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②開田高原の旅、つづき。純子さんと五辻そして木曽馬

朝散歩。
宿をでて脇の細道を進み、急に現れる山道の跡の切り通しを抜けたら五辻のある交差点に出た。純子さんと興奮。これは古井由吉の本の世界や。辻のひとつにお地蔵さんが並ぶ。これはあっちからこっちへの道中を護る役割なんやろう。
宿に戻って朝ご飯。沁みる美味しいおかずが並ぶ。
蒸し野菜のせいろの中にそぅっとソーセージがはいっていた。
ご飯も玄米ごはんですごく美味しい。食べきれない分はおにぎりにしてくれた。かわいい竹籠にいれてあざやかな蒼い手ぬぐいでしばってくれた。
いまから散歩するって言うと、おじさんが周りを案内してくれるという。わたしらふたりは、興味がニッチなので、温泉もなんたらパークもいいですといい、あぜ道や裏路地をたらたら歩いた。
中津川駅、そこで別れた。
わたしは、開田高原にむかう。
ふるさと日本紀行でもかなり好きな「上田 開田高原編」をたどり、木曽馬をみるために。「ヱ」の油を使ったタレ、つまり、えごまの五平餅もあったら嬉しい。
駅に着き、レンタカーを借りる。
前はレンタカー抜きで数本しかない路線バスとか駆使して地方を周ってたが、ほんとはそうしたいが、本のルポライターだって車やし、駆け足旅やから仕方あるまい…。
レンタカー屋さんに、本にある道たどって行くと行ったら、あの旧道!遠いでーー!気を付けて!と言われる。レッツゴー!
鬱蒼とした山道を私の車だけが走る。
自由を感じる。
お地蔵さん。パラパラとした集落。これがメインロードやった時代もあったのにな、静かだなー。
滝。
誰もいないから車停めて滝に近づいて水飲んだりしても自由。
そして峠にさしかかる、と、空が開けて
燦然と輝く紅葉であった。そうか!秋や!紅葉シーズンなんや、今!忘れてた!そして山を降り、谷あいを抜け、川を渡り、川に沿い、御岳山を遥かに仰ぐ開田高原についた。
あしたの予習に、木曽馬の牧場があるから、急いで行くことにする。
http://www.kisoumanosato.or.jp/petting.php

ちまちまとして可愛かった。リンゴの餌やりもした。リーフレットに、木曽馬の保全活動、とあった。軍事用に農作業の馬はいらないから外国産馬を増やせといわれて、木曽馬は殺処分とか去勢された。
もう純血はいないんやって。最後の純血木曽馬春山号の剥製もみた。剥製って嫌いやけど、資料として必要なんだろなこれは。
下記はウィキペディアから。単なるコピペです。長いよ
でも読んでほしい。
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第三春山号(1951年 - 1975年)は、最後の純血木曽馬である[21](実際の血量は98.44%とされている。木曽馬において原産地では一般的に純血という表記は使わず、純系種と呼ぶ。これは少なからず明治~昭和期にかけて外来品種の影響を受けているためで、100%純血の木曽馬という表現ではなく極めて血が濃い純系という表現となっている。)。体高は132cm、体長は158cm(体高比 119.6)、胸囲は170cm(体高比 128.7)、管囲は18cm(体高比 13.6)という馬格であった[22]

父は「神明号」、母は「鹿山号」で、いずれも純血である[22]。

父神明号は、軍用馬の馬格改良を背景とした1939年制定の種馬統制法により民有木曽純血種雄馬(種牡馬)が去勢廃用処分となっていたところ、軍人を祀る武水別神社の神馬であることから処分を逃れており[21]、1950年に再発見され神社より払い下げを受けた上で木曽馬登録事業の本登録馬(木曽純血種)第1号として登録されるとともに種雄馬として供用されたものである[22]。

一方母鹿山号は木曽福島新開で飼育されていた。

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ロッジみたいな宿に泊まる。
知らない土地でひとり、あたたかい布団に入る幸せ。
朝ご飯の前に、宿の周りを延々歩いた。果てしない雪野原。稲穂を干すハデが田んぼにたくさん立ってる。
川がごうごう。このあたりを干拓した記念碑をみたり。御岳山を開いた〇〇上人がこのあたりも水を引いて開墾できるようにしたらしい。
朝餉を食べて、すぐさま車で出立。まずは、吊り橋。このあたりか!というところで、谷を降り集落の道を怪しくうろつき、にぎやかな声がしたから一軒の家に近づき、同い年くらいに見えるお母さんに声を掛ける。本に載っている小さいモノクロ写真を指して、これがみたい、と。
わたしも最近この辺に来た移住者なんだけど、近くのおばあさんに吊り橋があるっていうの、きいたことあるって案内してくれた。ワーイワーイゆうて子どもたちも一緒に。
もう草むらに遺構みたいなんしかなくて、渡ることができない橋だったが、確かに見れた!よかった!主人が役場で移住相談もしてるから、よかったら長松さんも移住して、って、移住リーフレットまでもらった。初めてのパターン、良い方だった!!林さん!!
案内してくれた家族と別れてから、さらにわたしは、土手のあぜ道を歩き、小さい神社までみつけた。原っぱに埋もれそうな神社。あえて嬉しい。
車に帰る。
さあ目的は、木曽馬!!!!
本にあったとおりの町外れの神社へ。ここに詣でて、川辺で寝転んで昼寝してたら、ルポライターの人は野生の木曽馬を見たとある。今は、いないんだよな…
神社をあるき、木曽馬を飼っていた小屋がある立派な旧家屋(資料館になってる)をじぃぃっと見学。木曽馬は家族と同じやったから、玄関のなかに小屋がある。このあたりはみんな、犬みたいに、一軒に3頭くらい飼うていたという。身長も140センチくらい。ほんま犬。
で、このあたりで木曽馬っていないですよね、さらにルポライターが入ったトタン屋根の蕎麦屋も、知らないですよね、と尋ねるためにせまい路地の道を歩く。
家の前に腰掛けてるおばあちゃんに話しかける。やっぱり木曽馬飼ってたらしい。みんな飼ってたけど戦争のときになったらどのこももう使えんから、馬肉にされたんよ。可愛かったよ、、って聞きながらなんだか泣けてきた。なんでおらんのよ
これ、端からみたら怪しくないかな…とおもたら、奥さん帰宅。研究者の人だよ、とおばあちゃん。そうやな、この熱心さはもはや研究者やな。
奥さんは古くから近所に住む人を紹介してくれたけど、トタン屋根の蕎麦屋はわからなんだ。
このへん老舗の蕎麦屋自体はいくつかあるんやがな。大きくなったか、一時だけの幻の蕎麦屋だったのか…わからんかなあやっぱ、40年前にトタン屋根でやってた蕎麦屋なんてな…
工場みたいなとこでおじさんがいたので、また聞いたら、ああ、あの蕎麦屋、昔おばあさんの時代は小さい蕎麦屋で、改築して大きくなったからそうかなあ、聞いてみな、とゆうてくれた。
トタン屋根か?!
蕎麦屋は行列してて、中にはいってこんな呑気な話できない、けど、前の商店のおばあさんが詳しいらしい、が、あいにく出掛けていますとの張り紙!!駐車場まで、工場のおじさんきて、「わかった?」て親切に聞いてくれたのに…もう間に合わない。わたしはレンタカー返さなくちゃ。帰らなくちゃ。
車で、峠まで走る。いや帰りはもう旧道は諦めよう。
峠の近くで掘っ立て小屋の蕎麦屋を見つけた。わたしはここに入る。
13:45。
あー!もう新蕎麦ないけどいい?あと三十分しかないの!っしゃいまから急いで打つからな!15分待ってよ!
見たことないぐらいパタパタと速く打ってくれた。やはり、美味かった。澄んだ味がした。つぎは予約して!って名刺くれた。
車すっとばして、でも、止まるべきおばあちゃんのたむろしてる無人(?)販売所では、唐辛子かなんかを買い、また車をすっとばしてレンタカー屋へ戻る。

駅では登山客がカラフルな出で立ちでわらわらしていた。下界へ降りてきた気がした。

とにかく、開田高原の地は踏んだ。
できるだけのことはした。長野に私の興味は尽きない。

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