noteはじめました|自己紹介 第二章(完結)
改めまして
このたび、noteをはじめることにしました。
いや、はじめてます。
文章も得意な方ではないですし、
胸をはって綴れるほど輝かしい経歴はございませんが、
第二章も、等身大に精一杯綴っていきたいと思います。
みなさま、2回目のはじめまして。です。
杉山 大樹(すぎやま たいき)と申します。
杉の山の⚪︎⚪︎な樹 のくだりは割愛します。
1988年10月2日 生まれ
天秤座、O型
最近のマイブームはVoicyでCOTEN RADIOを聴きながらウォーキングです。
(めちゃくちゃおもしろいです。ぜひ)
(ウォーキングも良いです。ぜひ)
前章のつづき
簡単に前章のつづきをハッシュタグ風にまとめてみました。
#爆誕 #引越し #日本一暑い #熊谷へ
#サッカー #オファー #出会い #全国三位 #PKキッカー #過去の栄光
#レギュラー争い #埼玉県一位 #関東大会出場 #丸刈り2回 #帯状疱疹 #大切な仲間
#熊谷は #冬は寒い #マンモス校 #150人の部員 #副キャプ #サッカーしかない #気づいちゃった
#はじめてのひこうき #ビーフorチキン #アメリカ留学 #挑戦 #English #順応 #忍耐力 #きっかけ
#何者でもない #グローバル #就職 #赤ペン先生 #理想と現実のギャップ #冷静と情熱のギャップ的な #やれること #できることを #丁寧に #年賀状 #中国語 #???
#印度! #インド!! #INDO!!!
です。
それでは、第二章のはじまりです。
そうなのです。
暑いアツいぶ厚い、5度目の『変化と挑戦』がはじまりました。
念願の海外駐在が決定です。
念願? 念願です!
なぜなら、
毎年の自己申告書に、「海外に行きたい」と書いておりました。
数十カ国ある拠点に対して、駐在希望の国を選択できたのですが、もちろんALL OK。どこでもwelcome。
どの国でもいいから海外に行きたい、海外で仕事をしたいという一点で。
・・・
いや、でも、ね。インドとは、まさかですよね。lol
でも、やっぱり嬉しかったです。
おそらくほとんどの日本人にある(無かったらごめんなさい)インドの固定概念的なものも一切なく、やっときたチャンスへ挑戦できる自分自身への期待。不安といえば、無事に引っ越しができるかどうかぐらい。
嬉しかったのはもう一つ理由があり、
数十カ国ある海外拠点の中で、当時、日本人の駐在員がいなかったのがインドだったのです。かなりのチャレンジングな国です。
もはやGOしない理由がない。
アメリカ留学するため、両親に頭を下げ、奨学金を借り、バイトに明け暮れた大学時代。
ビーフ or チキンの返しでchickenの発音を完璧に練習したのにビーフが出されてもめげずにやり切った、あの4度目の『変化と挑戦」、「アメリカ留学」の点が繋がった瞬間でした。
内示が出てから出国までは時間もあり、引き継ぎ、英語の勉強、ビザ取得(やはり時間はかかりました)、日本食の食い溜めで3kgの増量にも成功。
その間にも、現地の情報(50度にもなるのか〜。ビーフは食べれないのか・・、あ、あの機内でビーフを出しておいてもらってよかったな・・とか思いながら)や、インドの歴史・文化を勉強すべくググる日々。
そこでまさかの発見が!!!
・・偶然?・・・いや必然?
みなさま一度は見たことある、あの世界史の教科書にも載る、
世界史上でも有名なあのお方。
そう、インドはグジャラート州出身
મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી
こと
モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
こと
マハトマ・ガンディーさん。
生年月日:1869年10月2日
・・・む?
・・・むむ?
・・・むむむ?
「10月2日」!!!!!
そう。
まさかの誕生日が一緒!!!!
はい、偶然ではなく、必然でした。
インドが私を呼んでいたのか・・と。
FYI:VoicyのCOTEN RADIO#56〜ガンディーのお話しが聴けます。ぜひ。
そしてインドへ
何はともあれスタートを切ったインドでの駐在生活。
(*正直、このインドでの駐在生活のことを書き始めると、
おそらく1,460回ぐらいの『変化と挑戦』がありますので、
このインド生活のことはゆっくりと、本場のインドカレーが恋しくなる頃に綴りたいと思います。また、インドのことについては、私よりも文章能力の高い方々がnoteに綴られてるのでそちらを。ぜひ)
掻い摘んでお話しすると、(書き終わってみたら全然掻い摘まめてませんでした)
海外での仕事は楽しい です。(楽しむ気持ちがあれば)
これから初めての海外駐在や海外でお仕事される方、いろんな文化に触れたい、一歩を踏み出したい、そんな方は、ぜひチャレンジして頂きたいと本当に思います。
何が楽しいのかというと、
日本にある変なしがらみ、静かに、でも強めに押し寄せるプレッシャーと右へ倣え的な精神、一切ないです。
特に私の場合、日本人がそもそもいない海外拠点(インド)だったので、なおさらです。
逆に、何もしなければ、コミュニケーションも取らなければ、誰も見向きもしない、ミーティングなんて特に。
だからこそ、自分自身が変化し、挑戦を続けないと置いてけぼりです。
正直TOEICの点数とかよりいかにコミュニケーションが取れるか。です。
英語が話せなくても、取れるコミュニケーションはいくらでもある。
私自身も必死でした。
比較的、アメリカ留学で英語には触れてきた方でしたが、
改めて、現地の語学学校にも通いました。
伝わらないことは紙にポンチ絵を書き、それでも伝わらなければボディーランゲージ。
(蛇足ですが、インド人のYES, NOのジェスチャーって、YESの時に首を横に傾けるように振るのです。日本人の私としては、それはNOです明らかに。赴任当初は、伝えてること全てがNOだったのかと思ってました・・笑)
ほら、やっぱり楽しすぎです。
インドなんて特に。
13億人ぐらいの人口。
200を超す言語の数。
北インドと南インドで話す言葉も書く文字も違う。
多彩です。愉快です。
だからこそ、変化に柔軟に対応していく必要がありますし、よりそこが鍛えられます。
変な固定概念に凝り固まっていては何も始まらない。
5時間以上のフライトの遅延?普通です。
3食ともにカレー。普通です。
大気汚染で視界が真っ白。普通です。
謎の食あたりと、原因不明の高熱。普通です。
それぐらいの気持ちとちょっとした覚悟でやり切れます。
気づいたら、現地駐在員のサッカーチームの代表にまでなるぐらい、楽しめます。
ちょっとさすがに長くなってしまったので、インド、というか海外駐在の話はここまで。
結局、4年いました。
365日 x 4年=1,460回 の『変化と挑戦』でした。
そして帰国。
4年過ごしたインド、最後はインドでもコロナが蔓延しており、
シャットダウンの日々。
オフィスにも行けず最後の挨拶もWhatAppで終わってしまったのが寂しい。
なので、いつかまた、さらに発展したインドに行って、大好きなドライバーと、食あたりに再会してこようと思います。
さて、帰国した理由です。
もちろんコロナもあったのですが、
「メキシコ」への異動を告げられた為です。インド to メキシコ。
この話は本当に胸が痛くなります。
・・結局、メキシコには行きませんでした。
(色々と赴任に向け動いてくださっていた皆様申し訳ございません)
帰国して、メキシコ大使館に行って、ビザを取得したその日。
ふと、我に返ったのです。
「俺の人生って・・?」
第一章から第二章のいままでの歴史がフラッシュバック。
その瞬間、メキシコへ行くのをやめました。勝手です。本当に身勝手です。
人生一度きり。
いろんな生き方があってもいいんじゃないかと。
もっとワクワクした人生を歩みたいなと。
6度目の『変化と挑戦』。
そして転職。
日本の拠点で働くという選択肢もありました。
本当にお世話になった会社です。海外の経験もさせていただき、ここまで私を成長させてくれた会社です。感謝しかありません。
でも、転職という選択肢を取りました。
特に何かがあってそうさせたのかは、いまだに私自身もわかりません。
ただ、漠然と、地元に戻ろう、と思ったのです。
地元が恋しくなったかと言われれば、そうでもないですし、
家族に何かあったわけでもないですし、何か一大イベントがあったわけでもないです。
こんな風に思われる方、いますか?なぜだか漠然と地元に戻りたくなる感覚。それです。
それからというもの、
転職活動もそれなりに苦労はしましたが、地元から通える企業へ無事に転職。
そして、新卒で就職してからすぐに立ち上げた社会人サッカークラブにも無事にcome back。
こんな感じで、6度目の『変化と挑戦と胸の痛み』が終わりました。
地に足がついた感じでした。
日々、何事もなく終わる。
が、
ここからです!!
ラッキーセブン7度目の『変化と挑戦』が訪れるのです。
起業しました。
そして起業
この起業のお話は、この自己紹介の章として綴るのはやめとこうと思います。
また次回、起業の話を綴らせて頂きます。
と、こんな感じで、
等身大で恥ずかしすぎましたが、自己紹介を終わらせて頂きます。
腰が重かったnoteですが、はじめられました。
これも一つの『変化と挑戦』ですね。
厚かましくなってしまいますが、
みなさんなにかしら、
少しの変化と小さな挑戦を日々繰り返されているんじゃないかと勝手に思ってます。
現状から何かを変えようと思って、でもなにをすれば、なにができるのか、と苦悩していたり、ダイエットを頑張ってみたり、レギュラーを勝ち取る為にこっそり練習、挑戦したり、転職をして自分をアップデートしようと思っていたり、本を買って読んでみたり、「新たな自分を追求するために変化」し、「新しいことにチャレンジ」してみたり。
そんな人生、楽しすぎます。
そんな話を次回もまた綴っていきたいと思います。
引き続き、
どうか温かく見守っていただければこの上ない喜びと、
励みになります。
それでは。
杉山 大樹
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?