小説家の連載 妊娠中の妻が家出しました 第9話
〈前回のあらすじ:やっと華と連絡が取れたものの、妻の態度はあまりにも冷たかった。家事やサポートを頑張ってくれているのは判っているけど、それだけでは心が満たされない、と華は電話口で言い放つ。妻の離婚の意志は固い事を知った浩介は、電話を切った後泣き崩れるのだった。〉
華から電話があったのはそれっきりで、あれからどう連絡してもどうにもならなかった。
華がどうしても離婚したい事を告げると、妻の両親は、あのバカ娘は何をやっている、本当に申し訳無いと言った後、
「でも、あの子は本当に頑固だから、そこまで言うんだったら離婚しかないかもしれない。浩介さんには慰謝料を払わせますから」
と言われてしまった。謝罪されたものの、慰謝料をもらうだけでは自分の心に与えられたショックは癒えないだろうと浩介は思った。そもそも不倫されているかどうかも判らないのに慰謝料の話をされても・・・・。
電話事件から程なくして、両親から事の顛末を聞いたであろう妻の妹・雪が一度、
「仕事の出張のついでだから」
と称して、A市から新幹線で30分かけてB市に来たので、浩介は昼休みに食事をしながら話す事になった。浩介の会社と、雪の出張先の会社のちょうど間にあるカフェで落ち合った。雪はボリューミーなサンドイッチセット、浩介はカルボナーラとサラダのセット。ここ数日まともに食事していなかったので、流石にお腹が空いている。
「うちの姉が本当に申し訳ありません」
と謝罪するパンツスーツ姿の義妹に(いずれ義妹でもなくなる訳だが)、浩介は海路、という名前の人物について尋ねた。
「華が、海路は親に嫌われてた、って」
「あぁ、あの人ね」
雪は顔をしかめた。
「お姉ちゃんの最後の元カレです。浩介さんと出会う前に付き合っていて、お姉ちゃんもその人も結婚するつもりだった」
「どうして結婚できなかったの?」
雪はサンドイッチを頬張りながら答える。
「それはあたしと両親が大反対したからです。結婚するなら絶縁するぞって。皆怒り狂ってて、包丁で刺すとか言ってたし、冷静じゃなかったけど、そうするしかなかった。だってそうでも言わないとお姉ちゃん、その人と結婚する気満々だったし。絶縁上等だって言って、駆け落ちする気だったと思う。相手の人も、うちに挨拶に来る気だったみたい」
「それなのに、しなかった?」
コーヒーをすすりながら浩介が問う。
雪が肩をすくめる。
「そうです。何か、よく判んないんだけど・・・・相手の人が冷めた?とかなんとか。こんなに反対されるとは思ってなかったとか言って、お姉ちゃんを振ったらしいです。お姉ちゃんは絶望してたみたいだけど、あたし達家族はそれでほっとしました。あんな人が家族にならないで済んで良かったって」
「反対してた理由は?」
「相手の人がどうも信用できなくて。お姉ちゃんには職業も教えてなかったみたいだし、お姉ちゃんより年上だけど、なんかそれも・・・年下の子を言いくるめて付き合った、みたいな感じがぷんぷんしたんですよ。モラハラ臭がしたというか・・・怒鳴ったりはしないけど、自分の望む方に誘導するのがすごく得意な感じだった。すごくぞっとした。お姉ちゃんは軽いマインドコントロールを受けていたと思います。だけどお姉ちゃんが信用していたのは元カレの方だった。お姉ちゃんに向かって、君の家族はおかしいとかどうとか言っていて、お姉ちゃんは家族じゃなくてその人の言う事しか聞かなかったんです。今思うとあたし達家族のやり方も良くなかったと思うけど、ああするしか無かった。あたし達がいくら反対しても、お姉ちゃんは耳を貸してくれなかったし。どんどんその人の方に心が行っちゃうし」
確かにそのやり方はまずかっただろう。包丁で刺す、はもはや脅迫だ。
「でもお姉ちゃんは当時職探し中の無職で、イラストレーターの仕事を始める前だったから、親に養ってもらってる状態だったので、親やあたしが認められない相手と結婚って、そんなの無理じゃないですか。お姉ちゃんって家族が自分の言動に対してどう思うかなんて、一ミリも興味無いんです。自分のやりたい事をやるためには、家族に嫌われようがどうでもいいんです。自分がどんな男を連れてきてそれに対して親や妹がどう思ってもお構いなし。そんなお姉ちゃんが浩介さんの事を連れてきた時は、奇跡が起きたと思いました。こんなに誠実で素敵な人を連れてきてくれた、義理でも家族になる事ができて皆嬉しかった。それなのに、今度はそれを自分でぶち壊すなんて・・・お姉ちゃんが一体何を考えているか、全く判らない。あの人は自分が一番大事なんです」
自分が一番大事、か。浩介は心の中でそう呟く。浩介にとって一番大事なのは妻とお腹の我が子。でも、華は、違ったのだろうか。
「お姉ちゃん、海路って人の事をあたし達が認めなかった事、今でも根に持っているのかな」
義妹が、ぼそっと言った。
華の本心は、もはや誰にも判りそうにない。
次回に続く