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088. しがみつかれていたと思っていたのに、実は抱きしめられていた。
bonsoir!🇫🇷
8月いっぱいバカンスをとってお休みしていた週刊・フランス滞在記を再開します。本日からまた毎週金曜日、よろしくお願いいたします。バカンス明けの今号は、夜お布団の中で娘と寝ていたときに不意にわいた思いを徒然と・・。
このフランス滞在記も気付けば88話目で、100話ぐらいで完結かな?と目処がついてきたところです。夏休み中にあとはこう言うことを書こうとざっくりとした計画を練って、今日はそれに沿って記事を書き始めたのですが、久々に「あれ?何か違う。書けないぞ?」という感覚がやってきた。
88話も書いているとちょいちょいこういう時があって、大体自分にとって大事なメッセージがやってくることが多い。
きっとこういう時って、醸造され、いい感じに熟成されかかっている記憶の断片がポロリとこぼれ落ちようとしているのだ。「書けない」という感覚はまさに、その旬を逃さないでほしい、というメッセージが秘められているように感じる。
だからこういう時は、過去の滞在記を書こうと言うことを一旦忘れてしまおう。そして、2022年現在の今に焦点を合わせて過ごしてみる。そして、もし金曜日当日までこういう状態だったら「書くことがない」「書けない」ということについて書く、と決めている。
今回も例にもれず、半分ぐらいまで書きかけた記事のことを一旦忘れてぼんやりと過ごす。すると、「あ!」という瞬間がやってきた。夜、娘と枕を並べて寝ている時だった。
わたしには娘が赤ちゃんの頃から悩んでいることがあった。それが、どうしても川の字で寝ることが好きになれないということ。川の字で寝るって、日本の育児文化的には良きことで、「子どもにまとわりつかれながら寝る幸せそうな母親」というのは幸せの象徴のようにさえ語られることがあるように思う。しかし、どうしても得意になれなかった川の字。
フランスや欧米では子どもは赤ん坊の頃から一人で寝るという傾向があるらしいとはじめて聞いた時「川の字苦手症」のわたしはちょっと救われたような思いだった。川の字で寝なくていい国もあるんだぁ・・って。
「となりにいて、ママ」とリクエストされると、このままここで寝落ちしてしまったらば、娘に歯がいじめにされながら明け方に目を覚ますのだと思って恐々としてしまうのですが、昨日ふと「あれ?」と思う瞬間があった。
背中をトントンしながら向かい合って眠る。娘は自分が寝てしまうと母親が自分の布団にいってしまうのを知っていて、ぐぐっと頭を押し付け、小さな腕をめいっぱい回す。いつも薄々感じてはいたのだけれど、彼女って身体はこんなに小さいのにものすごい包容力がある。今日は特別それを強く感じた夜だった。
すると、「今までしがみつかれていると思っていたけれど、実は抱きしめられていたのかもしれない」という思いが湧いてきた。
娘はとにかく後追い期が長かった。半径1メートル以上離れようものならものすごい勢いでしがみついてくる、という生活がかれこれ3歳あたりまで続いた。慣れない土地ではさらにそれが激化して、歩くのが怖い、もう疲れた、こんな嬉しいことがあった、しきりにしがみついてきた彼女。道中トイレがないフランスでお漏らししてしまったという娘を途方に暮れながら抱え歩いた日々がもうとても遠くに感じる。あの頃の感触も重さも今に押されて消えかかってきている。
あぁそうか。
もしかしたら、そのどれもこれも実は、わたしの方が抱きしめられていたのかもしれない。
そう思ったら胸や目頭が熱くなってきた。その横では、先ほどまで力一杯押し付けられた頭や、目一杯広げられた腕からはみるみる力が抜けていって、すぅすぅと小さな寝息が聞こえはじめていた。
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