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闇の深さを測る尺度

ここ一ヶ月ほどメンタルの調子が酷く、ブログを書く余裕もなかったのですが、途中で止まっていた話題もあったりするので書いていこうと思います。

まずは斎藤元彦知事の復活当選の話から。
百条委員会、そして不信任決議案の可決を受けて失職を経て出直し選挙への出馬という決断をした斎藤氏ですが、失職の翌朝から地元でもある神戸市須磨区の駅前でたった一人でスーツ姿で通勤通学客一人一人に挨拶をし、やがて大型商業施設など人出の多い場所での演説まで、まさに草の根活動と言わんばかりの我が身一つでの選挙活動を通じて県民の信頼を徐々に取り戻し、その結果最有力候補の稲村氏を抜いて再選を果たしたわけですが、部外者、ひいては選挙権のない他県の知事選のことをどうこう言える立場ではなかった筆者にしてみれば「え、どういうこと?」という疑念もありました。
筆者が考える理由をいくつか挙げるとすると、まずは半世紀近い次期知事の「指名制」ともいえる、他の都道府県では有り得ない県政のしきたり(当然ですが選挙も行われませんでした)がもたらした県政の腐敗に県民が愛想を尽かして、若年層を中心とした有権者ら無党派層を取り込んだ斎藤氏の再選に至ったということ、投票率が異例の50%超えとなったこと、そして連日のようにマスコミが斎藤氏やその取り巻きを巡る悪事を、まるで視聴率稼ぎの競走とばかりに次々と報道している様子に若年層が違和感を覚えたのではないかとも推測しています。かつて尼崎市長を3期12年に渡って務め、人気も信頼も実績も十分な稲村氏が何故敗れたのかはわかりませんが、それほど在任中の斎藤氏の県政への貢献度が高かった(正しかった)のかなというしかないでしょうね。
但し、筆者が最も下らなくて恥知らず、かつ馬鹿馬鹿しいと思ったのが、それこそ部外者であろうN党の立花氏がなぜ立候補までして斎藤氏を当選させようとしたのか、ということです。当然選挙にはお金がかかりますし、一定の推薦人が必要等といういくつかの条件もあります。にもかかわらず身銭を切ってまで選挙に立候補して(もしくは何かしら援助があったのか)斎藤氏を再選させないために(自分が兵庫県知事になりたいのではなく、他の候補者を当選させるという噛ませ犬的な役割を公表してまで)名指しで斎藤氏を非難して他の候補者を知事にすべきだとアピールしたのかということです。
N党といえば、かつて暴露系YouTuberとして有名なガーシー氏を国会議員にするために公認までして当選させたと思いきや、当の本人は国会にすら一度も姿を見せず、結果ガーシー氏は除名処分とされた後、侮辱罪で警察に追われてドバイに逃亡し、帰国後逮捕という痴態を晒したのは記憶に新しいと思います。そんな党の代表を務める者の言うことをまともに信じる県民のほうがよっぽど腐ってるなと呆れ返りました。こうした政治とはおおよそ無縁な著名人が次々と議員になってしまう背景には、やはり旧態依然とした現代の政治に国民がそっぽを向いて選挙にすら足を運ばないという現象があるからなんでしょう。知名度のある芸能人やコメンテーターを担ぎ上げれば選挙でも優位に立てるでしょうからね。とはいえ結果的に立花氏がしゃしゃり出なくても斎藤氏は当選した(足を引っ張ったとも言えますがw)でしょうし、N党の勢いなどたかが知れてるという印象を世間に知らしめた一幕だったと筆者は考えます。

これが前置きかとツッコみたくなるほど長くなってしまいましたが、本題に入る前にもう一つとんでもない事件が起こってしまいました。

前述の通り、ここ一ヶ月メンタルのダメージが酷く、まともに外出もできないほど病んでしまっていたのですが、仕事には行かなければならない、食料は買いに行かなければいけない、そういった生活の中においてもトラブルやストレスは溜まる一方で、ついに昨日そのイライラがピークを超えてしまいまして、帰宅直後自宅の金属製の玄関ドアに百回以上(筆者も頭に血が上っていたので数えてる場合ではないです)蹴りを入れて暴れまくっていました。
そのイライラの直接の原因は、青信号になったので横断歩道を渡っていたところ、信号無視の自動車が横断歩道の手前まで走って来て、あわや大惨事といった有り得ない出来事だったのです。車が直前で止まったのはおそらく車に搭載されたセンサーが働いて強制的に停止したのでしょうが、それがなければと思うと身の毛がよだつ思いです。現代の日本の技術者の皆様の有能さには感謝しかありません。
現場は環状線で車通りも多く、もう片方の川沿いの狭い一般道、さらに斜めにもう一本道路があるという五叉路になっていて、警察の方が言うには(通報しました)その五叉路の斜めの信号が赤になったのを確認した運転手が、川沿いの道の信号が青になったと勘違いして発車したのではないかということなのです。川沿いの道は、斜めの道路から曲がって川沿いの道路への右折の妨げにならないよう停止線が道路のかなり手前のほうにあって、斜め側の信号が赤になったことは目視できても、本当に見なければならない肝心の川沿いの道路の信号を見ていなかったから起こった(推測)からであって、そう考えれば確かに納得はできますが、いやそういう問題じゃなくてちゃんと基本中の基本のルールを守らないからこうなったんだろ?というのは常識ある他人からしてみればごく当たり前のことであって、こんなんじゃ青信号でも安心して渡れねーじゃねーかという憤りを覚える人が大勢いてもおかしくない状況なわけです。
さらに頭に来たのが、その車は横断歩道の手前で人や自転車が渡り終わって誰もいなくなるまで運転席で何もせず涼しい顔で待っていたということであって、ウインドウなりドアなり開けて謝るのが普通だろ?ということ、そしてそれを待っている間は環状線を走る車の走行の妨げにもなっているだろ?ということです。大勢の人の命を危険に晒しておいてその態度は何だ?という怒りでしかないですよね。
実はこれと同じことが過去にもありまして、年寄りの運転する車が同じように横断歩道の手前まで走って来てギリギリのところで止まるという事例がありました。高齢者の危険運転にばかり注目が集まっていますが、基本的なルールを守ってさえいれば防げる事故は数え切れないほどあります。この記事をどれぐらいの方が読まれているかわかりませんが、交通弱者の命に関わることですので、お願いですから教習所に通う以前に小学校でも教わったようなことぐらいはしっかり守って下さい。お願いします。

ようやっと本題です。申し訳ないです。

この一週間、筆者はメンタル、体調とも久しぶりにどっぷり落ちていまして、出社もまともにできない日も多く底なし沼の下のほうでぐったりしていました。
その原因を作ったのが、同じ業務で一応別々に仕事をしているADHDのガキなわけです。
週明け、筆者はメンタルが弱っていて仕事で精一杯だったのですが、そいつがトイレから席に戻るついでにわざわざ他の社員のところまで行って、「○○さん、僕絶好調みたいです」と筆者がすぐ近くにいるところでそこそこでかい声で自信満々に言いまして、さすがに頭に来てその後「○○さん、あれはさすがに勘弁してほしいです」と懇願したぐらいでした。
別の日も昼休みに雑談が盛り上がったようでイヤフォン+イヤーマフでも聞こえるほどうるさかったので、そいつが近くにいたのでジェスチャーで「○○さん、(そいつを指差して手でくちばしパクパク、イヤーマフを押さえるジェスチャーで)これでも聞こえるんで(口に人差し指を当てて)お願いします」と頼んだぐらいでした。極めつけは木曜日で、終業後帰り支度を始めると筆者の真後ろに来て所長にこれまたでかい声で喋り出したので、イヤフォンもイヤーマフも外していたのでダイレクトに耳に入って来たので、本気で事業所の外に引きずり出してボコボコにぶん殴ってやろうかとイライラが収まらないまま帰宅したのですが、結局翌朝頭がガンガン痛くて欠勤してしまいました。
何が一番めんどくさくて理不尽かというと、本人に悪気が全くないところなんです。本人は頭の中お花畑でもこっちは荒れ地なんだよと思うとそれだけでイライラするんですよね。
おそらくADHDなので責めるにも責められず、逆にたまたま鉢合わせになって筆者が舌打ちすると烈火のごとく怒鳴り散らかすくせに、本人が悪いとなっても無自覚なのはさすがにしんどいです。闇は一体どこまで続くのか、頭を痛める毎日です。

それにしてもこうもトラブルが立て続けに起こると、精神疾患とは無縁な人でもさすがにメンタルやられるでしょうね。特に精神障害は後天的な障害なので、外見は普通に見えて会話も普通にできたとしても心の中はいつ混乱や焦燥、不安に駆られるかわからない生活を送っているわけで、発達障害や知的障害といった目に見えてわかる先天的な障害とは全く異なる性質を持っているのであって、神経過敏になったり過剰反応を示したりするんですよね。芸能人にうつ病やパニック障害といった精神疾患、ADHD、ASD等の発達障害を抱えた人が多いのも、芸能という一つの才能に長けた方に適した職業だともいえますね。
とはいっても、それらを測る物差しなど存在するわけではないので、人によって障害の度合いが違っても手帳の等級ぐらいしか判断材料がないのも事実です。発達障害や知的障害と比べたところでどうなるわけでもないですが、精神障害は本当に他人の理解を得られにくいですし、同じ精神障害者同士ですらわかり合えない難しさも抱えていると思うと、尺度の違いを測ること自体おかしいんでしょう。筆者としてはせめてもっと精神障害の辛さを理解してもらいたいと思いつつ、別にわからなくてもいいよという感情の両方に挟まれた息苦しい生活を送るしかなさそうです。

ではまた。

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