見出し画像

長時間保育のはなし。

我が子はふたりとも小学生になった。
学童の方がお迎え時間が早く、職場からも少し遠くなった。
夫は2回とも育休は取っていない。
いまなら取って欲しかったが、10年前のわたしは、お願いもしなかった。
10年で、わたしの考えも、そしてきっとそれは周りの空気感の影響を受けているから、変わってきてるとは思う。

わたしは延長保育をして預かってもらっていた。
ごはんは作らない。外食か、惣菜を買って家で食べていた。
作る時間も洗う時間も、わたしには勿体無かったから。
わたしは家事が得意でも好きでもない。
自分のご機嫌をとり、時間を捻出し、わたしの心と身体の余裕を確保しておくことが、全てにおいて優先されると考えていたし、今もそう思っている。
だから、朝の時間もなるべく、怒らなくて済むように、こどものタイミングに合わせやすいように、時短は朝を遅くしていた。

確かに、平日、朝は1時間くらい、夜は2時間くらいしか一緒にいない。お迎えも最後の方。小1の担任にも信じられない顔をされ、そんなに大事なお仕事をされてるんですか?と根掘り葉掘りきかれた。

彼らにとってはもはやそれが日常だったので、その分かーちゃんは頑張ってるんだなと思ってくれていた。
たくさん我慢もさせていただろうけれども、荒れて暴れる問題児にはなってなかった。のは、園のせんせいたちのおかげなんだと思う。それはラッキーでしかなかったかもしれない。

キャリアは一度途切れるとなかなか元通りには戻してもらえないとは、花道を歩いている時には知らなかった。
いまも、しがみついてる気持ちは無いけど、
後悔する選択はしていない。

まわりはとやかく言うだろう。
どの道を選んでも。
みんな大事にしてるもの、したいもの、できるもの、できないものが違う。
ひとくくりにはできない。

最後は、後悔だらけの自分がそこにいるか、
胸を張ってこどもと話せる自分がいるか、
それだけだと思う。

幸い、育休産休は、わたしは資格試験の勉強とかはできなかったけど、でも、
働くってなにか。
幸せってなにか。
わたしにとっての家族とかおかあさんて何か。
それまではがむしゃらに働いてたけど、
はたと立ち止まって、考えることができた。

自分や家族の環境や価値観としっかり向き合って
決断し、その責任を取れるか。
腹落ちできているか。
パートナーと価値観を共有できているか。

家族の理解や、根っこの部分の価値観が同じで
ほんとうにこの人でよかったと感謝している。
職場の同僚で、同期で、一緒にさまざまな局面に向き合ってたから、付き合う前から彼の仕事の姿勢を尊敬していた。し、尊敬しあえていた。
両親と義父母も、ザ昭和の価値観を押し付けてきたり口出ししてこず見守り支えてくれているのも、凄く大きいと思う。
この辺がガタガタだと、かんたんに不安定になると思う。
これはほんとに、ラッキーでしかない。

自分でなんとかできることと、できないことがある。
できることに集中して、こどものこころとからだの健康を守りきる。

わたしも、わたしの両親がそうであるように、
一番の応援者と理解者でありたい。

一緒にいる時間の長さだけではかれないものは、たくさんあると思っている。言い訳、後付けかもしれないけど。
心の底から応援し、想っている気持ちは、
必ず伝わる。にんげんだもの。
その気持ちだけは誰にも負けない。
負ける筈はない。
だから、大丈夫。

何かを選ぶことは、何かを選ばないこと。
こどもたちに胸を張れる選択をつづける。
(無理をして頑張ると言う意味ではない。無理は、続かない。)

わたしはこどもを産んだことを後悔していない。
経験できるなら、したほうがいいと思っている。
命を賭けてうんで、そしてうまれてきて、
本能的に哺乳類としての生命を感じる。
自分の身体にも、こどもにも。

仕事だけでは得られない体験、経験しかない。
これは、間違いない。
仕事には究極的にかわりがいるけど、
彼等の命を守れるのはわたしだけ。という感覚。
覚悟。(パパの育児は?という話ではない)

こどもと向き合う中で
こどものなかにある自分とも向き合う。

確かに、しっかり休んでも、
元のキャリアに戻れるなら、
しっかり休んだほうがよかったのかもしれない。
よいのかもしれない。

でもどっちも、ブランクはたぶん辛い。
選択できる余地が必要なんだと思う。
そして、育児の経験は業務にもいきることは一考してほしい。
テレビの前のソファでごろごろおせんべいを食べてるわけじゃない。
それは専業主婦の方も同じ。
数々のタスクを管理し日々完遂しているのだから。
たいせつな家族の命を日々守っているのだから。

どっちが正しい?ではなく、
わたしはこうありたい、を共有しあって
実現できる場をみつけたりつくっていく、
そんな世界をこどもたちにみせたい。

#なんかみた
#自己開示日記
#ワーママ
#ワーママってことばはいつかなくなるといいな