【エッセイ】向上心のない人たち。
私の団体に勤めている方々の話。基本的に、向上心のない人の集まり。
先日、就業規則の定年制度の話になり、うちの団体はその立場によって定年の年齢が違うのですが、全エリア転勤ありは60歳、転居を伴う異動なしは65歳、契約も65歳。
転勤ありは60歳の時点で、契約に落ちるのだそうです(勿論給与も減額)
私は、この団体で自分の仕事人生を終えるつもりは毛頭ないので、隣の席の人がその話で65歳であることにビックリしていたことに対し
「えっ?ここに一生居るつもりなの?」
と思わず口から出てしまいました。
彼女は
「だって、私これしか出来ないもん。」
と言ったんですよね。いや、それさえも本当に満足に出来てますか?とはさすがに言えなかったです。
そう、この団体の人たちは今のまま、変化なくただ定年まで迎えることを望んでいるのです。
変化なくというのは、悪い意味です。
新しいことに閉鎖的で、自分から発信することもない。ただ、クビにならず、減額せず、居られればいいんです。
私は、それを分かってはいましたが、どこかで今でも戦っています。
なぜなら、自分の仕事を効率よくしたいし、いい情報があれば共有して一緒によくしていきたいからです。でも、そういう発信は嫌われるのです。
先々週、システム変更があり、とても使いづらくなりました。以前、重宝していた項目がなくなり、必要のない項目が増えたからです。
そこで、私は発信しました。
「以前は〇〇で発注していたものが、変更になり××を業者さんに伝えたら、それでは発注出来ないと言われました。〇〇がないと発注出来ないので、改善してください」
と。
その2週間後の今日、〇〇を検索するシステムが出来ました。これって、改善ではありませんか?
それとは別に
「新システムについて、要望を記載する場所があるようですか、書き込みを個々でしてもよいのでしょうか?どこか、取りまとめをするような場所があるのか、教えてください。こちらの要望としてはかくかくしかじかです。」
と。
これも、今日みんなで新システムをよくしていきたいので、要望があれば都度発信してくださいとアナウンスがありました。
これも改善ではありませんか?
なぜ、これを誰も発信しないのか、なぜ誰も疑問に思わないのか、なぜ誰も気が付かないのかが分からないのです。
上が発信することは、いつも一方的でこういう風にしたいのだけれどもどうだろうか?なんてお伺いはありません。ただ、偉そうに決定事項としか言われません。
そんな言いづらい環境で、いい仕事って出来ますか?と思うのです。
合わないんだと思います、団体の性質に私が。
考えて発信しているのが私だけで、悪目立ちしている気もしますし、正直嫌気がさします。
今まで働いてきた中で、こんなにみんな目が死んでいる人しか居ない中、疲れました。
もっと、前向きでディスカッション出来るような場所で働きたいものです。