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枝分かれの先に
スポーツが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
また、スポーツが好きな人の中には、“観る”ことが好きだという人や“する”ことが好きだという人もいる。
世の中の様々な事象には、このような「枝分かれ」が存在する。
「勝敗」もまた、その1つだ。
ある漫画の台詞の中に
「“負け”は弱さの証明ですか?君たちにとって“負け”は試練なんじゃないですか?」
という言葉がある。
その後に
「地に這いつくばった後、また立って歩けるのかという 君たちがそこに這いつくばったままならばそれこそが弱さの証明です」
と続く。
勝負に負けることは弱さの証明では無い。
“負け”というものは、枝分かれした勝負の結果のうちの1つに過ぎず、これによって生まれるのは“勝った”経験か“負けた”経験だけなのである。
どちらにせよ、経験値というものは増えるのだ。
この枝分かれの先にはまた別の枝分かれが存在する。その枝の上を折れないように歩き続けることができれば、それはまた“強さ”の証明といえるのではないだろうか。
太くても細くても、惨めな状態に見えていたとしても歩みを止めなければいつまでも先へ行くことができる。
これはスポーツだけに限った話では無い。
自分の一生、人の命や人生にも似たようなことが言える。
負けた人が決して“弱い人”とは限らない。
裏腹に、勝った人が決して“強い人”とも限らない。
勝つ人はその結果に辿り着くまでの“経験”をしている。負けた人はその“経験”が足りなかっただけなのだ。
ただ、枝分かれのうちの1つを歩いてきただけなのである。
その先にはまた別の何かが必ず存在する。そこまで延々と身体を持っていけるかどうか。
地に這いつくばらなくとも、地に足をつけることが出来ていれば意外とどうにでもなる。
私は“先”がとても楽しみだ。
自分のことも他人のことも、自分の好きなものに対しても。
また4年後、面白い勝負を観させてもらえるとこれ以上に幸福だと感じられるものは無い。
男女バレーボール日本代表選手の皆さん、それから監督やコーチ陣の皆さん。
毎日のモチベーションになるような試合の数々を本当にありがとうございました!
心の底から生きる活力でした。お疲れ様でした。
一旦、それぞれでゆっくり休んでください。
そして気が向いたらまた面白いバレーボールを私達に観せてください。
チームが変わったとしても、常に前進される皆さんを何年後でも応援し続けます。
あー、本当に面白かったなあ。パリオリンピックのバレーボールの試合。
まだ決勝が残っているからそれも楽しみ。
この調子でバレーボールファンも増えてくれたら嬉しいですよね。
みんな一緒にバレーしましょう。
(誰)