世の中の 基準て
年齢や学年で、「これくらいの事が出来て当たり前」の基準。
ただ大人にとって都合が良いだけの基準。
仕方ないと思う。特に教育の現場でそういうものが無いと、全員に付き合っていたら、しっちゃかめっちゃか。
ただ、それが絶対だと信じる事で、もの凄く不安に襲われて、異常者扱いをされてしまう。
学校に行ってた時代はその年の4月に生まれた子たちから翌年の3月に生まれた子たちまで、が一括りだ。
でも社会に出たらどうだろう。
私は1浪して大学に入ったから、1個下の子たちと一緒に勉強して、遊んで。
その後も専門学校に入り直したから、今度は4個下の子たちと勉強して遊んで。
それで社会にでたら、上は60,70代の方たちまでとお仕事させて頂き、たまに飲みに行ったり。
今、発達障害という言葉を凄くよく聞くんだけど
なにが辛いかって
「周りと違う」って事をまざまざと意識させられる事なんだと思う。
みんなとちょっと遅れちゃったり、みんなほど理解する事が難しかったり、しても
生きてるうちに、何かで追いつくから大丈夫だよ
生きてるうちに、何か見つけられるから大丈夫だよ
って伝えたい。
でも当事者は、なかなかそうは思えない。
出口のない道をぐるぐる、ぐるぐる。
そしたら、だいたいその年齢できることをできる周りの子、大人が、「寄り添う」までは出来なくても、
あ、そういう子もいるよね、当たり前
って異質扱いしない位になればいいと思う。
私の小学校時代は、勉強も運動もできなくて、イジメにもあって、人よりも行動が遅くて、
どうしたら人並みになれるのか、
人並みになれたら、毎日楽しいんだろうな、
そんな事ばかり考えてた。
そんな頃の自分に、「大丈夫だよ。ゆっくりでも、取り組んで行けば、いろんな方法が見つかるから。きっとわかるからね。そしたら、面白いよ。」
と言ってやりたいと思うのです。