今、私死ぬ気で恋してる。
半年前に書いてたこの下書きが、2022年10月のわたしを唸らせたので今更投稿。
初めてまともに彼氏という男ができたのは20歳の夏。
学生の頃はまともに恋愛という恋愛をせず、そのまま高卒でアパレルをしていた。もちろんアパレルなので出会いもなく、退職後に繋ぎでしていたコールセンターで出会った同い年の男。
見た目は特段好きではなかったし、なんかチャラそう(笑)だったんだけど気付いたら付き合っていて、気付いたら音信不通になっていた。これが初めての恋愛と呼べる恋愛。
元々私はプライドがエベレスト並に高く、普通に日常生活を送っている時は自己肯定感は滅多に下がることがない。
それなのに、
男と関わった途端に自己肯定感が地の底に落ちる。
これは恋愛経験がなかった20歳の私の初めての気付きだった。そして一気に恋愛が怖くなってしまったし、あんなに惨めな思いをするならもう二度としたく無いとまで思った。多分、世の女性のほとんどが経験しているあの惨めさ。
音信不通にされるような私だったからだ、私がもっと彼にこうしていれば、私が、私が…のエンドレスループ。
それでも不思議なもので、
時間経過とともに必ず恋愛の傷は癒える。
これも私が得た一つの知見。どんなに深い傷でも、たまにチクっと痛むことがあったとしても必ず瘡蓋ができるように。
瘡蓋を作るために、一つ唱えるべき言葉があることも知った。
「あ〜これからもっと良い男に出会えるんだな。ありがとう」
決して彼のためにデート前に服を買い込み、待ち合わせ前にトイレに駆け込み香水を振りまくり、ビューラーでまつ毛をぶち上げてから彼に会いに行っていた過去の自分を否定するなんてマネはしないこと。全部無駄ではないから。
どんなクソ男でも、その時に感じた自分の感情やコントロール出来なかったアホみたいな行動も必ず自分の人生において糧になる。
恋愛は赤の他人と向き合うこと。傷ついて当然だし、思い通りにならなくて当然、人の気持ちはコントロールできないから。たとえ左手の薬指にバカでかいダイヤの指輪をはめたとしても、それが永久に続く安心感なのかは誰にも分からないし。結局自分を1番安心させてあげられるのは、何を隠そう自分しかいない。
失恋したあと、その傷は男で埋められない。自分が自分で納得して瘡蓋を作らないと絶対に何度も繰り返す。
ただ、一時的に男で埋めることは何も悪いことではない。その一瞬が楽しくて、満たされるような気がして、彼のことを忘れられるような気がするのなら無駄では無い。
その行為にも、「心の底から自分が納得する」なら。
「彼がいなくなっても私には私がいるし。」
これを思うのって簡単なようですごく気力がいること。とりあえずハッタリでもいいから、唱えるようにしている。
これを書いている今も、私は恐らくまた痛い目に遭うかもしれない男が好きでたまらない。
必死の強がりで「彼がいなくなっても私には私がいるし。」を唱えまくっている。
だけど、22歳の今これだけは確信してる。
恋愛でドキドキしたり絶望したりする度に、自分で自分の壁をぶち壊す度に、私はもっともっと良いオンナになってるってこと。
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