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「運動部」だったけど「体育会系」ではない


 「運動部」所属の子はみんな「体育会系」なのか?

ふいにそんな疑問が湧いた、6年前まで「運動部」だった私。

そもそも「体育会系」とはどのような意味合いで使われるのだろうか。

体育会系(たいいくかいけい)とは、課外活動の分類の一つである。転じて、それらに属する人々やその性格・気質のステレオタイプを意味する。対義語は文化系である。

wikipedia

 言葉の意味的には上記のようなものらしい。主に学生時代に肌身に感じていた人も少なくは無いだろう。

また、共通認識としては

精神論(根性論など)、上下関係、体力の重視を特徴とする。日本では大学クラブ活動(いわゆる体育会に属する)やスポーツ選手養成組織で育まれることが多いことから「体育会系」と呼ばれる。素地は少年野球などの学童向けスポーツや中学校・高等学校の運動部の段階で養われている。

Wikipedia


これは考え方の1部に過ぎないが、誰もが書き込むことが出来るWikipediaの文献は比較的に私たちの共通認識に近いのではないかと考え、今回はこれを定義として扱いたい。

 ここで私が思ったこと、それは

「自分は運動部だったけど体育会系では無いのではないか」

ということである。

というのも、私自身が“精神論”を重視するかと訊かれるとそうでは無いからだ。ただ、それが嫌いな訳では無い。

人間関係においても、“運動部”という環境で過ごしてきた影響で上下関係というものは大事かもしれないと考えてはいるけれども、自分がもし年下から敬語を使われなかったとしても腹は立たない。

 そもそも敬意というものは年齢関係無く持つものだと私は考えているため、言葉がどうこうよりも他人と接するときのマナーのような感覚なのである。
それから、体力はあまり無い。

 総合的に振り返ると、よく自分が10年近く運動部という環境で生きてこれたなと仰ぎみるのだけれど、このように運動部出身だからといって必ずしも「体育会系」とは限らないこともある。

特に、体育会系に恐れを抱いている人に知って欲しい。しかし、このような表面的なものが敬遠される理由では無いのだろうなとも思うけれど。

 これに限らず、社会生活においては無意識に何らかのピラミッドが形成されている。
横にしてボウリングの配置みたいにすれば対等にみんなで進んでいけそうなのにな、と考えつつ。
また、甘い考え方だと揶揄されそうな思考がふつふつと湧いてきた。

リーダーって上に立つというより、1番前で最も狙われる存在で強い当たりを受ける存在なのではないかなあ、という印象。
だからこそ後に着いてくる人が大事な存在なのだろうな。


…あれ、これってもしかして精神論?

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