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類は友を呼ぶというが、「人が苦手」の類は誰も呼ばない。

私には友人と呼べる人がいない。
孤高な人間を気取って感傷に浸っているわけでもなければ、「なので、みんな、お友達になろー!!」などと陽気に振舞いたいわけでもない。
ただ客観的な事実を述べただけだ。

それは言ってみればこういうことだ。
私の身長は180センチ以上あり、スタイル抜群、学生時代にはモデルを経験し、現在では若くして巨万の富を築いたカリスマ経営者として脚光を浴びる、などというような客観的事実を述べたに過ぎない。
「客観的? 多分に主観が含まれているではないか!」とのご指摘をされた皆さん、とんでもない。主観どころか、嘘だらけだ。

かつては友人と呼べる人間もいた。
だが、時の経過とともに疎遠になっていくということは往々にしてあることだ。
数年前までは年賀状のやり取りをしていたこともある。
向こうから年賀ハガキが届いたときには、こちらだって必ず返していたものだ。テレパシーを。

そんなことをしているうちに、気がつけばお友達はいなくなっていた。
今なら花いちもんめをやっても、私を欲しがる人はいないだろう。

ただ、私はこのような状況を決して憂いているわけではない。もともと人付き合いというものが苦手なのだ。本当。本当にそう。ううん。全然強がってなんかない。

人付き合いが苦手で困ることもある。
よく「お帰りの際には一度お声がけください」や「お決まりになりましたらお声がけください」や「毛量増えましたらお前の毛ください」などと言われることがある。

お声がけ……? お声がけとはなんぞや。

こういうとき、本当になんと声をかけるべきかわからない。
単純に「おこえ! おこえ!」でもいいのか?
これでお声をかけてることになるか?
いざそう言ってみたら店員さんに「誰が読売巨人軍のオコエ瑠偉やねん」と往復ビンタを拝受したことがあるのは私だけではないだろう。


思い返してみれば、子供の頃から、私は人が苦手だったように思う。
放課後、友達から遊びに誘われるのが嫌だった。半日もの長きにわたり、幾人もの自己以外の他者と空間を共有する学校という名の牢獄から無事に出所したところで、再び他者とまぐわおうとはこれ如何に。
だが、人間関係に角が立つのもよくないので「遊びたくない」と無下に断るわけにもいかないし、私のような清廉潔白で真実を何よりも重んじる聖人君子のような人間は「ちょっと今日は予定が……」と嘘をつくのも気が引ける。
かといって、「学校が終わったあとは、部屋の隅に体育座りし、両手の人差し指で畳の目をいじいじとしながら、天井の染みを数えるっていう何にも代えられない習慣があるからさ」と本当のことを打ち明けても薄気味悪がられるのがオチだ。

そこで少年時代の私は考えた。
本当に予定を入れてしまえばいいのだ、と。

普通、子供というものは歯医者さんには行きたがらないものだろう。だが、私の場合は違う。友達からの誘いを断るためだけに、痛くもない歯を痛いと言い、無理やり歯医者に行くことにしたのだ。
当然、痛みなんかないわけだから、虫歯も何もない。
「うーん、特にどこも悪くないな」というのが歯科医の弁だ。
「とりあえず適当に軽く削っときますか」と言われ、大口を開けたまま「ふぁひ(はい)」と返事をし、まったく健康体の歯の上をギュイィィィンとドリルが走る。
私も私だが先生も先生だ。

そんなこんなで、今でも人付き合いは苦手だが、歯の一本一本を友達と思って今日もよく歯磨きしてこよう。こんな終わり方、ある?

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