が大舞台で戦う」「病床の女子マネジャーに1勝を届けたい」「決勝の朝、監督に手渡した寄せ書きノート」

 こういう「人間ドラマ」に落とし込める関係者を探す、という妙な取材を強いられるのです。
 もちろん、「最近お亡くなりになった方や重い病気や怪我をされた方は身内にいませんか?」なんてストレートに聞くわけにもいきませんので、取材と称した膨大な世間話をしていく中で、そういう情報を集めていくわけです。

 で、この手の取材でも「スクープ合戦」みたいな側面があって、他の新聞やテレビでうちの社が書いていない「感動の人間ドラマ」が紹介されると、「何やっているんだ!」と上司に怒鳴られるんです。
 さらに、野球以外のスポーツ関係者からは「なぜ野球ばかり大きく扱うんだ」という抗議や苦情も寄せられます。

 マスコミはなぜ、そんなに高校野球の報道に力を入れるのか? これは新聞社にいると分かるのですが、高校野球の記事って、他のどの分野よりも読者からの反響が大きいからです。
 近年は特に、「新聞イコール高齢者のための媒体」という性格が強くなっていますので、余計に実感します。高校野球が好きなお年寄り(会社の幹部やOBも含め)は多いんです。

 記事は読まれますし、県代表が決まれば「甲子園での活躍に期待しています」みたいな地元企業の広告がたくさん入って、収入にもつながります。
 新聞社にとって高校野球は、読者確保と収入増の両方をもたらす「キラーコンテンツ」ともいえるものです。そして、夏の高校野球全国大会の主催は、朝日新聞社です。

 ぼくが萩生田文科相のニュースを聞いた時、「桜を見る会」問題の報道を巡って朝日新聞に牽制する狙いがあるのかな、と思いました。
 報道された内容の限りでは、発言からそういうニュアンスは伝わってきませんが、案の定、ネットでは、この記事を受けて朝日新聞を批判する書き込みがみられました。

 タイミング良く、きょうは朝日新聞社の中間決算の記事も出ていました。

 本業である「紙の新聞」が売れなくなって赤字が拡大し、不動産収入で何とか穴埋めし、ネット分野に活路を見出そうとするがまだ収益モデルは確立できていないーというのは、どの新聞も似たり寄ったりです。

 そして、朝日に限らず、どの新聞社も高校野球の報道が経営的に役立っているはずで、未成年が学校の部活でやっているスポーツを新聞社が「興業」として利用し、巨額のマネーが動くビジネスに育て上げたーという側面は確実にあると思います。現状を大きく変えることには抵抗感があるでしょう。

 「甲子園での夏の大会は無理」と多くの選手自身が感じるのであれば、大会のあり方を変えていかなければいけないと思います。新聞社の既得権益を守るためでも、安倍首相擁護と絡めた「朝日新聞憎し」でもなく、「選手ファースト」で進めていってほしいものです。

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