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「駐妻」と「現採」の間に感じる溝。現採の立場から見る駐妻との違い。

海外における「駐在員」とは、所属している会社から命じられ、外国にある会社に出向している者のことをいう。
「駐在員の妻」とは文字の通り。
それに対して「現地採用」とは、駐在員とは異なり、外国にあるの企業に就職した者、現地にて採用されたもののことをいう。
大きく差が出るのは給料や待遇で、一般的には駐在員の給料は日本ベースであり、生活の手当てや帰国の際の飛行機代などがでる。
現地採用は、現地人と同じ扱いであることが多いため、給料は現地ベース、生活の手当等は基本的にはないが、自由度が高い。

先日、ほかの東南アジアに住む駐在員の妻、通称”駐妻”と呼ばれる友人が私の住む国に遊びに来て感じた”駐妻”と現地採用、通称”現採”の溝のようなものを感じた。
予想はしていたが、生活レベルが違いすぎるのだ。

例えば、食事に関して。
現採なら基本的には自炊。
外食と言ってもローカル店で一食200円程度で済ますことが多い。
観光客が行くようなレストランに行くこともあるが、頻繁には利用しない。
今回、友人がせっかく来てくれたので、観光客がよく行くような美味しいレストランを案内した。
食べて飲んで、「美味しい、美味しい」と喜んでくれた。
普段、数百円程度で食事を済ませているので、レストランは確かに高い。
でも、それなりの価値がある。
会計時、友人たちは値段の安さに驚いていた。
彼女らも国は違えど、同じく東南アジアに暮らしている。
「こんなに安く食べられない!」と驚いていたが、いったい、普段どんな高級店で食事をしているのだろうか。
多く見積もっても、物価は大差ないはずなのに。
もちろん、駐妻である彼女らも自炊はするだろう。
しかし、食材から調味料、あらゆるところで違いはあるはずだ。

”現採”と”駐妻”の溝を感じたのは、これだけではない。
彼女らは、「道が怖くて歩けない」というのだ。
たしかに私の住んでいる国はそれほど発展していない。
しかしそれは、彼女らが住んでいる国も同じこと。
聞けば、普段は専属の運転手付きの車があるから、普段は道を歩かないらしい。
そう言われると、道を歩くのが怖いというのにも納得する。

彼女らが来て二日目の夜、食事をしながら質問された。
「駐在員の奥さんに対して、どんなイメージがある?」
それに対して、
「現地採用っていうと、変な人が多いって思われているんだろうと思う。それは実際に現採である私もそう思うときがある。駐妻の友達もいるけど、多くの駐妻は現採とは交じりたくないと思っているんじゃないかな。何か壁を感じるし、そもそも交わる機会もないんだけど。」
と、答えた。
彼女らはおおきく頷いて、
「駐在員の奥さんたちも現採の人には壁を感じてるっていう人がいるよね。」
と、言った。

現採の友達は駐妻のことを悪く言う人もいる。
それは、明らかに僻みでしかない。
でもそれは、わからなくもない。
駐妻は定期的に日本人が経営するような、決してローカルではない美容院に行き、爪にはジェルネイルを施し、きれいな靴を履く。
基本的に車移動なので、靴が汚れる心配はない。
そのすべてが、旦那様の給料から支払われている。
駐妻は働きたくても働くことができない。
会社から禁止されていることが多い。
それに対して、現採は美容院へは年に一度行くだけ。
日本への一時帰国の際に行く。
もしくはローカル店。
ジェルネイルなんてする余裕のある給料ではないし、足場の悪い道を歩くため汚れてもいい靴を履く。
ヒールのパンプスなんてもってのほかだ。
身の回りのことはすべて自分で。
働いていれば、現地人の嫌な部分も受け入れていかなければならない。
全く両極端にいる”駐妻”と”現採”は、そりゃあ交わることなんてないだろう。
お互いに壁を感じるのはもっともである。
彼女らの日常は駐妻である者からすれば「非日常」であり、現状では手にすることができない遠い存在なのだ。

また、彼女らは私のことを
「現地化が激しい」
と、笑った。
これは嫌味で言ったのではなく、愛情からの冗談だ。
私も別に嫌な気はしなかった。
しかし、よくよく考えてみると、服装でも差が出るのだなと思った。
東南アジアは日本と比べると治安が悪い。
専属の車はないので、夜道でも女性の一人歩きは当たり前になる。
きれいな格好をしていたら、どうなるか容易に想像がつくだろう。
実際に、バッグやパスポート、自転車、現金など、盗難にあう外国人が後を絶たない。
抵抗すれば殺される、殴られるだけならマシ、という世界である。
現地になじむのも、身を守る術なのだ。
これは、新しい発見だった。
外国人はお金を持っていると思われているし、実際に、現地人よりお金を持っている。
その中で外国人として暮らすということは、自分の身を守ることが第一優先事項となる。
誰からも守られていない現採は、無意識のうちに現地に溶け込んでいく。

「旦那の稼ぎできれいな格好をし、習い事やお茶をするだけの生活」の駐妻と、
「見た目に気遣わず、どこで何をしているのか得体のしれない」現採とでは全く住む世界が違う。
こうして、徐々に、”駐妻”と”現採”の溝は深まっていくのだろう。

私には”駐妻”の友達も”現採”の友達も、どちらもいる。
たまに話がかみ合わないこともあるけれど、どちらも人として好きだ。
”駐妻”と”現採”がかみ合わないことは十分に体験しているから分かるけれど、無理に合わせる必要はない。
ただ、はっきりと言えるのは、住む国や立場は違えど、一緒に美味しい料理を食べ、中身のない会話に馬鹿笑いする時間がとても幸せに思えた。
またお互いにお互いを尊重しあっているのも感じられたし、この友人たちは大切な財産だと思った。

自分で選んで日本国外にいる現地採用の人たちは、少々変わり者が多いのかもしれない。
”駐妻”と”現採”では大きな溝はあれど、”外国人”という立場は同じだ。
お互いに理解できなくても、そこに大きな溝があっても、それぞれに住む世界があって、必死に毎日を生きているということは、同じなんだと感じる。