オーストラリア 大学1年生編
大学のオリエンテーションが始まったのは2002年2月だった。
入学同期と一緒に大学のLECTURE(講義)やTUTORIAL (講義後のディスカッションや課題を見せ合うクラス)とはなんぞや、どんな必須科目があるか、などといったものが1週間つづく。
話はずれるけど私の卒業した高校は当時地域の1、2を争う治安の悪い高校で、トイレでタバコを吸うものがいたり、薬物やっているものがいたりで、校風はあまり良い印象はなかった。なんせ教頭が「あなたたちがタバコ吸うのは自由、校外で吸うときは制服は脱ぎなさい!」という人だったから。今はその言い分も理解できるのだけどね。なぜ私がそこに入ったか?当時クイーンズランド州サンシャインコーストの中での受け入れ校がそこともう一校だけだったから。それか私立の高い授業料を払えば入れたのだけど、私は公立(州立)一択だったので、その選択肢はなかった。ちなみにもう一つの高校も治安が悪かった。大学で知り合った同じ地域の高校から入学した同期生の雰囲気の違いに驚いたものだった。学校や環境が違えばこんなに人が違うのかと。
大学の授業はというと、言語は絶対やろうと思っていた教科で、うちの大学でオファーしていたのは日本語、インドネシア語、イタリア語。
日本語は話せる。じゃーインドネシア後とイタリア語を取って自分にあっている方を取ろうと決めた。
あとは必須科目2つ。計4つを1セメスターでやっていく。もちろんもっと取れれば卒業も早くなるので自由だけど。
今あの時を思い出して書いていると、あの時のワクワク感が鮮明に思い出される位、今でも新しい世界に入っていくのは細胞レベルでいつもワクワクしてしまう。
オーストラリアの大学は高校卒業してすぐ入学するのが50%だとしたら残り50%は働いたり、ギャップイヤーを利用し働いたり、旅をする者も多く、同期でも色んな年代の友達ができる。これは人生にとってもプラスの出会いで、社会人を経験してから、母親業が落ち着いたから、など平均すると30代から40代が多かった。上は70代までいたくらい。そんな友人を見て、「学びって一生ものだし、好きなことを学び続けるってかっこいい」と思えた。まさに私の人生のメンターたち。 日本では高校卒業と共に大学に入るのが一般的で、クラスメイトもほぼ同い年に近いと思うけど、やっぱり一度社会に出て自分のしたいことを学ぶ本気度はすごい。私の本気度は彼らの本気度には程遠かったと思う。大学を卒業したことで仕事の幅が広がったのは確かなので高校卒業後大学に行ったことは後悔はない。でも社会人を経験してからの大学だったら、もっと自分のしたいことを追求して行けたのかな、とも思う。
最初のセメスターは言語と必須科目で余裕をぶっこいてたのは否めないけど、次のセメスターからは大学って大変なんだ、と気付かされる。
なぜなら、エッセイと呼ばれる小論文(2000語から3000語)の課題の多さ。エッセイを書くにはまず、主張することをサポートする参考文献が必要になる。
まず図書館で本を借りるのが授業と授業の合間か授業が終わってから。基本、集中するために図書館の静けさの中ひたすら本を読み漁り書き留めるか、芝生でゴロゴロしながら本を読み漁るか。友人たちとの時間もおろそかにしたくないお年頃なのでそれなりに時間を作り、そして一回家に帰り、ご飯を食べ、シャワーを浴び、オールの準備で大学のパソコン室に戻る。20年以上前は、個人でパソコンを持っているのは一般的ではなく、24時間アクセス可能なパソコン室があった。そして当時はUSBの出る前でフロッピーに保存ですよ!カラフルなフロッピー買ってたな。一人でオールする日もあれば、友人たちと一緒にガヤガヤすることもある。ある意味青春。エッセイ書き終えると達成感たっぷりである。
私はあの時、19歳、20歳を過ごせてよかったと思う。情報だって自分で選べたし、インターネットもあったけどパソコンでアクセスできる時だけだったし。今の子供(学生さんたち)はいろいろな情報が入りすぎてるんではないか、とおばさん少し心配。
2セメスター目は、カウンセリングの授業と、必須科目とイタリア語は諦めて、インドネシア語に絞った。言語に関しては頭の中がごちゃごちゃしていてインドネシア語のクラスでイタリア語で答えたり、その反対だったり。インドネシア語は時制が全て一緒なので(明日、昨日などをつけて判断する)比較的簡単だと思っていたのだけど、これも大誤算!やっぱり言語は一筋縄ではいかない。
カウンセリングの授業ではグループワークがあったり私はグループワーク苦手だな、と思いながらやっていたのだけど、いいメンバーだったからよかった。本当にグループワークに関しては一緒にやるメンバーによって成績が変わるから、仲良いからと組むべきではない、とも学んだ。
12月に1年目終了。相変わらずの夏のクリスマス。エビとハムを食べまくった。これはホストファミリーと過ごした時からの続くもので、エビとハムを食べるとクリスマスと思うのだから、慣れって面白い。日本のクリスマスにケンタッキーを食べるのは海外からするとびっくり仰天なこと。クリスマスがお正月な雰囲気なので、なんでファストフードなの?と思うらしい。
翌2003年1月は成人式だったけど、オーストラリアの海で日焼けしながら過ごす。
オーストラリアの大学は選んだ学科で入っても、途中学科、専攻の変更ができるし、(もちろん取る教科が増える)私はBACHELOR OF ARTSだったけど、専攻はまだ決めていなかった。とりあえずその時に専攻にしたいと思ったのは、カウンセリング・心理学、グラフィックデザイン、インドネシア語。ちなみに専攻にするのには同じ授業、例えばインドネシア語だったらインドネシア語のクラスの8個単位を取らないといけない。私の大学ではINDONESIAN A〜Fの6つあったので、残り2つを他の大学で単位を取らないといけなかった。副専攻は4つ同じクラスの単位をとる。
さーどれにするのだろう。まだまだ楽観的な私であった。
つづく
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