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VNと物思い② 共感が欲しいか?欲しければ…
共感したから投票する?
批評空間には投稿された感想に投票する機能がある。
noteでいうスキのようなもので、投票する際にコメントを一緒に書くこともできて、第三者が読むことも可能。こうしたコメントには、「共感した」「自分が思ったことを言語化してくれた」といった投票した理由が書かれることがある。実際、自分の感想と同じような内容を見つけた時に投票したくなったこともある。
これだけで一般化するのは勿論よくないのだけど、共感を求めること、多くの人が共感しやすい感想が優れているのでは?と仮説を立ててみたりした。ノベルゲームの感想を書いていて、より良い感想って何だろうと考えたときに、身近にあって手本になりそうなのがスキや投票をされた他者の感想だったからだ。
ほかの切り口も考えたことがあって、批評と感想って何が違うのか、感想ではなく批評を書けるよう努力したら良い文章になるかもしれないと、批評とは何か軽く調べたことがある。
いくつかのサイトと、少し本も齧ってみたけれど結局よく分からなかった。例えば、良い点と悪い点を両方入れて評価すること、のような定義は該当するしないの判定を機械的に行うには役立つかもしれないけれど、それ以上のことは何も教えてくれない。
特に、なぜ世の中に「批評」と特別な名前がついたものがあるのか、どんな価値があって、どういう理由で人は批評を書いたり読んだりするのか、という部分を教えてくれるものではなかった。
批評とは何か?
そんな時に見つけたのが、次の動画。
浅学な自分は文学の話には手も足も出ないため、このチャンネルを紹介してもいいのか自信はないけれど、この動画は冒頭5分くらいですぱっと上の疑問に答えてくれている。多少無理をしてでも短く端的にまとめてくれているのがとてもありがたい。
この話はとても腑に落ちた。
以降、自分が批評を書いてみたいという気持ちもなくなったし、むしろ感想と呼ぶものになろうが何でもいいので、自分の好きなことを書こうという気持ちが強くなった。何より誰かの共感を求めるために書くことはしないようにしようと強く思うようになった。
結果的に人と同じ感想になろうが、みんなが当たり前に思うようなことだろうが、自分が思ったことであって遊んだゲームの面白さに繋がる内容なら堂々と書けばいいと考えるようになったし、その結果として偶然でも何でも、この動画で言っているような千人に一人しか考えないこと、価値ある気づきに繋がることが書けていれば儲けものだと思った。
感想とか批評とか形は問題ではなく、まずは自分が感じたこと考えたことに忠実に文章で表現したい、そう思った。
もう一つ
そして、この動画はもう一つ大きな契機になった。
コメント欄でのやりとりの中で、佐藤亜紀『小説のストラテジー』『小説のタクティクス』が紹介されていたからだ。上に書いた内容も自分にとっては大事だけれど、結論から言えば、この本はさらに大事な出会いとなった。
”芸術作品の見方として既存の理論に頼らず作品をゼロの立場から読み解く、高度でありながら懇切丁寧な名著”
”これを読むと読まないとでは芸術作品への接し方が違ってくる”
こうした言葉で紹介されているとおり、今まで読んだ本の中でもトップクラスに影響を受けたと思う。
『小説のタクティクス』も抜群に面白かったが、特に『小説のストラテジー』の序盤部分における表現者と鑑賞者の議論は、ノベルゲームの感想をどう書くかということだけでなく、そもそも創作をどう鑑賞すべきかという点も含め大いに考えさせられることになった。
別記事で自分の考えとともに紹介したい。
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