エディよ、本当にありがとう
どうも、ろけねおです。
去る2020年10月6日のこと。ボクが大好きなミュージシャンが天国に旅立ちました。
その名はエドワード・ヴァン・ヘイレン。
VAN HALENというバンドのギターリストです。
ボクはベース弾きなので、通常ギターリストにはそんなに興味がないんですが、エディさんは初めて知った時からずっと好きでした。
ミュージシャンの中には、長いキャリアがあれば、時に作り出す音楽の方向が変わったりして、それまでのファンを突き放すようなことがあったりします。
でもエディさんは、変化をしながらもガッカリさせられることはありませんでした。いずれのVAN HALENのアルバムもそれなりに好きでした。
初めての出会いが強烈過ぎると、それにばかり引っ張られて、ミュージシャンが打ち出す新しさを受け入れられない自分がいるのが原因でガッカリするわけですが、エディさんはどんな新しいこともそれまでと変わらぬエディの延長線上にあると思わせる魅力がありました。
一度も裏切らなかったのです。
いや、そうでもなかったかな?ま、とにかく好きでした。
革命的だった
ボクが中学生の頃、ヘヴィメタルに目覚めました。それまでC-C-Bになりたかったんですが、
LOUDNESSにどっぷりハマってしまいまして、そこからしばらくはヘヴィメタルやハードロック以外は音楽にあらずみたいな調子になってしまいました。
最初は英語の歌詞がわからんということで日本のバンドばっかり聴いていたのですが、そのうちそのバンドのルーツを知りたくなって、いよいよ海外のバンドにも手を出していきます。
どんなバンドがあるのかサッパリわからないので、ジャケットだけ観て判断していくわけです。初期のLOUDNESSがこんな感じのジャケットでしたから
こういうのを探して聴くわけです。当時はレンタルレコード屋さんに通ってました。
ヘヴィメタルというのは、ピチピチの革パンツを履かないいけないし、髪の毛は伸ばさないといけないし、ドクロのアクセサリーを付けなきゃいけないし、鋲のついた革ジャンも着なければいけない(鋲のついた革ジャンはどっちかというとパンクですかね?)とそう思い込んでいましたので、そういうルックスのバンドを探しました。
そのうち楽器にも興味が出てきまして、じゃんけんに負けてボクはベースをするはめになるんですが、そしたらどこのバンドのなんたらという人が上手いだの下手だのって話になって、徐々にバンド名だけでなく、バンドメンバーの名前まで頭に入ってくるようになりました。
そうなると、やはりエディ・ヴァン・ヘイレンの名前も知るようになるんです。
最初の衝撃は「Eruption」です。この曲はエディさんのソロなんですけど、通常はそのテクニックに衝撃を受けるのですが、ボクは別のことに衝撃を受けたんです。
それはこの「Eruption」を聴く前に、LOUDNESSの高崎晃さんによる「Exploder」という曲をたっぷり聴いてまして、エディっちゅう人タッカン(高崎さんの愛称)のパクリやん!って思ってしまいました。
『鬼滅の刃』のファンの人が『ダイの大冒険』を観て、パクリだと思ってしまうのと同じようなことになったのです。
ところが「Eruption」の入ったアルバムは78年にリリースされてて、「Exploder」の入ったアルバムは84年にリリースされています。むしろパクった感じなのは、タッカンのほうやがな〜とガッカリしたものでした。
そこから急にエディさんに興味が湧きまして、VAN HALENを聴くようになりました。
そこで初めてヘヴィメタルもいろいろあるのね、となりました。ハイトーンで歌うものだと信じ切っていたので、VAN HALENを聴いた時はこれまた衝撃で、全然ハイトーンではありました。
ライブ映像を観た時はさらに驚きました。というのも、ヘヴィメタルというのは上に書いたような服装で演奏するものと思っていましたが、VAN HALENの面々は全く違いました。
ステージ衣装とは思えない、ずいぶんラフな服装で、裸にオーバーオールだったりしました。
しかも、イカツい顔でお客さんを威嚇しながら演奏するものと思っていたのですが、エディさんは終始ニッコニコしていたのです。物凄いテクニカルなフレーズをピョンピョン飛び跳ねながら弾いているのです。
ここにいちばん衝撃を受けたのです。楽しそうに弾いて良いんだ。楽しそうにヘヴィメタルを演奏しても良いんだ、と知ったのです。ギターのテクニックのことはよくわからなかったんですが、笑顔で演奏して良いと知ったのは本当に革命でした。
ちなみにVAN HALENは厳密に言うとヘヴィメタルではないんですけどね。
デザインがカッコいい
エディさんといえば、ギターの柄が特徴的でした。
こんなデザインのギターを弾いておられたんですね。
ボクがバンドを始めた頃はBOØWYが大ブームでして、バンドをやってる人の7、8割はBOØWYのコピーをやっていたような時代でした。
コピーバンドばかりを集めたライブなんかも、地元ライブハウスで頻繁に行われていたりしてたんですが、10バンド出演したらその内8バンドくらいはBOØWYのコピーでした。
おかげで、本物のBOØWYはほとんど聴いたことがないのですが、かなりの数の曲を覚えてしまいました。日に何度も聴く羽目になるので勝手に覚えてしまいました。
当然そうなりますと、このデザインのギターが人気となります。
実はこのデザインもカッコいいな〜と思っていたのですが、ヘヴィメタル命ですから布袋寅泰さんを認めるわけに行きませんでした。
なので、迷わずボクはエディさんのデザインにベースを塗りました。
※根拠がさっぱりわかりませんね。ごめんなさい。
厳密にはボディをブルーに塗って模様をビニールテープで再現した感じです。
思いの外、カッコよく仕上がって凄く気に入っていたのですが、ある日Cinderellaというバンドがギター回しをやってまして、
それがずいぶんカッコよく見えまして、これは絶対やろうと思いまして、無理してワイヤレスシステムを買ったりしてライブで披露するつもりで、練習しておりました。
その練習中にストラップが切れまして、派手にベースが空中を飛んでいきました。ちょうど学校で練習しておりまして、そのベースは学校の硬い壁に激突しまして、ご臨終となってしまいました。
そのエディさんのギターっぽいデザインのベースでライブをすることは叶わなかったわけです。
エディさんは、このデザインのギターを使用することが少しずつ減りましたが、ギターが新しくなってもこのデザインを採用していたのは、嬉しかったです。
エディよ、本当にありがとう
エディさんに憧れてギターを始めた人もいたでしょうけども、ボクはエディさんが大好きでしたけども、エディさんのようにギターが弾きたいというより、ボクがベース弾きであったこともあって、エディさんとバンドを組みたいという気持ちでした。
エディ以上に大好きなVAN HALENのベーシスト、マイケル・アンソニー師匠がVAN HALENから脱退することになったとき、寂しい気持ちになりましたが、それと同時にこれはいよいよ自分にチャンスが回ってきたのではないかという気持ちになりました。
結局、エディさんのご子息のウルフギャングくんがアンソニー師匠の後釜になりまして、ボクがVAN HALENの一員になる夢は潰えました。
そしてエディさんがなくなって、本当に一緒に演奏する機会は失われてしまいました。こんなことなら、臆せず素早くベーシストに立候補しておくべきだったかと思いました。
ま、選ばれてないでしょうけどね。
偉大なギターリストであったことは間違いないのですが、ボクは偉大なる作曲家だったと考えています。本当に素晴らしい曲をたくさんお作りになっています。メチャクチャ楽しませていただきました。
エディさんが旅立ってしばらくしてからこの動画の存在を知りました。
ボクはコピーをする動画はあまり好きではなかったので全く観なかったんですが、エディ愛に溢れたこの方の演奏を観て、泣けました。
ボクよりも遥かにエディさんのことが好きな人にとって、この出来事はボクよりも遥かにキツいことだったはず。それなのに、天国へ届けとばかりにギターを掻き鳴らしているのです。泣けました。
このひと月ほどVAN HALENばかりを聴いてます。やっぱり最高でした。
エディよ、本当にありがとう。
それではまた。