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#自閉症
ジェンダー委員会資料
こんにちは、近所にグルテンフリーレストランができてめちゃめちゃうれしいとまよこ りゃんシーです。女性媚びしてなくて古くて暗い感じで居心地は良い。店主も暗い感じで陰キャには通いやすい。
さて前回書いたようにジェンダー外来で受診拒否されてしまったので、せっかくなのでそこで書くように言われた自分史をシェアします。
てか5年前にも同じ事させられたんですけどね。その時は結局副腎疲労症候群の疲労感を陰
イギリス人はみんな発達障害!?
こんにちは、最近寝る前にyoutubeをよく観てるとまよこ りゃんシーです。最近は「Abroad in Japan」っていうチャンネルを観てる。日本人の事をすごく客観的に言語化してくれてて、自分が「日本人」に生まれたせいで逆に混乱してたり自信を無くしてた部分とかを指摘してくれて嬉しい。「イギリス人らしさ」って京都人みたいな封建的で意地悪な人の事だと思ってたけどこの人を見る限りただのツンデレなんだ
もっとみる凡人が天才に勝つ方法
こんにちは、イケメンになりたいなと常日頃思っていたけど「ふかわ。」さんを見てたら実際イケメンでも余計誤解されて辛いだろうなと思ったとまよこ りゃんシーです。もしお金持ちでイケメンの発達障害に生まれるのとチー牛顔の発達障害の女に生まれるのが選べるんだったらどっちが良いです? 僕は今の人生で別に良いです。女風呂入れるから。それに今は直接会わなくてもネットで仕事できますしね。それより美人のFTMのほう
もっとみる30歳からの思春期(女で良かった事ランキング)
こんにちは、14歳の誕生日の翌週に職質されて間違えて「13歳です」と言ったうえ鞄からサバイバルナイフが出てきて警察署に連行された事があるとまよこ りゃんシーです。
先日「女性の生態」という記事を書いた時に「こんなに女性の辛さが分かったから女に生まれて良かった」みたいな事を書いたのですが、ほかにも女に生まれて良かった事って、自分が気付いてないだけでもっとあるかも知れないなと思ってちょっと書き出
言われて嫌だった言葉ランキング
こんにちは、とまよこ りゃんシーです。
りゅうちぇる氏が自殺したと聞いたので、僕も今まで言われて嫌だったことを書いてみたいと思います。なんかLGBT理解の参考になればな~と。
1位…「僕っ子」 「僕っ子」「ボクっ子」「僕っ娘」? 一人称「ボク」のボーイッシュ女子ですね。短髪短パンでスレンダーな子が多い感じです。あれはあくまで「女の子」だと僕は思っているから、女だと言われているようで傷つく。男
発達障害は生まれつき「マジシャン」である!?
こんにちは、とまよこ りゃんシーです。
僕達は、誰からも理解されないという特性を持っています。
子供の頃は、自分をどのようにクラスに溶け込ませるのが一番いいのかと、そればかり考えていました。
その結果身につけたのが「漫画家志望キャラ」でした。
漫画家志望なら、多少おかしなことを言っても許されるし、僕らの特性である「こだわり」や「現実的ではない想像力」も生かせるからです。
あのですね
トランゼクシャルと発達障害を併発するということについて
こんにちは、発達障害でトランゼクシャルのとまよこ りゃんシーです。
今回は発達障害とトランゼクシャルを併発している人の生きづらさについて書いてみたいと思います。
ジェンダーと発達障害「性同一性障害」とか、「性別違和」と言う言葉がありますが、そもそもこの「性」と言うのはいったいどういった意味合いなのでしょうか。
ひとつは、「ジェンダー」としての性があります。これは例えば「おだやかでにこやか」
発達障害と共産主義の関係について
こんにちは、とまよこ りゃんシーです。
自分の人生を振り返るのももう4回目なんですが、今回は少し長めに書いてみようかなぁと思ってます。まあ、短期記憶のキャパシティを超えるので支離滅裂になる可能性がかなり高いですが。それと、前の記事で書いた部分は適宜割愛します。
僕は1992年7月に東京都立川市の病院で生まれました。母は40歳、父は48歳で、物心ついた時には父はすでに部長という地位でした。ちな
僕の発達障害の「発見」が遅れたワケ
こんにちは、とまよこ りゃんシーです。
僕の発達障害はかなり強いほうだと思うのですが、成人するまで診断を受けられませんでした。その理由について考えてみたので、まとめようと思います。
1、HSPによる模倣
HSP(感覚過敏)と自閉症を併発すると、模倣に長けるという話を以前書きましたが、僕はその例だったと思います。自閉症は自我がないので、他人の言動を意味も分からずにすぐに真似してしまうんです
アライグマより頭が悪い
生まれる前の話 僕の話をするまえに、僕の母の話をしなければならない。
母は1952年、福岡県の大川という町で生まれた。ここは古くから「職人の町」として知られており、建具の生産が盛んな町である。戦後なこともあり、村はてんてこ舞いの大忙しだったらしい。もちろん義務教育制度はすでに始まっていたのだが、それ以外の時間はほぼ家の手伝いをしていた。だが、母は年子であったため、ひとつ上の姉に頼ってばかりのあま