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フーゾク嬢が「ちひろさん」見てみた。

※この記事はネタバレを含みます、Netflixと劇場で同時公開中だよ。



「風俗嬢」という、ある種キャッチーで自分と似た人種が集まりやすくなるフックをぶら下げなければ、うまく生きられなかった、うまく呼吸が出来なかった主人公が成長し、回復してゆく物語。

映画序盤、ソッコーで汚れそうな真っ白なパンツスタイルのまま猫に抱きつき道路に寝転がるちひろさん。ミュージックビデオみたいに現実味がなくこの映画を象徴するかのようなシーンだ。とにかく有村架純が生々しい存在感を放っているが、ファンタジーの世界だから白いボトムスは永遠に汚れない。これは虚構の世界だと丁寧に明示してくれている感じだ。手触りがあるかのような生々しい幻想、正直見ていて不思議な感覚に陥る。

風俗店こそ辞めてはいるけど、前半ほとんど「ちひろさん」は他人に対し接客状態だ。
「風俗嬢だったちひろさん」という、自分の存在意義をおそらく初めて掴むことが出来た大事な大事な源氏名が捨てられない女の子。

弁当屋でも過去の源氏名で呼ばれることを望み、なぜか周りの人間も柔軟でそれを受け入れる。静岡の焼津ってすごい土地なのかもしれない。

脱いでこそいないがちひろさんはずっと春を売っている、どう振舞ったら喜ばれ、どんな発言が求められているのか、考えながら喋ったり行動したりしている。私にはどうもそう見える。

下ネタにも笑顔で切り返すし、弁当屋のパートのおばちゃんによる「普通の」偏見にもフラットに対応する。ネグレクト気味の小学生と時間をかけて向き合ってみたり、今までの生き方に疑問を感じ始めてる女子高生に、ふさわしそうな同年代の友達を憎い演出して紹介したりする。
メサイアコンプレックスの極み、まるで私のようだ。でも風俗業界にはこういう女の子が意外と結構存在するから正直分かる部分もかなりある。他人を助けることで自分の傷を癒せる種類の人間がなぜか多く集まる、お節介や世話焼きが多い。私の知ってる風俗業界ってそんな印象だ。

有村架純が劇中で唯一男性と寝る流れには一番既視感があった、私がよくやる接客の流れだったから。間のとり方、距離の詰め方、噛み合ってないし何も解決してないけど思わず笑顔になるような斜め上を目指してゆく会話。相手の心を開くために接客中よくやった方法。

だから「このちひろって子はお金も受け取らず私生活で接客して何やってんだろ、辛くないのかな」とメモを取りながら少し冷めた目で見ていた。実際映画後半のちひろさんは結構辛そうだ。

現役の風俗嬢なら、ちひろさんの受け答えを接客に取り入れたら本指名が増えそう。
この軽やかさ、何言っても全肯定でフワッと包んでくれる感じ。困ってる人間は間違いなく集まりたくなるはずだ。

昔の夜職仲間と夏祭りに浴衣で遊びに行き、たまたま再会した過去の在籍店のスタッフに「店長~!」と呼びかけるちひろさん、それに「ちひろじゃねえか」と柔軟に対応する「もう店長じゃない店長。」
夜の人間同士が店以外で再会してもこんな大っぴらに声掛けないよとかもう言わない、なんかもう「ちひろさん」は元風俗嬢とか置いといてもかなり特殊な人間っぽい。風俗の枠組みで語る方がナンセンスな気がしてきた。

ここまで結構悪態付きながら見たんだが、店長とちひろが墓参りに行き、その帰り道に有村架純が
「同じ星の生まれじゃないけど、こういうのはあれか、分かった、店長は私のお父さんだったんだ」の台詞を口にした時、私は箱ティッシュを抱えて泣いていた。

借金と病気と住む家を見つけるために風俗業界に飛び込んだとき、面接を担当したのはあんな雰囲気の「店長」だった、見た目は全然違うけど、場所は横浜の店舗型ヘルスでもっと鬼のように狭いけど。 

借金とタトゥーと子供の有無以外何も聞かずに採用し、源氏名を一緒に決め、寮の手配も何てこと無く手早くやってくれた。

それからの日々、接客で疑問があれば毎日とにかく店長を質問責めにした。店長が店のバナーとか作ってる横で業界に関するたわいのない話なんかを、コンビニおにぎり食べながら聞いたりした。

他人にも自分にも甘いし、整形顔の派手な女が好みだし、私の顔を見ただけで欲しい言葉を適所で投げてくるし、チャラチャラしつつちゃんと人を愛せたりする。でも色恋管理でたまに失敗して女の子にネット上で晒されたりする。

私の人生に間違いなく存在する人間が映画の中に急にあらわれ、混乱した。今これは混乱したまま書いている。あれは、あの人は確かに一時期私のお父さんだったのか、初めて関係に名前が付いた。
寝たことなんて無くても人間的な繋がりが間違いなくあって、父親とほとんど一緒に暮らしてない私に、父性のようなものを発揮してくれた。風俗の世界のことを何も知らない私に、考える力と絶対にしてはいけないことなんかを丁寧に教えてくれた、私は当時その店でナンバーワンとかツーだった。一緒に戦った仲間だった。

この辺りからこの映画を見る客観性が完全に失われ、気が付くとティッシュの箱を握りしめ涙が止まらなかった。ちひろが最後になぜそんな行動を起こしたのか、初めから終わりまでの行動原理も、ぜんぶ分かる気がした。見る前はあんなに批判的だったのに部屋中がティッシュだらけだった。これは自分のための映画だった。

登場人物が一人亡くなってから、映画は急速に展開し、ちひろは本名の「あや」に少しずつだが戻ることが出来る。描かれないが普通の家庭じゃないことは弟との電話から簡潔に伝わる。その家族から逃げてきて結果として風俗嬢になったことも。

最後のシーンの有村架純のさっぱりとした返事と、何かを乗り越えたような表情、本当によかった。救われるような気持ちになった。

彼女はまだまだ春を売り続けると思うし、人助けも辞められないだろう。でもきっと源氏名は手放すことが出来たんだろうし、人への優しさの発揮の仕方も変わってゆき、これから社会に少しずつだが馴染んでゆくのだと安心出来る。そんな表情だった。

ブルーが印象的な静岡の景色、俳優たちの演技、衣装や髪型や美術など細部まで違和感が無かった。食べ物の映画なのかってくらい出てくる食事のシーン、食べることは生きることを体現していた。店舗型ヘルスで有村架純に鮮血のような真っ赤なベビードールを着せたのも超正解だった。

思っていたよりずっといい映画、かなり特殊なファンタジーだけど人間を引きずり込むフックが多い映画はやっぱりいい映画だと思う。

私の知ってる店長は熱帯魚なんて育てられないが、何してるんだろう。元気なんだろうか。こんな記事を書いてると知ったら、「お父さん?気色悪っ」とか言ってゲラゲラ良い顔で笑う気がする。

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或る娼婦の顛末
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